開催日 | : | 平成25年9月14日(土)〜平成25年10月14日(月・祝) 前期:9月29日まで 後期:10月1日から |
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開館時間 | : | 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで) | → 展示情報詳細はこちら |
会場 | : | 田原市博物館 |
テーマT 外国へのあこがれ | |||||||
No. | 作家名 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 所蔵 | 展示期間 | 展示室等 |
1 | 伝ヲ南田 | 菊図 | 絹本着色、掛幅 | 個人蔵 | 特別 | ||
2 | 宋紫石 | 岩に牡丹図 | 江戸時代中期 | 絹本着色、掛幅 | 板橋区立美術館寄託(歸空庵コレクション) | 後期 | 特別 |
3 | 小田野直武 | 鷺図 | 江戸時代中期 | 絹本着色、掛幅 | 板橋区立美術館寄託(歸空庵コレクション) | 特別 | |
4 | 小田野直武 | 岩に牡丹図 | 江戸時代中期 | 絹本着色、掛幅 | 板橋区立美術館寄託(歸空庵コレクション) | 特別 | |
5 | 小田野直武 | 牡丹に蝶図 | 江戸時代中期 | 絹本着色、掛幅 | 板橋区立美術館寄託(歸空庵コレクション) | 前期 | 特別 |
6 | 金子金陵 | 花鶏図 | 寛政7年(1795) | 絹本着色、掛幅 | 田原市博物館 | 前期 | 特別 |
7 | 金子金陵 | 秋雨鶏雛図 | 寛政年間 | 絹本着色、掛幅 | 千葉市美術館寄託(嬉遊会コレクション) | 前期 | 特別 |
8 | 金子金陵 | 松に白鷴図 | 文化年間 | 絹本着色、掛幅 | 千葉市美術館寄託(嬉遊会コレクション) | 後期 | 特別 |
9 | 金子金陵 | 梅華白鷹・芙蓉水禽 | 江戸時代後期 | 絹本着色、掛幅 | 田原市博物館 | 特別 | |
10 | 平賀源内著・宋紫石 | 物類品隲 | 宝暦13年(1763) | 紙本墨刷、冊子 | 田原市博物館、渡辺崋山旧蔵本 | 常設、田原市文指定 | |
11 | レーゼル | 昆虫書(De Natuurlyke Historie der Insecten) | 1764〜68 | 紙本色刷、冊子 | 田原市博物館 | 常設 | |
12 | 渡辺崋山 | 蘆汀双鴨図 | 文化11年(1814) | 絹本着色、掛幅 | 常葉美術館 | 特別 | |
15 | 渡辺崋山 | 名花十友図(十友双雀図) | 文政9年(1826) | 絹本着色、掛幅 | 個人蔵 | 後期 | 特別、重美指定 |
16 | 渡辺崋山 | 白鵞游魚図 | 文政年間 | 絹本着色、掛幅 | 遠山記念館美術館 | 特別 | |
渡辺崋山 | 渡辺家年譜 | 紙本墨書、冊子 | 田原市博物館 | 特別 | |||
17 | 椿椿山 | 君子長命図 | 天保8年(1837) | 絹本着色、掛幅 | 板橋区立美術館 | 特別 |
テーマU 富貴花 | |||||||
No. | 作家名 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 所蔵 | 展示期間 | 展示室等 |
18 | 崋山・椿山 | 泉石清縁帖 | 文政2年・天保14年(1819・1843) | 紙本墨画、画帖 | 静嘉堂文庫美術館 | 特別 | |
