開催日 | : | 平成30年9月8日(土)〜平成30年10月21日(日)
・前期展示:9月8日(土)〜9月30日(日) |
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開館時間 | : | 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで) | → 展示情報詳細はこちら |
会場 | : | 田原市博物館 |
テーマT:中国へのあこがれ 明清絵画への憧憬 | ||||||||
番号 | 指定 | 作品名 | 作者名 | 制作年 | 西暦 | 所蔵、備考 | 展示室 前後期 | |
1 | 亀台金母図 | 渡辺崋山 | 文化8年 | 1811 | 個人蔵 | 特 | ||
2 | 関帝像 | 渡辺崋山 | 文化9年 | 1812 | 田原市博物館 | 特 後 | ||
3 | 王羲之図 | 渡辺崋山 | 文化10年 | 1813 | 個人蔵 | 特 前 | ||
4 | 蘆汀双鴨図 | 渡辺崋山 | 文化11年 | 1814 | 常葉美術館 | 特 | ||
5 | 蘆芙蓉双鴨之図 | 渡辺崋山 | 文化年間 | 田原市博物館 | 特 | |||
6 | 高士愛虎図 | 渡辺崋山 | 文化12年 | 1815 | 静嘉堂文庫美術館 | 特 前 | ||
7 | 静岡県文 | 呂公釣渭図 | 渡辺崋山 | 文化13年 | 1816 | 個人蔵 | 特 | |
8 | 西王母図 | 渡辺崋山 | 文化13年 | 1816 | 常葉美術館 | 特 | ||
9 | 海鶴遐齢図 | 渡辺崋山 | 文化13年 | 1816 | 田原市博物館 | 特 後 | ||
10 | 秋草小禽図 | 渡辺崋山 | 文政元年 | 1818 | 田原市博物館 | 特 | ||
11 | 闔家全慶図 | 渡辺崋山 | 文政9年 | 1826 | 田原市博物館 | 特 | ||
12 | 重美 | 十友双雀図(名花十友図) | 渡辺崋山 | 文政9年 | 1826 | 個人蔵 | 特 | |
13 | 芝仙祝寿図 | 渡辺崋山 | 天保4年 | 1833 | 田原市博物館 | 特 | ||
14 | 藤花雀蜂図 | 渡辺崋山 | 天保10年 | 1839 | 田原市博物館 | 特 | ||
15 | 痩馬図 | 渡辺崋山 | 天保11年 | 1840 | 田原市博物館 | 特 | ||
16 | 重美 | 月下鳴機図 | 渡辺崋山 | 天保年間 | 1840〜 | 静嘉堂文庫美術館 | 特 後複製 |
テーマU:写実を極める 花鳥画 | ||||||||
番号 | 指定 | 作品名 | 作者名 | 制作年 | 西暦 | 所蔵、備考 | 展示室 前後期 | |
18 | 田原市文 | 湖石白猫図 | 渡辺崋山 | 天保9年 | 1838 | 田原市博物館 | 特 前 | |
19 | 栃木県文 | _毛虫魚冊 | 渡辺崋山 | 天保9〜12年 | 1838〜1841 | 草雲美術館 | 特 | |
20 | 重文 | 遊魚図(海錯図) | 渡辺崋山 | 天保11年 | 1840 | 静嘉堂文庫美術館 | 企1 後 | |
21 | 重美 | 異魚図 | 渡辺崋山 | 天保11年 | 1840 | 個人蔵 | 企1 前 | |
22 | 乳犬図(乳狗図) | 渡辺崋山 | 天保12年 | 1841 | 黒川古文化研究所 | 特 | ||
23 | 静岡県文 | 蟲魚帖稿 | 渡辺崋山 | 天保12年 | 1841 | 浜松市美術館 | 特 | |
24 | 秋容野蟀図 | 渡辺崋山 | 天保年間 | 田原市博物館 | 特 | |||
25 | 黄雀窺蜘蛛図 | 渡辺崋山 | 天保12年 | 1841 | 千葉市美術館寄託(嬉遊友会コレクション) | 特 | ||
26 | 蟷螂図扇面 | 渡辺崋山 | 天保年間 | 個人蔵 | 特 | |||
27 | 蛛網捕虫図扇面 | 渡辺崋山 | 天保年間 | 個人蔵 | 特 | |||
28 | 十二支図巻 | 渡辺崋山 | 天保年間 | 田原市博物館 | 特 |
テーマV:崋山を知る | ||||||||
番号 | 指定 | 作品名 | 作者名 | 制作年 | 西暦 | 所蔵、備考 | 展示室 前後期 | |
