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明ければ天保四年の飢饉、領内には餓死する者が沢山できました。
見るに忍びぬ先生は、常日頃の収穫を蓄え、非常時に備えるため、
お殿様にお願いして郷倉を造ることになりました。
領民の喜びは一通りではなかったのです。
「ありがたいことだ。」
「もったいないことだ。」
と喜び勇んで、木や竹を寄附する者、お手伝いを申し出る者が、次々にあらわれて、
四棟の倉が見事にでき上り、お殿様からは
「民に報いる穀物を貯える倉だ。」という意味から「報 民 倉」という名前をいただきました。
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