19 | 渡辺崋山 | 牡丹図 | 天保12年(1841) | 紙本淡彩、掛幅 | 田原市博物館 | 特別 | |
20 | 椿椿山 | 名花十友図 | 天保11年(1840) | 絹本着色、掛幅 | 上野記念館 | 特別 | |
21 | 椿椿山 | 四愛図 | 天保11年(1840) | 絹本着色、掛幅 | 個人蔵 | 前期 | 特別 |
22 | 椿椿山 | 四愛図 | 天保13年(1842) | 絹本着色、掛幅 | 栃木県立博物館 | 後期 | 特別 |
23 | 椿椿山 | 四時聚芳図 | 嘉永元年(1848) | 絹本着色、掛幅 | 個人蔵 | 前期 | 特別 |
24 | 椿椿山 | 琢華堂図帖 | 嘉永3・4年(1850・1851) | 絹本着色、冊子 | 常葉美術館 | 特別 | |
25 | 椿椿山 | 渉園九友図 | 嘉永5年(1852) | 絹本着色、掛幅 | 静嘉堂文庫美術館 | 後期 | 特別 |
26 | 椿椿山 | 四愛図 | 嘉永7年(1854) | 絹本着色、双幅 | 個人蔵 | 特別 |
テーマV 写実を極める | |||||||
No. | 作家名 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 所蔵 | 展示期間 | 展示室等 |
27 | 椿椿山 | 縮図 | 文化7年(1810) | 紙本墨画淡彩、冊子 | 個人蔵、2冊 | 特別 | |
28 | 渡辺崋山 | 寓絵堂日録 | 文化14年(1817) | 紙本墨画淡彩、巻子 | 個人蔵 | 特別、重美指定 | |
29 | 渡辺崋山 | 一掃百態図 | 文政元年(1818) | 紙本墨画淡彩、冊子 | 田原市博物館 | 特別、重美指定 | |
30 | 渡辺崋山 | 壬午図稿 | 文政5年(1822) | 紙本墨画淡彩、冊子 | 田原市博物館 | 特別、重美指定 | |
31 | 渡辺崋山 | 癸未画稿 | 文政6年(1823) | 紙本墨画淡彩、冊子 | 田原市博物館 | 特別 | |
32 | 渡辺崋山 | 客坐掌記 | 天保3年(1832) | 紙本墨画淡彩、冊子 | 田原市博物館 | 特別、重美指定 | |
33 | 渡辺崋山 | 客坐掌記 | 天保9年(1838) | 紙本墨画淡彩、冊子 | 田原市博物館 | 特別、重美指定 | |
34 | 渡辺崋山 | 翎毛虫魚冊 | 天保9〜12年(1838〜1841) | 紙本墨画着色、冊子 | 草雲美術館、2冊館 | 特別、県文指定 | |
35 | 渡辺崋山 | 遊魚図(海錯図) | 天保11年(1840) | 絹本着色、掛幅 | 静嘉堂文庫美術館 | 企画1、重美指定 | |
36 | 渡辺崋山 | 異魚図 | 天保11年(1840) | 紙本墨画淡彩、掛幅 | 個人蔵 | 企画1、重美指定 | |
37 | 渡辺崋山 | 秋容野蟀図 | 天保年間 | 紙本墨画淡彩、掛幅 | 田原市博物館 | 企画1 | |
38 | 椿椿山 | 一覧縮図 | 文政2・3年(1819・1820) | 紙本墨画淡彩、冊子 | 田原市博物館 | 企画1 | |
39 | 椿椿山 | 雲煙過眼 | 文政5年(1822) | 紙本墨画淡彩、冊子 | 田原市博物館 | 企画1 | |
40 | 椿椿山 | 琢華堂戊子画稿 | 文政11年(1828) | 紙本墨画淡彩、冊子 | 個人蔵 | 企画1 | |
41 | 椿椿山 | 過眼掌記 | 文政〜嘉永年間 | 紙本墨画淡彩、冊子 | 掛川市二の丸美術館、29冊 | 企画1 | |
