開催日 | : | 平成28年5月21日(土)〜7月3日(日) |
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開館時間 | : | 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで) |
会場 | : | 企画展示室1 |
椿椿山の弟子、野口幽谷に師事し、文化勲章を受章した松林桂月の作品と桂月の弟子たちの作品を中心に展示します。桂月の画室は環翠草堂・香外書屋・桜雲洞などと言います。崋山の墓所がある田原の城宝寺霊牌堂の天井画には、桂月夫妻はじめ弟子たちの作品があります。
企画展示室1 | ||||
指定 | 作品名 | 作者名 | 年代 | 備考 |
参考 | アサヒグラフ別冊 松林桂月 | 平成4年(1992) | ||
参考 | 松林桂月画集 | 昭和33年(1958) | ||
崋山硯 | 松林桂月遺愛 | |||
桂月印譜 | ||||
参考 | 桜雲洞随録 松林桂月遺稿 | 松林清風編 | 平成9年(1997) | |
桜雲洞画譜 | 昭和11年(1936) | |||
参考 | 松林桂月遺墨集 | 昭和40年(1965) | ||
双雁図屏風 | 野口幽谷 | 明治時代前期 | ||
深山秋色図 | 松林桂月 | 大正8年(1919) | ||
四季山水図 | 松林桂月 | 昭和11年(1936) | 四幅対 | |
「過平城跡之作」拓本 | 松林桂月 | 昭和時代 | ||
歳寒仙色図 | 松林桂月 | 昭和時代 | ||
山水図屏風 | 松林桂月 | 昭和時代 | ||
水仙図 | 松林桂月 | 昭和時代 | ||
七絶 | 松林雪貞 | 昭和時代 | 個人蔵 | |
長夏幽居 | 松林雪貞 | 昭和4年(1929) | ||
洋蘭図 | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
八仙花 | 松林雪貞 | 昭和38年(1963) | ||
早春放牛 | 白井烟 | 昭和時代 | ||
青緑蓬莱山水之図 | 白井烟 | 昭和8年(1933) | ||
秋景山水図 | 白井烟 | 昭和13年(1938) | ||
鳳来山秋景真趣図 | 白井烟 | 昭和12年(1937) | ||
月夜図 | 白井烟 | 昭和16年(1941) | ||
山村夜雪図 | 白井烟 | 昭和17年(1942) | ||
月夜松林図 | 白井烟 | 昭和時代 | 個人蔵 | |
池畔秋吟之図 | 白井烟 | 昭和時代 | 個人蔵 | |
松林図 | 大平華泉 | 昭和時代 | ||
和楽堂先生肖像 | 松林桂月 | 明治時代前期 | 個人蔵 | |
牡丹図 | 野口幽谷 | 明治18年(1885) | 個人蔵 | |
雲玉水溪 | 白井烟 | 昭和32年(1957) | ||
禽譜 | 松林桂月 | 明治35年(1902) | ||
蔬果譜 | 松林桂月 | 明治35年(1902) | ||
草譜 | 松林桂月 | 明治35年(1902) | ||
人物譜 | 松林桂月 | 明治35年(1902) | ||
幽山孤村図屏風 | 松林桂月 | 大正13年(1924) | ||
赤倉詩 | 松林桂月 | 昭和35年(1960) | 個人蔵 | |
あじさい | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
水辺小禽 | 遠山唯一 | 昭和時代 | ||
麦 | 河野華涯 | 昭和時代 | ||
牡丹 | 中沢一僑 | 昭和時代 | ||
香外居画譜 | 大正3年(1914) | |||
香外居画譜 | 大正4年(1915) | |||
桜雲洞詩鈔 | 松林桂月 | 昭和28年(1953) | ||
壬辰元旦色紙 | 松林桂月 | 昭和25年(1950) | ||
烟博R人画集 | 大正4年(1915) | |||
色紙 | ||||
梅とデコポン | 吉田登穀 | 昭和時代 | ||
ツルウメモドキと鶯 | 吉田登穀 | 昭和時代 | ||
鯛 | 松浦満 | 昭和時代 | ||
海老 | 松浦満 | 昭和時代 | ||
海老 | 松浦満 | 昭和時代 | ||
わさび | 根本霞外 | 昭和時代 | ||
彼岸花にカマキリ | 根本霞外 | 昭和時代 | ||
エンゼルフィッシュとネオンテトラ | 河野華涯 | 昭和時代 | ||
鮎 | 荒川晃雲 | 昭和時代 | ||
みょうがとそら豆 | 河野華涯 | 昭和時代 | ||
きのこ | 市野梧堂 | 昭和時代 | ||
桔梗 | 野村一生 | 昭和時代 | ||
桔梗 | 松林雪貞 | 昭和27年(1952) | ||
黄色い花 | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
桜 | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
干魚 | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
わさび | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
わさび | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
西蜀佳味 | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
芙蓉 | 松林雪貞 | 昭和30年(1955) | ||
藤 | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
