明治150年 宮川春汀の錦絵

開催日 平成30年12月15日(土)〜平成31年2月3日(日)
開館時間 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
会場 企画展示室2

展示作品リスト

企画展示室2
No. 資料名   発行年 版元 形態 落款 備考
1 こども遊  手鞠 明治29(1896)年 大黒屋(松木平吉) 一枚物 宮川春汀  
2 小供風俗  物詣 明治29(1896)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物 宮川春汀  
3 小供風俗  やり羽子 明治29(1896)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物 春汀漁史  
4 小供風俗  折もの 明治29(1896)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物 春汀漁史  
5 小供風俗  汐干がり 明治29(1896)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物 春汀漁民  
6 小供風俗  ままごと 明治29(1896)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物 宮川春汀  
7 小供風俗  編みもの 明治29(1896)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物 春汀漁人  
8 小供風俗  めんこあそび 明治30(1897)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物    
9 小供風俗  たこあげ 明治30(1897)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物    
10 小供風俗  たうせんきゃう 明治30(1897)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物    
11 小供風俗  たまや 明治29(1896)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物    
12 小供風俗  せんこはなび 明治29(1896)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物    
13 小供風俗  たけうま 明治30(1897)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物    
14 小供風俗  うをつり 明治30(1897)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物 春汀漁史  
15 小供風俗  おにごっこ 明治30(1897)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物 春汀  
16 小供風俗  かくれんぼう 明治30(1897)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物    
17 小供風俗  動物園 明治30(1897)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物    
18 当世風俗通  茶乃湯 明治37(1904)年 大黒屋(松木平吉) 三枚組版画 宮川春汀 展示替(前期)
19 当世風俗通  つみくさ 明治32(1899)年 大黒屋(松木平吉) 三枚組版画 応需春汀 展示替(後期)
20 有喜世之華 外出 明治30(1897)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物 春汀漁史  
21 有喜世之華 描画 明治30(1897)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物 宮川春汀  
22 有喜世之華 海水浴 明治30(1897)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物 宮川春汀  
23 有喜世之華 かるたとり 明治30(1897)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物 宮川春汀  
24 有喜世之華 化粧 明治30(1897)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物 宮川春汀  
25 有喜世之華 火のし 明治31(1898)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物 春汀漁史 展示替(前期)
26 有喜世之華 縫とり 明治31(1898)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物 春汀漁史 展示替(後期)
27 有喜世之華 庭の秋草 明治31(1898)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物 春汀漁史 展示替(前期)
28 有喜世之華 紅葉狩り 明治31(1898)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物 春汀漁史 展示替(後期)
29 有喜世之華 窓辺の牡丹 明治31(1898)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物 春汀漁史  
30 有喜世之華 人力車と洋傘の女 明治31(1898)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物 宮川春汀  
31 有喜世之華 宮詣 明治31(1898)年 滑稽堂(秋山武右衛門) 一枚物 春汀漁史  
32 風俗通  村雨 明治30(1897)年 具足屋(福田初次郎) 一枚物 春汀漁史 展示替(前期)
33 風俗通  銀世界 明治30(1897)年 具足屋(福田初次郎) 一枚物 春汀漁史 展示替(後期)
34 美人十二ヶ月 其一 追羽子 明治31(1898)年 大黒屋(松木平吉) 三枚組版画 宮川春汀  
35 美人十二ヶ月 其二 観梅 明治31(1898)年 大黒屋(松木平吉) 三枚組版画 宮川春汀  
36 美人十二ヶ月 其三 桜がり 明治31(1898)年 大黒屋(松木平吉) 三枚組版画 宮川春汀  
37 美人十二ヶ月 其五 藤見 明治32(1899)年 大黒屋(松木平吉) 三枚組版画 春汀漁史 展示替(前期)
38 美人十二ヶ月 其七 海水浴 明治31(1898)年 大黒屋(松木平吉) 三枚組版画 春汀漁史 展示替(後期)
39 美人十二ヶ月 其十 紅葉 明治32(1899)年 大黒屋(松木平吉) 三枚組版画 春汀漁史  
40 美人十二ヶ月 其十一 嫁入 明治32(1899)年 大黒屋(松木平吉) 三枚組版画 宮川春汀  

※期間中、展示替をします。
 ・前期:平成30年12月15日(土)〜平成31年1月14日(月・祝)
 ・後期:平成31年1月16日(水)〜平成31年2月3日(日)
※本リストに掲載の作品が都合により展示されていない場合があります。
※期間中、展示を変更する場合がございます。また展示室は作品保護のため、照明を落としてあります。ご了承ください。

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宮川春汀の生涯

宮川春汀は、明治6(1873)年11月11日、畠村(現在の田原市福江町)の当地きっての豪商であった渡辺家の次男として生まれ、守吉と名づけられました。生家の渡辺家は、代々長右衛門か五郎右衛門を名乗り、畠湊の河岸通り(福江町下地)で廻船業と薬種問屋を営んでいました。その昔、身分の高い人たちの宿に使われた事から地元では「宿本(しゅくもと)」あるいは「お宿(しゅく)」と敬称され、後にはその屋号が「宿本屋」と呼ばれるようになりました。かの伊能忠敬が沿岸測量のため、享和3(1803)年に畠村を訪れた際には、ここに宿泊したことが記録されています。
14歳となった守吉は、こちらも畠村の旧家で当時絶家となっていた宮川善左衛門の名跡を継ぎ、宮川の姓を名乗ることになりました。この宮川家も畠村七党(宮川、天野、荒木、松野、竹本、朽木、戸田)の流れを汲み、南北朝時代には、原の島へ潮音堂が建立された際に、その開基に助力し、現在の潮音寺(福江町)が寺格を持った際にもこの家が中興開基者となって大きな功績を残したとされた家でした。

明治23(1890)年、17歳の時、幼少の頃からの夢であった画家を目指して東京に行き、挿絵界で活躍していた画家富岡永洗の弟子となりました。そこで一生懸命に画を勉強した守吉は、師匠より最初「蓬斎洗圭」の名前をもらい、「風俗画報」という雑誌に初めての挿絵が掲載されました。その後、作品の制作が軌道に乗り始めた明治28(1895)年に「春汀」と改名して、宮川春汀が誕生しました。
その名を春汀とした翌年からは、錦絵(色刷りの浮世絵版画)にも挑戦します。春汀の錦絵は、特に子どもの遊びや生活の様子を描いたものや美人画にすぐれ、その名は徐々に知られるようになりました。しかし春汀は、熱中していた錦絵の制作を5年でやめ、以後は再び挿絵画家としての道を進むこととなりました。

明治30(1897)年、結婚をきっかけにその新居を本郷に移した春汀は、ここで多くの文人たちと交流を深めることとなりました。春汀は、詩人の太田玉茗と親友になり、玉茗の部屋に集まる友人たちに自分の故郷である渥美半島のすばらしい景色や人々の温かさについて話をしました。その話に関心を持った柳田國男、田山花袋、太田玉茗などが後に伊良湖岬を訪れることとなりました。

明治32(1899)年になると、大手雑誌社であった博文館から少年文学関係雑誌への挿絵の仕事が増え、明治37年からは、大人向けの小説などの挿絵も担当するようになりました。

明治38(1905)年、不幸にも最愛の長女を電車事故で亡くした春汀は、挿絵画家ではなく、日本画家としての活躍を夢見るようになります。しかし、これに失敗すると芸術上の悩みも加わり、ノイローゼのような状態になってしまいます。こうして、大正3(1914)年に病気となった春汀は、その年の7月26日に41歳という若さで亡くなりました。


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