開催日 | : | 平成30年4月7日(土)〜5月13日(日) |
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開館時間 | : | 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで) |
会場 | : | 企画展示室1・2 |
椿椿山(1801〜54)・野口幽谷(1827〜1898)・松林桂月(1876〜1963)と連なる豊橋市出身の白井烟嵓。
大場厚・仲谷孝夫・彦坂和夫は地元出身で、昭和20年に創立された行動美術協会の会員・会友として活動しています。
企画展示室1・2 | ||||
番号 | 作品名 | 作者名 | 年代 | 備考 |
早春放牛 | 白井烟嵓 | 大正〜昭和時代前期 | ||
池畔秋吟之図 | 白井烟嵓 | 昭和時代前期 | 個人蔵 | |
月夜松林図 | 白井烟嵓 | 昭和時代前期 | 個人蔵 | |
春雪之図 | 白井烟嵓 | 昭和5年(1930) | ||
月夜図 | 白井烟嵓 | 昭和16年(1941) | ||
青緑蓬莱山水之図 | 白井烟嵓 | 昭和8年(1933) | ||
鳳来山秋景真趣図 | 白井烟嵓 | 昭和12年(1937) | ||
秋景山水図 | 白井烟嵓 | 昭和13年(1938) | ||
青緑山水夏の図 | 白井烟嵓 | 大正〜昭和時代前期 | ||
95 | 驟雪松林之図 | 白井烟嵓 | 昭和時代 | |
49 | 水墨山湫雨余之図 | 白井烟嵓 | 昭和33年(1958) | |
山雨将来 | 白井烟嵓 | 昭和36年(1961) | ||
93 | 鍾馗図 | 白井烟嵓 | 昭和50年(1975) | |
竹林驟雨 | 白井烟嵓 | 昭和25年(1950) | ||
37 | 粧谿 | 白井烟嵓 | 昭和31年(1956) | 第12回日展 |
豊川閣山門 | 白井烟嵓 | 昭和時代 | ||
田原城址 | 白井烟嵓 | 昭和時代 | ||
日出の石門 | 白井烟嵓 | 昭和時代 | ||
田口岩古谷山遠望 | 白井烟嵓 | 昭和時代 | ||
伊良湖岬 | 白井烟嵓 | 昭和時代 | ||
白井烟嵓使用印顆 | ロビー展示 | |||
白井烟嵓使用道具 | ||||
夏の自画像 | 仲谷孝夫 | 昭和61年(1986) | ||
妻 | 仲谷孝夫 | 昭和時代 | ||
妻の像 | 仲谷孝夫 | 昭和時代 | ||
花と人 | 仲谷孝夫 | 昭和時代 | ||
花と人 | 仲谷孝夫 | 昭和時代 | ||
花と人 | 仲谷孝夫 | 昭和時代 | ||
3 | 海没林 | 仲谷孝夫 | 昭和26年(1951) | 第6回行動美術展入選、第3回行動美術豊橋展 |
6 | 二人 | 仲谷孝夫 | 昭和29年(1954) | 第9回行動美術展、第2回集団個展 |
7 | 月光 | 仲谷孝夫 | 昭和29年(1954) | 第2回集団個展 |
10 | 海苔の人 | 仲谷孝夫 | 昭和34年(1959) | 第1回中部行動展 |
13 | 冬の華 | 仲谷孝夫 | 昭和37年(1962) | 第4回中部行動展 |
20 | 丘陵家族 | 仲谷孝夫 | 昭和45年(1970) | 第25回行動美術展 |
21 | 半島驟雨 | 仲谷孝夫 | 昭和45年(1970) | 第25回行動美術展 |
23 | 丘陵病む | 仲谷孝夫 | 昭和47年(1972) | 第27回行動美術展 |
28 | 赤い苦悩 | 仲谷孝夫 | 昭和52年(1977) | 第32回行動美術展 |
32 | 私のイブ | 仲谷孝夫 | 昭和54年(1979) | 第7回ル・サークル・ルージュ展 |
37 | 遠州灘(白い風) | 仲谷孝夫 | 昭和55年(1980) | 第35回行動美術展 |
清酒「大倉」ラベル | 仲谷孝夫原画 | 昭和61年(1986) | ||
54 | 惜別
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仲谷孝夫 | 昭和62年(1987) | 第29回中部行動展、第9回豊橋美術展 |
55 | ふるえる足 | 仲谷孝夫 | 昭和63年(1988) | 第43回行動美術展 |
57 | 待つ(国立病院内科外来180分) | 仲谷孝夫 | 平成元年(1989) | 第31回中部行動展、第11回豊橋美術展 |
60 | 老人の声は小さい | 仲谷孝夫 | 平成2年(1990) | 第45回行動美術展、第14回豊橋美術展 |
62 | 道U | 仲谷孝夫 | 平成3年(1991) | 第33回中部行動展 |
されど生きる'94 | 仲谷孝夫 | 平成6年(1994) | 第36回中部行動展 | |
