会場 | 渥美郷土資料館 企画展示室(2階) |
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休館日 | 毎週月曜日 |
開館時間 | 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで) |
観覧料 | 無料 |
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11月7日(日) 午前11時
田原市博物館学芸員による展示説明。
日本画家。明治九年に山口県萩市に伊藤篤一の二男に生まれ、東京へ出て野口幽谷に文人画を学ぶ。本名は篤。明治三十一年に幽谷門下の松林雪貞と結婚し、松林姓となる。日本美術協会展、文展に出品。帝展の審査員、帝国美術院会員、帝室技芸員となる。戦後、日本美術協会理事長。昭和三十三年文化勲章。昭和三十八年五月死去、八十六歳。代表作に「春宵花影」など。
愛知県豊橋市花田町に生まれ、松林桂月に師事し、桂月同様帝展・文展・日展に出品した作家として知られる。日展では、第5回「雲行雨施」で特選となり、翌年、無鑑査出品となり、以後、社団法人日展となってからも、昭和四十三年まで委嘱作家として活躍する。日本南画院・日本画会など多くの展覧会にも出品し、豊橋文化賞を受けるとともに、渡辺崋山顕彰の功績により田原町町政功労者としても表彰され、遺品は田原市に寄贈された。
明治四十二年、南画家で宮司でもあった白井永川の長男として生まれ、神職を志すとともに父に日本画を学ぶ。四十五歳で羽田八幡宮宮司となる。三十八歳で中村岳陵に師事し、四十歳で日展に初入選し、以後、同展に4回入選。五十一歳で中部日本南画院を創設、八十歳で豊橋文化賞・愛知県文化功労褒状を受賞した。
愛知県渥美郡福江町(現田原市折立町)に生まれ、旧制豊橋中学を経て一高、東京帝国大学国文学科に進み、立原道造や寺田透らと交流した。第二次世界大戦中、郷里に戻り、戦後は共産党に籍を置き、渥美町議会議員を2期務めた。新スタイルのルポルタージュが評判になり、注目を集めた。共産党から離れた後は、畑仕事にいそしみながら、郷土の渡辺崋山をはじめとした江戸時代の文人を取り上げた小説や評論、食べ物エッセイ、翻訳などの多分野で活躍した。
愛知県渥美郡福江町中山(田原市小中山町)に生まれる。昭和三年、東京高等師範学校を卒業し、白日会展に出品。昭和十三年から十七年にかけて大潮会展で連続4回特選受賞。昭和十三年から三十八年までの文展や日展に15回出品を果たす。昭和十六年から昭和三十九年までの間には、創元会展にも出品。昭和十七年、大潮会賞、創元会賞を受賞。昭和二十二年、創元会会員(〜同三十九年まで)。昭和四十二年から示現会会員(〜同五十年まで)。愛知教育大学名誉教授、愛知淑徳短期大学教授を務めた。昭和五十四年、勳三等旭日中綬賞を受賞。平成三年、郷里渥美に一時帰郷するも翌年逝去した。
〒441-3695 田原市古田町岡ノ越6番地4 TEL:0531-33-1127 URL:http://www.taharamuseum.gr.jp |