29 | 縮図 | 渡辺崋山 | 文化7年 | 1810 | 個人蔵 | 企1 | ||
30 | 重美 | 崋山先生謾録 | 渡辺崋山 | 文化13年 | 1816 | 個人蔵 | 特 | |
31 | 三十六歌仙図 | 渡辺崋山 | 文化13年 | 1816 | 浜松市美術館 | 企1 | ||
32 | 中秋歩月五言律詩 | 渡辺崋山 | 文政2年 | 1819 | 田原市博物館 | 特 | ||
33 | 玄同放言 | 渡辺崋山 | 文政元・3年 | 1818・1820 | 田原市博物館 | 企1 | ||
34 | 夏山欲雨図 | 渡辺崋山 | 文政3年 | 1820 | 田原市博物館 | 企2 | ||
35 | 重美 | 壬午図稿 | 渡辺崋山 | 文政5年 | 1822 | 田原市博物館 | 企1 | |
36 | 癸未画稿 | 渡辺崋山 | 文政6年 | 1823 | 田原市博物館 | 企1 | ||
37 | 重文 | 四州真景図(複製) | 渡辺崋山 | 文政8年 | 1825 | 個人蔵 | 企1 | |
38 | 県文 | 全楽堂日録 | 渡辺崋山 | 文政13年〜天保4年 | 1830〜1833 | 個人蔵 | 企1 | |
39 | 游相日記(複製) | 渡辺崋山 | 大正7年 (原本)天保2年 |
1831 | 田原市博物館 | 企1 | ||
40 | 毛武游記図巻 | 渡辺崋山 | 天保2年 | 1831 | 常葉美術館 | 企1 | ||
41 | 夏冬山水図 | 渡辺崋山 | 天保2年 | 1831 | 田原市博物館 | 企2 | ||
42 | 重美 | 客坐掌記 | 渡辺崋山 | 天保3年 | 1832 | 田原市博物館 | 企1 | |
43 | 訪_録(写本) | 渡辺崋山 | 天保4年 | 1833 | 田原市博物館 | 企1 | ||
44 | 愛知県文 | 客参録 | 渡辺崋山 | 天保4年 | 1833 | 個人蔵 | 企1 | |
45 | 参海雑志(複製) | 渡辺崋山 | 大正9年 (原本)天保4年 |
1920(1833) | 田原市博物館 | 企1 | ||
46 | 富峰驟雨図 | 渡辺崋山 | 天保5年 | 1834 | 常葉美術館 | 企2 | ||
47 | 水墨山水図 | 渡辺崋山 | 天保6年 | 1835 | 個人蔵 | 企1 | ||
48 | 門田之栄 | 渡辺崋山 | 天保6年 | 1835 | 田原市博物館 | 企1 | ||
49 | 重美 | 客坐掌記 | 渡辺崋山 | 天保9年 | 1838 | 田原市博物館 | 企1 | |
50 | 旭日浴波図 | 渡辺崋山 | 天保8年 | 1837 | 田原市博物館 | 企2 前 | ||
51 | 重美 | 溪山細雨図 | 渡辺崋山 | 天保9年 | 1838 | 静嘉堂文庫美術館 | 企2 後 | |
52 | 乳犬図 | 渡辺崋山 | 天保年間 | 田原市博物館 | 企2 | |||
53 | 重文 | 孔子像 | 渡辺崋山 | 天保9年 | 1838 | 田原市博物館 | 特 | |
54 | 雛祭図 | 渡辺崋山 | 天保9年 | 1838 | 田原市博物館 | 企2 | ||
55 | 豊干禅師騎虎図 | 渡辺崋山 | 天保年間 | 田原市博物館 | 企2 | |||
56 | 鄭老蘭詩 | 渡辺崋山 | 天保年間 | 1840〜 | 個人蔵 | 企2 | ||
57 | 重文 | 自筆手本(忠孝) | 渡辺崋山 | 天保年間 | 田原市博物館 | 常 | ||
58 | 東銘屏風 | 渡辺崋山 | 天保年間 | 田原市博物館 | 特 前 | |||
59 | 西銘屏風 | 渡辺崋山 | 天保9年 | 1838 | 田原市博物館 | 特 後 | ||
60 | 全楽余韻(高木梧庵宛) | 渡辺崋山 | 天保3・6・9年 | 1832〜1837 | 公益財団法人櫻谷文庫 | 企1 | ||
61 | 田原御三人様宛書簡 | 渡辺崋山 | 天保9年 | 1838 | 田原市博物館 | 企1 | ||
62 | 俳画冊 | 渡辺崋山 | 天保年間 | 田原市博物館 | 企1 | |||
63 | 崋山俳画譜(複製) | 渡辺崋山 | 大正15年(原本は嘉永2年) | 1926(1849) | 田原市博物館 | エントランス | ||