ドウシヨウ | 仲谷孝夫 | 平成13年(2001) | 第56回行動美術展 | |
75 | 友よ | 仲谷孝夫 | 平成11年(1999) | 第41回中部行動展、第21回豊橋美術展 |
76 | 北の海 | 仲谷孝夫 | 平成11年(1999) | |
78 | ポスターの前の自画像 | 仲谷孝夫 | 平成8〜12年(1996〜2000) | 第50回豊橋市民展 |
98 | 哀 | 仲谷孝夫 | 平成17年(2004) | 郷土の画家U |
80 | 丘の人 | 仲谷孝夫 | 平成12年(2000) | 第55回行動美術展 |
97 | 私の「KOHDO」 | 仲谷孝夫 | 平成17年(2004) | 第60回行動美術展、第61回行動美術展 |
8 | 車窓B | 大場厚 | 昭和44年(1969) | 第24回行動美術展 |
28 | 飛’82 | 大場厚 | 昭和57年(1982) | 第37回行動美術展 |
34 | 飛’87 | 大場厚 | 昭和62年(1987) | 第42回行動美術展 |
55 | キャベツの進化論 | 彦坂和夫 | 昭和54年(1979) | |
89 | 位相 二元論で「グー」 | 彦坂和夫 | 平成9年(1997) | |
35 | 移動と異同 | 彦坂和夫 | 昭和54年(1979) | 第34回行動美術展 |
94 | HANA NO KATACHI. HITO NOSUGATA. KOKORO NI NOKORU |
仲谷孝夫 | 平成16年(2004) | |
95 | HITO WA DOKO E IKUNOKA | 仲谷孝夫 | 平成16年(2004) | |
96 | トライアングル | 仲谷孝夫 | 平成16年(2004) | |
スケッチブック | 仲谷孝夫 | 昭和53年(1978) | ||
江上明君 | 仲谷孝夫 | 昭和62年(1987) | ||
妻の手 | 仲谷孝夫 | 昭和56年(1981) | ||
二人 | 仲谷孝夫 | 平成14年(2002) | ||
自画像 | 仲谷孝夫 | 昭和60年(1985) | ||
自画像 | 仲谷孝夫 | 平成2年(1990) | ||
自画像 | 仲谷孝夫 | 平成12年(2000) | ||
妻の像 | 仲谷孝夫 | 昭和時代 | ||
邂逅 | 仲谷孝夫 | 昭和時代 | ||
ローマの女 | 仲谷孝夫 | 昭和時代 | ||
二人 | 仲谷孝夫 | 昭和時代 | ||
127 | 機械の虫 | 彦坂和夫 | 平成16年(2004) | 村松画廊個展 |
※期間中、展示を変更する場合がございます。また展示室は作品保護のため、照明を落としてあります。ご了承ください。
● 白井烟嵓 明治27年(1894)〜昭和51年(1976)
愛知県豊橋市花田町に生まれ、本名を白井瀧司、字を龍と称します。16歳より、従兄の白井永川に南画を学びます。大正3年(1914)に上京、近衛連隊に入隊します。除隊後、大正6年に崋椿系の流れを受けた松林桂月(1876〜1963)に師事し、大正9年第2回帝展に初入選以後、帝展、新文展に出品しています。戦後は日展に出品し、第2回「雨後」第5回「雲行雨施」(特選)があり、翌年、無鑑査出品となります。以後、社団法人日展となってからも、昭和43年(1968)まで委嘱作家として活躍します。昭和35年、日本南画院創設に参加し、理事を務めます。昭和36年第1回南画院に出品した「秀孤松」は文部大臣賞を受けます。南画院、日本画会など多くの展覧会にも出品しました。
● 仲谷孝夫 大正7年(1918)〜平成18年(2006)
渥美郡田原町西神戸(田原市神戸町)に生まれる。昭和14年、東海美術展に初入選し日本画協会賞を受賞。翌年、紀元2600年記念東海美術展で最高賞である日本画会頭賞受賞。昭和16年、京都市立絵画専門学校(京都市立芸術大学)卒業。翌年より福井の高等女学校で美術を教える。敗戦をきっかけに日本画から油彩画に転身。昭和22年、京都市立美術専門学校研究科を修了、帰郷して田原中学校の美術教師となる。昭和24年、中美展初入選。翌年、東三在野美術協会の結成に参加。昭和26年、行動美術展に初入選。以後、同展に出品を続ける。昭和32年、行動美術協会会友。昭和37年、県立成章高等学校の美術教師となる(〜同53年)。昭和45年、行動美術協会会員。昭和54年より豊橋技術科学大学(〜同60年)、県立保育大学校(〜平成4年)の非常勤講師をつとめる。平成13年、豊橋市美術博物館で「仲谷孝夫展」を開催。平成18年1月、逝去。平成21年作品が田原市へ寄贈され、「新収蔵〜仲谷孝夫展 愛と生」が開催された。
● 大場厚 明治41年(1908)〜平成9年(1997)