42 | 椿椿山 | 過眼掌記 | 文政〜嘉永年間 | 紙本墨画淡彩、冊子 | 田原市博物館、16冊 | 企画1 | |
43 | 椿椿山 | 休庵縮図録 第二十一 | 天保6年〜11年(1835) | 紙本墨画淡彩、冊子 | 個人蔵 | 企画1 | |
44 | 椿椿山 | 琢華堂画録 第六 | 天保〜嘉永2年 | 紙本墨画淡彩、冊子 | 個人蔵 | 企画1 | |
45 | 椿椿山 | 琢華堂先生写生冊子 | 天保〜嘉永年間 | 紙本着色、画帖 | 個人蔵 | 企画1 | |
46 | 椿椿山 | 琢華堂縮図 | 弘化3年〜嘉永2年 | 紙本墨画淡彩、冊子 | 上野記念館 | 企画1 |
テーマW 絵の広がり | |||||||
No. | 作家名 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 所蔵 | 展示期間 | 展示室等 |
47 | 渡辺崋山 | 秋草孤鴨図 | 文化年間 | 紙本淡彩、掛幅 | 常葉美術館 | 前期 | 企画1 |
48 | 渡辺崋山 | 海鶴遐齢図 | 文化13年(1816) | 紙本淡彩、掛幅 | 個人蔵 | 企画1 | |
49 | 渡辺崋山 | 蘆芙蓉双鴨之図 | 文化年間 | 紙本墨画淡彩、掛幅 | 田原市博物館 | 企画1 | |
50 | 渡辺崋山 | 秋草小禽図 | 文政元年(1818) | 絹本着色、掛幅 | 田原市博物館 | 企画1 | |
51 | 渡辺崋山 | 闔家全慶図 | 文政9年(1826) | 絹本着色、掛幅 | 個人蔵 | 企画1 | |
52 | 渡辺崋山 | 芝仙祝寿図 | 天保4年(1833) | 絹本着色、掛幅 | 田原市博物館 | 企画1 | |
53 | 渡辺崋山 | 昇天龍 | 天保4年(1833) | 紙本墨画、掛幅 | 田原市博物館 | 前期 | 企画1 |
54 | 渡辺崋山 | 竹葉図扇面 | 江戸時代後期 | 紙本墨画、扇子 | 東京国立博物館 | 前期 | 企画1 |
55 | 渡辺崋山 | 梅花図扇面 | 江戸時代後期 | 紙本墨画、扇子 | 東京国立博物館 | 後期 | 企画1 |
56 | 渡辺崋山 | 花卉図扇面 | 江戸時代後期 | 紙本淡彩、扇子 | 東京国立博物館 | 前期 | 企画1 |
57 | 渡辺崋山 | 菊図扇面 | 江戸時代後期 | 紙本淡彩、扇子 | 東京国立博物館 | 後期 | 企画1 |
58 | 渡辺崋山 | 鳥図扇面 | 江戸時代後期 | 紙本淡彩、扇子 | 東京国立博物館 | 前期 | 企画1 |
59 | 渡辺崋山 | 蝙蝠図扇面 | 江戸時代後期 | 紙本淡彩、扇子 | 東京国立博物館 | 後期 | 企画1 |
60 | 渡辺崋山 | 風竹図 | 天保9年(1838) | 絹本墨画、掛幅 | 個人蔵 | 企画1 | |
61-1 | 吉澤家世碑拓本縮刷版 | 紙本墨刷、掛幅 | 田原市博物館 | 企画1 | |||
61 | 渡辺崋山 | 蘭竹図 | 天保9年(1838) | 絹本墨画、掛幅 | 静嘉堂文庫美術館 | 企画1 | |
62 | 渡辺崋山 | 湖石白猫図 | 天保9年(1838) | 絹本墨画、掛幅 | 田原市博物館 | 企画1、田原市文指定 | |
63 | 渡辺崋山 | 藤花雀蜂図 | 天保9年(1838) | 紙本墨画、掛幅 | 千葉市美術館寄託(嬉遊会コレクション) | 企画1 | 65 | 渡辺崋山 | 歳寒二友図 | 天保10年(1839) | 絹本着色、掛幅 | 田原市博物館 | 企画1 |
