平常展 役者絵の世界−忠臣蔵、相撲絵 役者絵展示作品リスト

開催日 平成23年11月12日(土)〜平成23年12月25日(日)  
開館時間 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで) → 相撲絵作品リストはこちら
会場 企画展示室1、企画展示室2  

当館所蔵作品に、芝村義邦氏寄贈の浮世絵があります。浮世とは戦国時代が終わり、平和となった現世を意味します。それまでの戦いが続いた憂世から、現世を楽しもうとする考え方が芽生えました。17世紀後半、それが近世絵画の世界にも投影されて、浮世を画題とした浮世絵が成立しました。
浮世絵は、美人画、役者絵、風景画、花鳥画、相撲絵などありますが、今回は役者絵、相撲絵をご覧いただきます。

展示作品リスト

企画展示室2
No. 作品名 作者名(または款記) 制作年 西暦 備考
11 見立子供忠臣蔵七段目 春扇      
30 仮名手本忠臣蔵初段大序 渓斎英泉      
31 仮名手本忠臣蔵二段目 渓斎英泉      
32 仮名手本忠臣蔵三段目 渓斎英泉      
33 仮名手本忠臣蔵四段目 渓斎英泉      
34 仮名手本忠臣蔵五段目 渓斎英泉      
35 仮名手本忠臣蔵六段目 渓斎英泉      
36 仮名手本忠臣蔵七段目 渓斎英泉      
37 仮名手本忠臣蔵八段目 渓斎英泉      
38 仮名手本忠臣蔵九段目 渓斎英泉      
39 仮名手本忠臣蔵十段目 渓斎英泉      
40 仮名手本忠臣蔵十一段目 渓斎英泉      
41 仮名手本忠臣蔵十二段目 渓斎英泉      
171 見立忠臣蔵三段目 五渡亭国貞     早の勘平-尾上菊五郎、ゑん谷判官三桝源之助
172 見立忠臣蔵四段目五段目 五渡亭国貞     斧定九郎-市川団十郎 大星由良之助-坂東三津五郎)
254 仮名手本忠臣蔵 道行 香蝶楼豊国画      こし元おかる 
255 仮名手本忠臣蔵 道行 一陽斎豊国画      早野勘平
303 役者見立忠臣蔵六段目 歌川国安      
398 忠臣蔵義士本望の図 玉蘭斎貞秀     3枚組
399 忠臣蔵義士本望の図 玉蘭斎貞秀      
400 忠臣蔵義士本望の図 玉蘭斎貞秀      
427 赤穂義士と炭部屋 歌川広重      
585 仮名手本忠臣蔵十二段目 三世歌川国貞 明治23年 1890 大高源吾-中村芝翫、不破数右衛門-市川左團次 3枚組
586 仮名手本忠臣蔵十二段目 三世歌川国貞     大星由良之助-市川團十郎
587 仮名手本忠臣蔵十二段目 三世歌川国貞     大星力弥-中村鶴松、赤垣源蔵-尾上菊五郎
729 新旧芝居役者双六 守川周重      
736 仮名手本忠臣蔵 大序 一幽斎重宣(二代広重)      
737 仮名手本忠臣蔵 二段目 一幽斎重宣(二代広重)      
738 仮名手本忠臣蔵 三段目 一幽斎重宣(二代広重)      
739 仮名手本忠臣蔵 四段目 一幽斎重宣(二代広重)      
740 仮名手本忠臣蔵 五段目 一幽斎重宣(二代広重)      
741 仮名手本忠臣蔵 六段目 一幽斎重宣(二代広重)      
742 仮名手本忠臣蔵 七段目 一幽斎重宣(二代広重)      
743 仮名手本忠臣蔵 八段目 一幽斎重宣(二代広重)      
744 仮名手本忠臣蔵 九段目 一幽斎重宣(二代広重)      
745 仮名手本忠臣蔵 十段目 一幽斎重宣(二代広重)      
746 仮名手本忠臣蔵 十一段目 一幽斎重宣(二代広重)      
747 仮名手本忠臣蔵 大尾 一幽斎重宣(二代広重)      
815 忠臣蔵まくなし巡道具        