64 | 重美 | 牡丹図 | 渡辺崋山 | 天保12年 | 1841 | 田原市博物館 | 企2 | |
65 | 重文 | 獄廷素描及び記録 | 渡辺崋山 | 天保10・11年 | 1839・1840 | 田原市博物館 | 企1 | |
66 | 重文 | 自筆画論(画譚、絵事御返事) | 渡辺崋山、椿椿山 | 天保11・12年 | 1840・1841 | 田原市博物館 | 企1 | |
67 | 重文 | 日月大黒天図 | 渡辺崋山 | 天保12年 | 1841 | 田原市博物館 | 企2 | |
68 | 重文 | 馬図(絵馬) | 渡辺崋山 | 天保12年 | 1841 | 特 | ||
69 | 重文 | 千山万水図 | 渡辺崋山 | 天保12年 | 1841 | 田原市博物館 | 企2 | |
70 | 重美 | 黄粱一炊図 | 渡辺崋山 | 天保12年 | 1841 | 個人蔵 | 企2 | |
参考 | 唐土名勝図絵(巻六) | 渡辺崋山 | 文化2年 | 1805 | 田原市博物館 | 企2 | ||
71 | 重文 | 遺書(渡辺立宛) | 渡辺崋山 | 天保12年 | 1841 | 田原市博物館 | 企1 | |
72 | 重文 | 遺書(椿椿山宛) | 渡辺崋山 | 天保12年 | 1841 | 田原市博物館 | 企1 | |
73 | 重文 | 自筆墓表(不忠不孝渡辺登) | 渡辺崋山 | 天保12年 | 1841 | 田原市博物館 | 企2 | |
74 | 重文 | 自決脇差 | 東播士祐國 | 文政年間 | 田原市博物館 | 常 |
テーマW:人を描く 交流の輪 | ||||||||
番号 | 指定 | 作品名 | 作者名 | 制作年 | 西暦 | 所蔵、備考 | 展示室 前後期 | |
75 | 重美 | 寓絵堂日録 | 渡辺崋山 | 文化14年 | 1817 | 個人蔵 | 企1 | |
76 | 重文 | 一掃百態図 | 渡辺崋山 | 文政元年 | 1818 | 田原市博物館 | 企1 | |
77 | 坪内老大人像画稿 | 渡辺崋山 | 文政年間 | 東京国立博物館 | 企1 | |||
参考 | 雲煙過眼 | 椿椿山 | 文政5年 | 1822 | 田原市博物館 | 企1 | ||
78 | 坪内老大人像 | 渡辺崋山 | 文政元年 | 1818 | 東京国立博物館 | 企1 | ||
79 | 重美 | 佐藤一斎像画稿 第二 | 渡辺崋山 | 文政4年頃 | 1821頃 | 個人蔵 | 企1 | |
80 | 佐藤一斎像画稿 第三 | 渡辺崋山 | 文政4年頃 | 1821頃 | 千葉市美術館 | 企1 | ||
81 | 佐藤一斎像画稿 第四 | 渡辺崋山 | 文政4年頃 | 1821頃 | 千葉市美術館 | 企1 | ||
82 | 佐藤一斎像画稿 第五 | 渡辺崋山 | 文政4年頃 | 1821頃 | 千葉市美術館 | 企1 | ||
83 | 佐藤一斎像画稿 第六 | 渡辺崋山 | 文政4年頃 | 1821頃 | 千葉市美術館 | 企1 | ||
84 | 佐藤一斎像画稿 第七 | 渡辺崋山 | 文政4年頃 | 1821頃 | 千葉市美術館 | 企1 | ||
85 | 重美 | 佐藤一斎像画稿 第十一 | 渡辺崋山 | 文政4年頃 | 1821頃 | 個人蔵 | 企1 | |
86 | 重文 | 佐藤一斎像 | 渡辺崋山 | 文政4年 | 1821 | 東京国立博物館 | 企1 | |
87 | 両国橋図稿 | 渡辺崋山 | 江戸時代後期 | 田原市博物館 | 企1 | |||
88 | 重文 | 渡辺巴洲像画稿 | 渡辺崋山 | 文政7年 | 1824 | 田原市博物館 | 企1 | |
89 | 重文 | 渡辺巴洲像画稿(五図) | 渡辺崋山 | 文政7年 | 1824 | 田原市博物館 | 企1 | |
90 | 重美 | 松崎慊堂像画稿その一 | 渡辺崋山 | 文政9年 | 1826 | 個人蔵 | 企1 後複製 | |
91 | 重美 | 松崎慊堂像画稿その二 | 渡辺崋山 | 天保年間 | 個人蔵 | 企1 後複製 | ||
92 | 佐藤信全(一空)像 | 渡辺崋山 | 文政9年 | 1826 | 千葉市美術館 | 企1 | ||