66 | 渡辺崋山 | 鸕鷀捉魚図 | 天保11年(1840) | 絹本着色、掛幅 | 出光美術館 | 9/25〜 | 企画1 |
67 | 渡辺崋山 | 墨菊図扇面 | 天保11年(1840) | 紙本墨画、額 | 常葉美術館 | 企画1 | |
68 | 渡辺崋山 | 痩馬図 | 天保11年(1840) | 紙本墨画、掛幅 | 原市博物館館 | 企画1 | |
69 | 渡辺崋山 | 溪澗野雉図(複) | 天保12年(1841) | 絹本着色、掛幅 | 原本は山形美術館 | 企画1 | |
70 | 渡辺崋山 | 乳犬図(乳狗図) | 天保12年(1841) | 絹本淡彩、掛幅 | 黒川古文化研究所 | 企画1 | |
71 | 渡辺崋山 | 乳犬図 | 天保年間 | 絹本淡彩、掛幅 | 田原市博物館 | 前期 | 企画1 |
72 | 渡辺崋山 | 馬図(絵馬) | 天保12年(1841) | 板面墨画、絵馬額 | 企画1、重文指定 | ||
73 | 渡辺崋山 | 黄雀窺蜘蛛図 | 天保年間 | 絹本着色、掛幅額 | 千葉市美術館寄託(嬉遊会コレクション) | 企画1 | |
76 | 渡辺崋山 | 俳画冊 | 天保年間 | 紙本墨画淡彩、画帖 | 田原市博物館 | 企画1 | |
77 | 渡辺崋山 | 蟷螂図扇面 | 天保年間 | 紙本着色、扇面 | 個人蔵 | 企画1 | |
78 | 渡辺崋山 | 豊干禅師騎虎図 | 天保年間 | 紙本墨画、掛幅 | 田原市博物館 | 後期 | 企画1 |
79 | 渡辺崋山 | 桃花文禽図 | 天保年間 | 紙本着色、掛幅 | 個人蔵 | 前期 | 企画1 |
80 | 渡辺崋山 | 崋山俳画譜 | 嘉永2年(1849) | 紙本色刷、冊子 | 田原市博物館 | 企画1 | |
81 | 渡辺崋山 | 歳寒二友麗芝図扇面 | 天保7年(1836) | 紙本着色、扇面 | 本間美術館 | 企画1 | |
82 | 渡辺崋山 | 桃蟻図扇面 | 天保8年(1837) | 紙本着色、扇面 | 本間美術館 | 企画1 | |
83 | 渡辺崋山 | 十二支図巻 | 江戸時代後期 | 紙本着色、巻子 | 田原市博物館 | 企画1 | |
84 | 渡辺崋山 | 橙柿図 | 江戸時代後期 | 紙本淡彩、掛幅 | 個人蔵 | 後期 | 企画1 |
85 | 渡辺崋山 | 絵事御返事 | 天保11・12年(1840・1841) | 紙本墨書、冊子 | 田原市博物館 | 企画1、重文指定 | |
86 | 渡辺崋山 | 蘭竹図 | 天保年間 | 紙本墨画、掛幅 | 個人蔵 | 後期 | 企画1、重文指定 |
87 | 椿椿山 | 十二支図帖 | 文政年間 | 絹本着色、画帖 | 個人蔵 | 企画1、重文指定 | |
88 | 椿椿山 | 清香萬年図 | 天保2年(1831) | 絹本着色、掛幅 | 田原市博物館 | 後期 | 企画2 |
89 | 椿椿山 | 蓮根図 | 天保3年(1832) | 絹本着色、掛幅 | 個人蔵 | 前期 | 企画2 |
90 | 椿椿山 | 魚楽図 | 天保7年(1836) | 絹本淡彩、掛幅 | 上野記念館 | 後期 | 企画2 |
91 | 椿椿山 | 鯉魚図 | 天保8年(1837) | 絹本淡彩、掛幅 | 個人蔵 | 前期 | 企画2 |
92 | 椿椿山 | 茗荷茄子秋虫 | 天保9年(1838) | 絹本淡彩、掛幅 | 田原市博物館 | 後期 | 企画2 |