※作品の展示順とは異なります。
※No.は芝村義邦コレクションの整理番号
※期間中、展示を変更する場合がございます。また展示室は作品保護のため、照明を落としてあります。ご了承ください 。

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『仮名手本忠臣蔵』とは

浄瑠璃のひとつで、並木宗輔ほか合作の時代物です。寛延元年(1748)竹本座で初めて演じられました。元禄15年(1702)の赤穂四十七士敵討の顛末を、時代を室町時代に、浅野匠頭を塩谷判官、吉良上野介を高師直、大石内蔵助を大星由良之助など、創作に置き換え脚色したものになります。義士劇中の代表作で、後に歌舞伎化されました。歌舞伎の世界では、いつ上演しても必ずよく当たる作品で、大衆に受け入れられた作品でした。

元禄赤穂事件

元禄14年(1701)3月14日、江戸城松の廊下で、赤穂藩主浅野長矩が、高家肝煎吉良義央上野介に切りつけた刀傷沙汰に端を発する。松の廊下事件では、加害者とされた浅野は、即刻切腹となり、被害者とされた吉良はおとがめなしとされた。その結果を不服とする赤穂藩家老大石良雄ら赤穂藩の旧藩士47人による翌年12月14日の本所・吉良邸への討ち入り及びその後の浪士たちの切腹までの事件。

改印(あらためいん)

江戸時代後期、幕府の指導により浮世絵の内容を検閲する制度ができました。検閲された証(あかし)として版下絵に捺されるのが改印で、そのまま版木(はんぎ)に彫られて摺りに出されました。  改印はどこに捺すということも決まっていませんが、時代によって形や捺される内容が変わります。うっとおしい制度だったろうが、浮世絵研究においては、改印によって制作年代がはっきりとわかる場合もあり、重要な考証材料となります。

続絵(つづきえ)

浮世絵版画では大判・中判・細判(ほそばん)といった判型が基本単位となります。ワイド画面にしたいのなら大きな紙を使えばよいのではないかと思うかもしれませんが、規格外というのはもちろん価格も上がります。また大きな画面を摺るのは非常に大変なことであり、短時間に量産することが難しくなってしまいます。それなら、規格の判型を続けて長くして、一つの絵として鑑賞できるようにすればいいではないか、というのが続絵の考え方です。

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作家解説

渓斎英泉 寛政2年(1790)〜嘉永元年(1848)

江戸に武士の子として生まれ、姓は池田、名を義信という。菊川英山の父とも知り合いで、その家に寄寓していたこともあった。号は渓斎、無名翁、国春楼など。美人画を得意とし、風景画もよく描いた。秘画、艶本などもある。

歌川国貞 天明6年(1786)〜元治元年(1864)

三代歌川豊国の前名で、姓は角田、名は庄蔵、のちに肖造と改めた。文化年間から活躍した。初代豊国に入門し、一雄斎、五渡亭、香蝶楼、浮世又平、一陽斎などと号した。役者絵と美人画を得意とした。活躍年代も長く、作品数は浮世絵師随一である。

五雲亭橋本貞秀 文化4年(1807)〜明治12年(1879)頃

下総国布佐(現千葉県松戸市)に生まれた。本名は橋本兼次郎。国貞に入門し、14歳で挿絵を描く。はじめ五雲亭、のちに玉蘭斎と号した。西洋銅版画の切抜きを集めて写実法を学んだ。実地調査に基づき、「一覧図」と呼ぶ精密な鳥瞰図を作成した。三代豊国没後は人気が最も高かった。慶応2年(1866)のパリ万博に浮世絵師代表として渡欧した。安政5年(1858)に開港した横浜に題材を得た横浜絵の第一人者。

二代 歌川広重(重宣) 文政9年(1826)〜明治2年(1869)

本名は鈴木または森田鎮平。初代広重に入門し、重宣を名乗る。師の没後、安政6年(1859)に師の養女お辰に婿入りして、二代広重を襲名。慶応元年(1865)お辰と離縁。横浜に移り、喜斎立祥と名乗った。

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