93 | 岡田東塢像画稿 | 渡辺崋山 | 天保2年 | 1831 | 足利市文化振興財団 | 企1 | ||
94 | 漢高祖_食其見図 | 渡辺崋山 | 天保2年 | 1831 | 田原市博物館 | 企1 後 | ||
95 | 岩本幸像 | 渡辺崋山 | 天保2年 | 1831 | 田原市博物館 | 企1 | ||
96 | 重美 | 笑顔武士像稿 | 渡辺崋山 | 天保8年 | 1837 | 個人蔵 | 企1 | |
97 | 重文 | 市河米庵像画稿 | 渡辺崋山 | 天保年間 | 京都国立博物館 | 企1 前複製 | ||
98 | 重文 | 市河米庵像 | 渡辺崋山 | 天保8年 | 1837 | 京都国立博物館 | 企1 前複製 | |
99 | 林大学頭述斎像稿 | 渡辺崋山 | 天保年間 | 田原市博物館 | 企1 | |||
100 | 竹中元真像 | 渡辺崋山 | 天保年間 | 個人蔵 | 企1 | |||
101 | 重文 | 芸妓図 | 渡辺崋山 | 天保9年 | 1838 | 静嘉堂文庫美術館 | 企1 前 | |
102 | 俳人肖像真蹟 | 渡辺崋山 | 天保年間 | 個人蔵 | 特 | |||
103 | ジャンヌダーク像 | 渡辺崋山 | 天保年間 | 田原市博物館 | 企1 | |||
104 | 證如上人像 | 渡辺崋山 | 天保12年 | 1841 | 西光寺 | 企1 | ||
105 | 重文 | 渡辺崋山像 | 椿椿山 | 嘉永6年 | 1853 | 田原市博物館 | 企1 | |
106 | 重文 | 渡辺崋山像画稿 | 椿椿山 | 天保〜嘉永年間 | 1843〜1853 | 個人蔵 | 企1 | |
参考 | 国宝 | 鷹見泉石像(複製) | 渡辺崋山 | 天保年間 | 原本は東京国立博物館 | 企1 | ||
参考 | 重美 | ヒポクラテス像(複製) | 渡辺崋山 | 天保11年 | 1840 | 原本は九州国立博物館 | 企1 | |
重文 | 扁額(報民倉) | 天保6年 | 1835 | 田原市博物館 | 常 |
※期間中、展示を変更する場合がございます。また展示室は作品保護のため、照明を落としてあります。ご了承ください。
● 渡辺崋山 寛政5年(1793)〜天保12年(1841)
崋山は江戸麹町田原藩上屋敷に生まれた。絵は金子金陵から谷文晁につき、人物・山水画では、西洋的な陰影・遠近画法を用い、日本絵画史にも大きな影響を与えた。天保3年、40歳で藩の江戸家老となり、困窮する藩財政の立て直しに努めながら、幕末の激動の中で内外情勢をよく研究し、江戸の蘭学研究の中心にいたが、「蛮社の獄」で高野長英らと共に投獄され、在所蟄居となった。画弟子たちが絵を売り、恩師の生計を救おうとしたが、藩内外の世評により、藩主に災いの及ぶことをおそれ、天保12年に田原池ノ原で自刃した。
● 椿椿山 享和元年(1801)〜嘉永7年(1854)
名は弼、字は篤甫、椿山・琢華堂・休庵など号した。江戸に生まれ、父と同じく幕府槍組同心を勤めるとともに、画業・学問に励んだ。平山行蔵(1760〜1829)に師事し長沼流兵学を修め、また俳諧、笙、にも長じ、煎茶への造詣も深かった。画は、はじめ金子金陵に学び、金陵没後、同門の渡辺崋山に入門、また谷文晁にも学ぶ。ヲ南田の画風に私淑し、没骨法を得意として、明るい色調の花卉画及び崋山譲りの肖像画を得意とした。温和で忠義に篤い人柄であったといい、崋山に深く信頼された。崋山の入牢・蟄居の際、救援に努め、崋山没後はその遺児諧(小華)の養育を果たしている。門人には、渡辺小華(1835〜87)、野口幽谷(1827〜98)などを輩出し、「崋椿系」画家の範となった。
● 高木梧庵 〜文久2年(1862)
梧庵は、名島氏の出生で北村・高木の二姓を名乗り、通称は真吉・秦吉・晋吉といい、のち縫殿之介と称した。号を梧庵・愛葵・香遠・鴨青・水壺・南梧里・鴨川志摩丸・雲錦亭等を名乗る。天保2年9月、崋山が相州厚木に旅行した時と、同年10月桐生・足利に旅行した時、梧庵が随行したことが『遊相日記』『毛武游記』に見える。また、梧庵は蛮社の獄後、田原へ幽居した崋山を訪ね、田原龍泉寺に宿泊した。画学に関する手紙の往復も見られ、天保5年までは崋山と非常に近い関係にあった人物である。天保6年(1835)1月29日に桜間青pの放埓を打ち明けた書簡がある。