93 | 椿椿山 | 紅葉小禽図 | 天保年間 | 絹本淡彩、掛幅 | 田原市博物館 | 前期 | 企画2 |
94 | 椿椿山 | 足利遊記 | 天保13年(1842) | 紙本墨画淡彩、冊子 | 山形美術館、山形県指定有形文化財山長谷川コレクション | 企画1 | |
95 | 椿椿山・椿華谷 | 放生図 | 天保13年(1842) | 紙本墨画・淡彩、双幅 | 田原市博物館 | 企画1 | |
96 | 椿椿山 | 南天樹図(金朱天) | 天保13年(1842) | 絹本着色、掛幅 | 個人蔵 | 後期 | 企画2 |
97 | 椿椿山 | 三亀図 | 天保13年(1842) | 絹本着色、掛幅 | 個人蔵 | 前期 | 企画2 |
98 | 椿椿山 | 花画譜 | 天保13年(1842) | 紙本着色・墨画、画帖 | 田原市博物館 | 企画1 | |
99 | 椿椿山 | 八百延年図 | 天保14年(1843) | 紙本着色、掛幅 | 田原市博物館 | 企画2 | |
100 | 椿椿山 | 琢華堂画譜 | 天保14年(1843) | 紙本淡彩、折帖 | 田原市博物館、10帖 | 企画1 | |
101 | 椿椿山 | 竹石図 | 弘化元年(1844) | 絹本着色、掛幅 | 個人蔵 | 企画2 | |
102 | 椿椿山 | 琢華翁画冊 | 弘化年間 | 絹本着色、画帖 | 個人蔵 | 企画2 | |
103 | 椿椿山 | 菊竹図扇面 | 嘉永年間 | 紙本淡彩、扇面 | 田原市博物館 | 企画1 | |
104 | 椿椿山 | 蔬果之図 | 嘉永2年(1849) | 絹本着色、掛幅 | 田原市博物館 | 後期 | 企画2 |
105 | 椿椿山 | 水墨花卉画冊 | 嘉永2年(1849) | 紙本墨画、画帖 | 田原市博物館 | 後期 | 企画2 |
106 | 椿椿山 | 寒香図 | 嘉永3年(1850) | 絹本淡彩、掛幅 | 田原市博物館 | 後期 | 企画2 |
107 | 椿椿山 | 梨小禽蓮荷甲蟹 | 嘉永3年(1850) | 絹本着色、双幅 | 個人蔵 | 前期 | 企画2 |
108 | 椿椿山 | 歳寒僊品図 | 嘉永4年(1851) | 紙本着色、掛幅 | 常葉美術館 | 企画2 | |
109 | 椿椿山 | 老圃秋容 | 嘉永5年(1852) | 紙本着色、掛幅 | 個人蔵 | 企画2 | |
110 | 椿椿山 | 花鳥画帖 | 嘉永5年(1852) | 紙本着色、画帖 | 個人蔵 | 企画1 | |
111 | 椿椿山 | 歳寒二友図 | 嘉永6年(1853) | 絹本着色、掛幅 | 個人蔵 | 企画2 | |
112 | 椿椿山 | 荷花湖石図 | 嘉永年間 | 紙本着色、掛幅 | 個人蔵 | 企画2 | |
113 | 椿椿山 | 山桜図扇面 | 江戸時代後期 | 紙本着色、扇面 | 常葉美術館 | 後期 | 企画1 |
114 | 椿椿山 | 四季草花図 | 江戸時代後期 | 絹本着色、額 | 個人蔵 | 企画1 | |
115 | 椿椿山 | 柳に蝉図扇面 | 嘉永年間 | 紙本着色、扇面 | 個人蔵 | 後期 | 企画1 |
116 | 椿椿山 | 草花図扇面 | 嘉永年間 | 紙本着色、扇面 | 個人蔵 | 前期 | 企画1 |
117 | 椿椿山 | 桃家春帖 | 天保〜嘉永年間 | 紙本墨刷、冊子 | 田原市博物館 | エントランスギャラリー | |
