企画展同時開催 渡辺崋山が描く人と動物
展示期間 平成16年3月25日(木)〜 5月16日(日)
展示作品リスト
特別展示室
指定
作品名
作者名
年代 備考
  画道名巻(がどうめいかん)
 雙鴨悠遊(そうおうゆうゆう)
 杜若蜻蛉(とじゃくせいれい)
 張良扼上(ちょうりょうやくじょう)
 梔子雙雀(くちなしそうじゃく)

渡辺崋山(わたなべかざん)
渡辺崋山
渡辺崋山
渡辺崋山

天保年間
天保年間
天保年間
天保年間
 
  陳居中官女媚秀図(ちんきょちゅうかんじょびしゅうず) 渡辺崋山 文政年間  
  関羽像(かんうぞう)(複製) 渡辺崋山 文化11年(1814)  
  藤花雀蜂図(とうかじゃくほうず) 渡辺崋山 天保10年(1839) 個人蔵
  祭之図(まつりのず) 渡辺崋山 江戸時代後期 個人蔵
  千利休居士像(せんのりきゅうこじぞう) 渡辺崋山 江戸時代後期  
市文 換鵞図(かんがず) 渡辺崋山 文政年間  
  竹中元真像(たけなかげんしんぞう) 渡辺崋山 江戸時代後期 個人蔵
  尺牘(せきとく)・立原翠軒肖像(たちはらすいけんしょうぞう) 渡辺崋山 江戸時代後期 個人蔵
  鹿図(しかず) 渡辺崋山 江戸時代後期 個人蔵
  猛虎図(もうこず) 渡辺崋山 江戸時代後期 個人蔵
  芦雁之図(ろがんのず) 渡辺崋山 文政8年(1825) 個人蔵
  桃花文禽図(とうかぶんきんず) 渡辺崋山 江戸時代後期 個人蔵
         
春の企画展
  香魚図(こうぎょず) 白井永川(しらいえいせん) 昭和 個人蔵
  蔬果図(そかず) 白井永川 昭和 個人蔵
  闔家全慶之図(こうかぜんけいのず) 白井永川 明治43年(1910) 個人蔵
  漁艇図(ぎょていず) 白井永川 大正2年(1913) 個人蔵
  秋景山水之図(しゅうけいさんすいのず) 白井永川 大正6年(1917) 個人蔵
  巌上孔雀之図(がんじょうくじゃくのず) 白井永川 大正9年(1920) 個人蔵
         
※期間中、展示を変更する場合がございます。また展示室は作品保護のため、
 照明を落としてあります。ご了承ください 。


展示の見どころと作品解説
渡辺崋山 (わたなべかざん)  寛政5年(1793) 〜 天保12年(1841)
 崋山は江戸麹町田原藩上屋敷に生まれました。絵は金子金陵から谷文晁につき、人物・山水画では、西洋的な印影・遠近画法を用い、日本絵画史にも大きな影響を与えました。天保3年、40歳で藩の江戸家老となり、困窮する藩財政の立て直しに努めながら、幕末の激動の中で内外情勢をよく研究し、江戸の蘭学研究の中心にいましたが、「蛮社の獄」で高野長英らと共に投獄され、在所蟄居となりました。画弟子たちが絵を売り、恩師の生計を救おうとしますが、藩内外の世評により、藩主に災いの及ぶことをおそれ、天保12年に田原池ノ原で自刃しました。

白井永川 (しらいえいせん)  明治17年(1884) 〜 昭和17年(1942)
 渥美郡花田町大塚(現在の豊橋市西羽田町)に農業を営む白井勝平の長男として生まれ、名は儀三郎、字は義人、永川と号した。18歳頃、渡辺小華の弟子で、牟呂八幡宮の神主であった森田緑雲について南画と国学の教えを受けた。緑雲の勧めで、神職を志し、明治42年に25歳で花田町素盞神社、飯村熊野神社、大村八所神社ほか数社の社掌を拝命した。神職と画の勉強以外に、蜜柑園を耕作し、家の周りがミカン畑であったので、この頃の堂号を甘林園と号した。
 大正6年(1917)、師の緑雲没後、東三河南画界の若手として活躍していた永川は弟子たちと豊橋南宗画会を創立し、後進を育成し、南画の興隆に努めた。従兄弟の白井烟_が大正9年の第2回帝展に初入選すると、出身地の豊橋でも南画の機運は大いに高まり、画家を目指す若手は東京や京都へと居を移した。大正11年には、永川は牟呂八幡宮の社司となった。牟呂八幡宮の境内は檜、杉、椎などの大木が茂り、昼も暗いため、社務所の一室を霊雲深處と号し、画室とした。永川は宗偏流の茶道を修め、霊雲深處に来客があると、抹茶を点てていた。大正末期には、永川は豊橋画壇の中心となったが、豊橋南宗画会はその機能を失い、展覧会を催すことはなかった。昭和8年(1933)に、豊橋南宗画会は南画団体の墨友会と合同で、豊橋日本画協会を発足させ活動を再開した。さらに、洋画家も加え、豊橋美術協会となり、豊橋美術展が開催されるようになった。
 昭和15年(1940)に脳出血で倒れる前には、写生を基調とした花鳥画を製作し続けていた。倒れてのちは、残念ながら筆をとることはできず、昭和17年に再発し、帰らぬ人となった。
 若い頃には、松坂眠石に篆刻を学び、大正12年の関東大震災で烟ガイの友人らが画印を焼失すると、印を刻して贈った。烟ガイには「存其心養其性」と朱文で刻した遊印を贈り、烟ガイはこれを終世愛用した。

田原市博物館/〒441-3421愛知県田原市田原町巴江11-1 TEL:0531-22-1720 FAX:0531-22-2028
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