桔梗 | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
竜胆 | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
竜胆 | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
竜胆 | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
椿 | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
桔梗 | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
朝顔 | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
菜の花 | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
竜胆 | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
さくらんぼ | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
いちご | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
水仙 | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
芍薬 | 松林雪貞 | 昭和42年(1967) | ||
菖蒲 | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
芥子 | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
撫子 | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
芥子 | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
カラスノエンドウ | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
カラスノエンドウ | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
ゆず、かぼす、生姜 | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
菜の花 | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
カラスノエンドウ | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
桔梗 | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
ユリ | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
ユリ | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
エンドウ、ホウレンソウ | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
桜 | 松林雪貞 | 昭和時代 | ||
バラと水仙 | 松林雪貞 | 昭和時代 |
※期間中、展示を変更する場合がございます。また展示室は作品保護のため、照明を落としてあります。ご了承ください。
● 野口幽谷 文政10年(1827)〜明治31年(1898)
文政10年1月7日江戸飯田町中坂に生まれる。名は続。通称は巳之助。幼時に天然痘にかかり、生家の仕事であった大工の仕事につけず、当時著名であった神田小柳町の宮大工鉄砲弥八に入門し、製図を学んだ。嘉永3年3月19日に椿椿山に入門し、花鳥画を学ぶ。漢学を大黒梅隠に学んだ。椿山晩年の安政初年頃から画に専念し、寺子屋も開いた。明治5年ウィーン万博に出品。明治10年第1回内国勧業博覧会で褒状を得る。生涯清貧を貫き、明治中期以降の文人画衰微の折りにも、画を請われた。宮中の御用画もつとめ、明治26年帝室技芸員。明治31年6月26日死去。72歳。名は続、通称は巳之助、和楽堂と号した。作品に「竹石図」「菊鶏図屏風」(静嘉堂文庫美術館蔵)など。門下に松林桂月、益頭竣南などがいる。
● 松林桂月 明治9年(1876)〜昭和38年(1963)
松林桂月は、山口県・萩市に生まれ、東京に出て渡辺崋山の孫弟子にあたる野口幽谷に師事、精緻で格調高い表現を学びました。日本美術協会展、文展に出品。帝展の審査員、帝国美術院会員、帝室技芸員となりました。戦後、日本美術協会理事長。漢詩の教養を活かし、詩・書・画の全てが優れているという境地を目指す文人画−南画を描き、水墨画においては、その独特の叙情的な作風が高く評価され、昭和33年(1958)、文化勲章受賞。旧姓は伊藤。本名は篤。代表作に「春宵花影」など。平成25年に没後50年「松林桂月」展が山口・愛知田原・東京練馬にて開催された。
● 松林雪貞 明治11年(1878)〜昭和44年(1969)
松林雪貞は野口幽谷の画塾「和楽堂」で、桂月と同門であった。明治41年(1908)に「秋圃図」が文展に入選している。桂月と結婚後は展覧会への出品も減っていくが、椿椿山から野口幽谷に引き継がれる写生を重視したしなやかで、伸びやかな女性らしい描線と色彩で描かれる。
● 荒川晃雲 生没年不詳
日展入選6回。城宝寺崋山堂の天井画に「花菖蒲」がある。
● 市野梧堂 生没年不詳