118 | 高野長英著・渡辺崋山 | 二物考 | 明治16年(1883) | 紙本墨刷、冊子 | 田原市博物館 | 常設 | |
119 | 芥子園画伝 | 紙本墨刷、冊子 | 田原市博物館、4冊、椿椿山旧蔵 | 企画2 |
テーマX 崋椿系への流れ | |||||||
No. | 作家名 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 所蔵 | 展示期間 | 展示室等 |
120 | 椿華谷 | 牡丹子母猫図 | 嘉永2年(1849) | 絹本着色、掛幅 | 田原市博物館 | 企画1 | |
121 | 渡辺小華 | 受天柏禄図 | 嘉永5年(1852) | 紙本着色、掛幅 | 田原市博物館 | 企画1 | |
122 | 渡辺小華 | 湖石睡猫図 | 明治4年(1871) | 紙本着色、掛幅 | 田原市博物館 | 企画1 | |
123 | 渡辺小華 | 水指公子図 | 明治時代 | 木製 | 田原市博物館 | 企画1 |
※期間中、展示を変更する場合がございます。また展示室は作品保護のため、照明を落としてあります。ご了承ください 。
● 宋紫石[そう しせき] 正徳5年(1715)〜天明6年(1786)
江戸で生まれた。本名は楠本幸八郎、雪溪とも号した。宋紫石の名は宝暦8年(1758)に来日した中国人画家宋紫岩にちなむ。長崎で南蘋派の熊斐や宋紫岩に絵を学び、江戸で広めた。平賀源内の『物類品隲』に挿絵を提供した。宋紫石は南蘋画からモチーフを減らし、画面をすっきりと整理した。新鮮でなじみやすい中国風の画風は中国趣味を持つ大名たちに支持され、紫石は姫路藩主酒井忠以(ただざね)(号を宗雅(そうが)、抱一の兄、1756〜1790)、大和郡山藩主柳沢伊信(信鴻、1724〜1792)、伊勢長島藩主増山正賢(ましやま号を雪斎、1754〜1819)、西尾藩主松平乗完(のりさだ、1752〜1793)らと交際した。秋田蘭画の小田野直武(1749〜1780)にも影響を与えた。
● 小田野直武[おだの なおたけ] 寛延2年(1749)〜安永9年(1780)
秋田藩内角館城下の武士で、安永2年(1773)、秋田藩八代藩主佐竹義敦(号を曙山、1748〜1785)から銅山方産物他所取次役を命じられ、江戸へ出て、平賀源内(1728〜1779)のもとで西洋画の理論・技法を学んだ。曙山とともに西洋画法を使った制作に取り組んだが、安永八年、謹慎を命じられ、失意のうち、翌年没した。『解体新書』の挿絵の筆を執ったことでも知られる。代表作は「不忍池図」(重要文化財、秋田県立近代美術館所蔵)。角館の松庵寺に葬られ、戒名を絶學源真信士という。
● 金子金陵 生年不詳〜文化14年(1817)
旗本寄合席大森勇三郎の家臣で、名を允圭、字は君璋、通称を平太夫、別に日南亭と号す。画を谷文晁(1763〜1840)に学んだといわれ、沈南蘋(1682〜?)風の花鳥画を得意としていた。諸葛監(1717〜1790)、宋紫石(楠本雪渓、1715〜1786)、旗本の董九如(1745〜1802)に学んだとする説もある。大森家には安永年間 (1772〜1781) に田原藩主三宅康之(1729〜1803)の三女お滝が嫁いでいる。崋山自筆の『退役願書稿』(重要文化財、田原市蔵)によれば、白川芝山の画塾の授業料が払えなくなり、父の勧めで金陵の弟子になったとある。崋山の文化12年の日記である『寓画堂日記』や同13年の『謾録』にも、金陵の記述が度々見られる。渡辺崋山・椿椿山・滝沢琴嶺(馬琴の長男1798〜1835)の師として知られる。
