田原市渥美郷土資料館◎平成26年企画展◎生誕250年
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主催 | 田原市教育委員会 田原市博物館 |
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共催 | 糟谷磯丸生誕250年記念事業実行委員会、中日新聞社 |
後援 | 糟谷磯丸生顕彰会 愛知県教育委員会 |
糟谷磯丸は、江戸時代の明和元(1764)年5月3日に伊良湖の漁師の家の長男として生まれました。31歳で父を亡くし、母は長い間病気でした。>親孝行の磯丸は、母の病気が治るように3年間伊良湖神社に毎日お参りし、そのかいあって母の病気は良くなりました。磯丸が和歌に興味を持ったのは、この頃で、伊良湖神社に参詣する旅人が和歌を口ずさむのを聞き、その不思議な響きに魅力を感じたためでした。磯丸は、もともと漁師で文字を書いたり読んだりすることができませんでしたが、努力し、歌を作るようになりました。そして隣村の亀山に住んでいた大垣新田藩の郡奉行井本常蔭(いもとつねかげ)に文字や和歌の教えを受け、「磯丸」という名前もこの常蔭からもらいました。その後、吉田(豊橋)の女流歌人林織江(はやしおりえ)が伊良湖へ旅をしたときに磯丸が世話をしたのがきっかけとなり、織江の先生であった京都の公家芝山大納言持豊(しばやまだいなごんもちとよ)の弟子になり「貞良(ていりょう)」の名前をもらい、ますます歌がうまくなっていきました。
磯丸はその生涯にたくさんの歌を作りました。中でも「まじない歌」は、当時の民衆の喜びや祈り・困り事・願い事など、人々から頼まれるまま歌にしたものです。磯丸に歌を詠んでもらい、その歌を掛軸にしたり石碑にしたりすると不思議と願いがかなったということです。
老若男女、貧富の差をこえて多くの人から大事にされ、時には生き神様と崇められた磯丸は、嘉永元(1848)年生まれた日と同じ5月3日に伊良湖の地に85歳で亡くなりました。磯丸を慕う人々は、磯丸を神様とすることを願い出、嘉永3(1850)年その功績が認められ「磯丸霊神」という名前が与えられ、神様となりました。
今回の企画展では、生誕250年を記念し、漁夫歌人糟谷磯丸の得意とした「まじない歌」を中心に展示紹介して、その作品世界を堪能していただこうと開催します。
11月3日(月・祝) 午前11時〜
学芸員による展示説明