渥美郡田原町大久保(現、田原市大久保町)に生まれる。昭和5年(1930)、岡崎師範学校専攻科卒業。昭和15年、二科展に初入選(以後同18年まで出品)を果たす。同年、正宗徳三郎、向井潤吉に師事。昭和20年より成章中学(のち高校)美術教諭となる(〜同37年)。昭和21年、向井潤吉の誘いを受けて行動美術協会結成に参加し会友となる。翌年、東海行動美術協会を結成。昭和30年、行動美術協会会員となり、以後同展の審査員を務める。昭和34年、向井潤吉、田中阿喜良とともに渡仏。昭和37年、パリス工芸株式会社設立。行動展に出品を続けるほか、豊橋を中心に個展開催。平成9年、逝去。平成18年、行動展出品作を中心とする作品の多くを田原市博物館に寄贈。
● 彦坂和夫 昭和10年(1935)〜
渥美郡田原町に生まれ、仲谷孝夫に美術の指導を受けました。愛知県立成章高校へ進み、行動美術協会会友の大場厚に学びます。大潮会学生の部特選受賞、武蔵野美術大学校(現武蔵野美術大学)西洋画科に進学しました。昭和32年、行動美術協会展入選、同36年には行動美術協会奨励賞受賞、翌年、会友に推挙。環境汚染が進むのを感じた彦坂は、昭和55年に行動美術協会を退会、翌年から環境保護活動への取り組みを始めます。その意識は、非絵画としての立体芸術に及び、東京都江東区からの依頼による護岸壁画・モニュメントなどで自然と歴史の大切さを訴えます。平成23年に田原市博物館で「彦坂和夫展−過去・現在・未来をつなぐ創造のふるさと」を開催後、作品を寄贈。
● 白井烟嵓 鳳来山秋景真趣図
烟嵓という号は、鳳来寺山のことで、背景の急峻な鏡岩を背景とする本堂の景色は生涯にわたって描かれる。この作品は、同構図としては最初期にあたる。
● 白井烟嵓 粧谿
描線と墨の潤渇で画面構成をする。滝は塗り残しで表現しているが、水墨で描かせたら、日展出品作家の中でも傑出した力量の持ち主であった。厚塗りの日本画が展覧会場の多数を占める中で、その流れに逆行するかのように墨一色の作品を出品し続けていく。師の松林桂月と同じ道であったか。
● 白井烟嵓 山雨将来
湧き上がる夏雲の白と近景に配された松の墨とのコントラストが見事である。
● 白井烟嵓 鍾馗図
落款に「蕤賓」と書かれ、12月に描かれている。年が明けて1月19日に東京都世田谷区の大蔵病院にて死去する。
● 白井烟嵓 驟雪松林之図
亡くなる前日に岡田半江筆「秋湖独釣図」の箱書を書いている。これが生前最期の筆となった。昭和38年に第6回日展に出品した「飛雪」と同構図で、作品としての絶筆と言われているものであり、落款は無い。
● 仲谷孝夫 老人の声は小さい
WASHI NO NIKKO O JAMASHINAI DE KURE わしの日光を邪魔しないでくれ。
● 仲谷孝夫 友よ
行動美術協会で行動をともにした郷里の友人大場厚を主題とした。
● 大場厚
「車窓」は、1969年から1972年の第24回から第27回の行動美術展に出品したシリーズ。「飛」は、1979年から1987年の第34回から第42回の行動美術展に出品したシリーズ。
● 仲谷孝夫 哀
画面左にアルファベットで書かれる友人たちの名前。
石川英鳳(1896-1973) 愛知県碧海郡高棚村(安城市)生まれ、中学卒業後は京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)で学ぶ。仲谷は1936年に美術学校受験のため、石川に指導を受けた。
榊原紫峰(1887-1971) 京都出身、京都市立絵画専門学校卒、同校教授に就任。仲谷が京都市立絵画専門学校本科3年の1941年に指導を受けた。
江上明(-1987) 名古屋出身。元名古屋芸術大学教授・美術評論家。仲谷と京都市立絵画専門学校の同級生。
鈴木武(1920-73) 豊川市御油町に生まれ、京都市立絵画専門学校に学ぶ。須田国太郎に師事。戦後は豊橋第二中学校の美術教師となった。昭和26年、独立美術協会会友に推挙される。
星野眞吾(1923-97) 星野は京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)卒業。のち豊橋在住。
高木勲(1933-98) 兵庫県に生まれ、後に豊橋に転居。京都市立美術大学西洋画科を中退。1981年から名古屋芸術大学美術学部の講師をつとめ、1987年教授、1994年学長となる。
大場厚(1908-1997) 大久保に生まれ、成章中学美術教諭であり、行動美術協会会員・審査員を務めた。
初期・模索期 1960年代半ばまで 深く沈んだ色調
郷里の風土 行動美術協会への参加と「赤」は大地と海の色、「白」は平安 1960年代後半から
生と死をみつめて 自身への凝視 健康と友の死をテーマとする。