金陵は南蘋風からヲ南田風へ転じたと言われている。南蘋風を習得した崋山は単に修業のためではなく、多くの人から収入を得る途でもあり、境遇に同情した文晁が、次々に崋山へ仕事を回していたのではないかとする、森銑三氏の意見もある(創元選書276『新版渡邊崋山』)。
● 渡辺崋山 寛政5年(1793)〜天保12年(1841)
三河国田原藩士の子として江戸に生まれる。名は定静(さだやす)、のち登(のぼり)と称す。字は子安、はじめ華山、のち崋山と号した。また全楽堂・寓画斎などとも称した。八歳より藩の世子御伽役を勤め、藩士としては天保三年(一八三二)四十歳で年寄役に至っている。十三歳で鷹見星皐に入門、のち佐藤一斎に師事した。画においては、金子金陵、さらに谷文晁に入門し、南宗画や南蘋画、また西洋画法を学び、人物画とくに肖像画を中心に花鳥画・山水画に優れた作品を遺している。紀行の記録、スケッチとして描いた真景図も手がけ、伸びやかな線には、その地の生活感や風土、人間などの多面的な情報も記録しようとしている。門人には椿椿山、福田半香、平井顕斎などがいる。蘭学にも精通したが天保十年(一八三九)四十七歳の時、「蛮社の獄」により揚屋入りとなり、翌年一月より田原に蟄居となった。しかし門人達が開いた画会によって藩主に迷惑がかかると憂い、天保十二年、四十九歳で自刃した。
● 椿椿山[つばき ちんざん] 享和元年(1801)〜嘉永7年(1854)
名は弼(たすく)、字は篤甫、椿山・琢華堂・休庵などと号した。江戸に生まれ、父と同じく幕府槍組同心を勤めるとともに、画業・学問に励んだ。平山行蔵(1760〜1829)に師事し長沼流兵学を修め、また俳諧、笙にも長じ、煎茶への造詣も深かった。画は、はじめ金子金陵に学び、金陵没後、同門の渡辺崋山に入門、また谷文晁にも学ぶ。ヲ南田の画風に私淑し、没骨法を得意として、明るい色調の花卉画及び崋山譲りの肖像画を得意とした。
温和で忠義に篤い人柄であったといい、崋山に深く信頼された。崋山の入牢・蟄居の際、救援に努め、崋山没後はその遺児諧(小華)の養育を果たしている。花鳥画家の印象が強いが、紀行としての真景図にも、文晁系画人として非凡なものがある。門人には、渡辺小華(1836〜1887)、野口幽谷(1827〜1898)などを輩出し、「崋椿系」画家の範となった。
● 椿 華谷[つばき かこく] 文政8年(1825)〜嘉永3年(1850)
椿山の長男として生まれ、名を恒吉といった。椿山が崋山の弟如山を弟子にしていたように、幼くして華谷は崋山に入門した。華谷という号は十五歳で与えられたと言われている。如山が崋山と共に田原藩主三宅康直(1811〜1893)の日光祭礼奉行に随行したりて一人立ちすると、華谷は椿山の画技を得るべき人物であった。崋山の友人で番町の学者椿蓼村の娘を妻に迎え、一女をもうけた。残念ながら、椿山に先立ち、26歳で亡くなった。
● 渡辺小華[わたなべ しょうか] 天保6年(1835)〜明治19年(1887)
小華は崋山の二男として江戸麹町に生まれた。崋山が亡くなった時にはわずかに7歳であったため、崋山からの影響は多くなかった。その後、弘化4年(1847)13歳の小華は田原から江戸に出て、椿椿山の画塾琢華堂に入門し、椿山の指導により、花鳥画の技法を習得した。江戸在勤の長兄立が25歳で亡くなったため、渡辺家の家督を相続し、幕末の田原藩の家老職や、廃藩後は参事の要職を勤めた。花鳥画には、独自の世界を築き、宮内庁(明治宮殿)に杉戸絵を残すなど、東三河や遠州の作家に大きな影響を与えたが、53歳で病没した。