日本書芸院審査員。城宝寺崋山堂の天井画に「ソテツ」がある。
● 大平華泉 大正2年(1913)〜昭和58年(1983)
福島県出身。松林桂月に師事。城宝寺崋山堂の天井画に「墨梅」がある。
● 河野華涯 明治33年(1900)〜昭和59年(1984)
愛知県生まれ。初号は華p。松林桂月に学ぶ。文展・新文展・日展・日本南画院展等で活躍し、日本南画院理事を務めた。日展入選9回。城宝寺崋山堂の天井画に「水芭蕉」がある。
● 白井烟 明治27年(1894)〜昭和51年(1976)
愛知連豊橋市花田町に生まれ、本名を白井瀧司、字を龍と称した。16歳より従兄の白井永川に南画を学んだ。大正3年(1914)に上京、近衛連隊に入隊。除隊後、大正6年に松林桂月に師事し、大正9年第2回帝展に初入選。以後、帝展・新文展に出品する。戦後は日展に出品し、第5回に出品した「雲行雨施」が特選。昭和35年(1960)、日本南画院創設に参加し、理事を勤めた。 没後、遺族から遺品が田原町(のちに田原市)に寄贈された。
● 遠山唯一 明治40年(1907)〜昭和34年(1959)
愛知県生まれ。松林桂月・伊東深水に師事。日展入選9回、白寿賞。城宝寺崋山堂の天井画に「立葵」がある。
● 中沢一僑 明治33年(1900)〜昭和48年(1973)
埼玉県出身。松林桂月に師事。昭和5年再興 第17回院展に初入選、以後入選11回。また昭和22年第3回日展にも入選。城宝寺崋山堂の天井画に「ケシ」がある。
● 根本霞外 明治31年(1898)〜昭和50年(1975)
東京生まれ。松林桂月に師事。第10回帝展「梨花淡月」入選。1937年日本版画協会展・協会賞受賞。花鳥画を展覧会に出品するとともに日展会員の前川千帆(1888〜1960)に木版画を学ぶ。日展入選4回。1975年没。享年77歳。城宝寺崋山堂の天井画に「鶏頭」がある。
● 野村一生 大正11年(1921)〜平成7年(1995)
東京生まれ。松林桂月・高山辰雄に師事。日展審査員。特選2回。白寿賞2回。日展入選7回。日春展会員。美術協会総裁賞。城宝寺崋山堂の天井画に「ケシ」がある。
● 松浦満 明治41年(1908)〜平成10年(1998)
島根県隠岐郡都万村に漁業を営む松浦源市の長男として生まれる。上京し、松林桂月の門に入り、日本画を学ぶ。昭和9年第15回帝展に初入選。戦後は日展に出品を続ける。昭和22年第3回日展で特選、同25年第6回日展で白寿賞、第7回日展で特選を受ける。日展会員として審査員も務めた。海や鯉など水にちなんだ作品を得意とする。平成10年脳梗塞のため倒れ、東京都青梅市にて没した。
● 吉田登穀 明治16年(1883)〜昭和37年(1962)
千葉県出身。本名は喜代二。岡田華亭、松林桂月に師事。大正9年第2回帝展「あじさい」が初入選。昭和21年第2回日展で「春深し」が特選、28年玉堂賞。花鳥画を得意とした。昭和37年7月16日死去。78歳。城宝寺崋山堂の天井画に「八仙花」がある。
● 野口幽谷 双雁図屏風
没骨法で二羽の雁を描き、右と左下からはたらし込みの技法を使用した葦葉、左下には淡いピンクに胡粉の白を上乗せした海棠が眼を引く。左樹上から雁を見下ろす雀は、その眼線をたどることで画面としての方形が効果的に感じられる。画面左に「村情山趣」の印が捺される。師である椿山の若い時期のやや硬さを感じさせる花鳥画に影響をうけた作風で、大正時代までの桂月作品にもつながるものである。
● 松林桂月 四季山水図
濃彩な画風から余白や空間構成を意識するような作品へと移る過渡期の作品である。昭和11(1936)年発行の『桜雲洞画譜』に掲載された作品である。『桜雲洞画譜』には昭和11年11月19日付けの桂月自身の跋文と11月23日に展覧会場を訪問する東伏見宮妃殿下の巻頭写真が添えられているので、年末頃の発刊のものであろう。桜雲洞は松林桂月の画室名である。この年、前年から続く帝展改組の紛糾が続き、6月に小室翠雲、荒木十畝、松岡映岡とともに再改組の建議書を提出している。
春景【賛文・款記・印章】桃花洞裏有青山 身与雲中雞犬閑 知是道人高臥夢 不隨流水出人間 道人隆老仙 桂月山人篤并題於桜雲洞中。
夏景【賛文・款記・印章】林間日出鳥相和 一片帰雲向岫辺過 昨夜山中知有雨 前溪帯濁水声多 桂月山人并題
秋景【賛文・款記・印章】紅葉白雲好 天開活画奇 林間温酒処 溪上駐車時 笑倣香山興 行吟小杜詩 山留秋粉本 造化有余師 桂月山人并題
冬景【賛文・款記・印章】榾柮煙消寒俄浸 中庭老樹起栖禽 書窓一夜明如月 想見千山積雪深 昭和丙子六月下澣并題桂月山人篤
● 松林雪貞 長夏幽居
長夏幽居景不窮、花開芳砌翠成叢、窓南高臥追凉際、時有微香逗晚風。
己巳初夏書于桜雲洞中雪貞女史
● 松林桂月 赤倉詩
昭和35年(1960)8月に新潟県赤倉の妙高高原、赤倉神社内に詩碑が建立された。桂月は除幕式に参列した。
痼疾難医也宿縁 閑呼筆硯掃雲煙 画中埋骨青山在 笑説吾家好墓田
● 松林桂月 山水図屏風
賛に「粉抹丹塗三十年、此心秘欲僦前晩、興来枉把一枝筆、呑吐胸中立塑煙 桂月山人并題」とある。松林桂月は明治27年(1894)、19歳で、野口幽谷の画塾和楽に入門した。「塗三十年」を、絵を描き始めてから30年と考えれば、大正時代の終わり頃から昭和時代初期にあたる。
● 松林桂月 幽山孤村図屏風
大正8年(1919)から始まった帝展以後、桂月は六曲の大画面の屏風作品も多く手がけている。「幽山」とは、自然のままで、手つかずという意味で、孤村は、人里離れている村である。煙るような風景を横に広がる大画面に描いている。戦後の水墨基調作品を予兆させる作品である。
● 松林桂月 壬辰元旦
婪尾元朝酒、齢迎喜字頑、無愁還白髪、所好只青山、吟骨同顆痩、酔懐呼筆閑、孟光猶伴我、一盞共盞開顔 壬辰新春
婪尾とは、宴の杯を順に回し最後の者が三 杯続けて飲むこと