春の企画展 春の企画展 和地・堀切・伊良湖小学校の思い出

開催日 平成27年4月25日(土)〜6月7日(日)
開館時間 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
会場 田原市渥美郷土資料館

展示作品リスト

田原市渥美郷土資料館
所蔵 作品・資料名 作者名 制作年月 形状 材質 たて
(cm)
よこ
(cm)
備考
和地 校舎瓦     陶製      
堀切 校舎瓦     陶製      
伊良湖 校舎瓦     陶製 23 28.5  
堀切 渡会伊良子 1977年   171 252 堀切出身
堀切 冬日の岬 大岡澄雄 1978年 油彩 140 173 1981年11月3日寄贈、堀切出身、74回太平洋美術展入選
和地 緑陰 鈴木三五郎   油彩 133 100 間瀬勘作寄贈、日展無鑑査委嘱出品
和地 校歌額              
和地 ヒマラヤ 印度ジャスバーへの道 河合潔   油彩 113 147  
伊良湖 若者 三輪錦次   石膏 137 112 第10回日展
堀切 空中写真   昭和〜平成 写真       4枚
伊良湖 航空写真   昭和〜平成 写真       6枚
和地 和地小学校校歌額 高平泉山   紙本     村松出身
和地 福以徳招 高平泉山   扁額 紙本 35 125  
和地 交以道接以禮 高橋是清   絹本 37 162  
和地 至誠動天地 福井勇   扁額 紙本 34 134 文部政務次官
和地 校歌額     紙本      
和地 (鯉)信頼此の字だけが心に広がる サトウハチロー   色紙 紙本     丸額入り
和地 和地小学校校舎新築祝辞 國貞廉平 明治14年(1881) 紙本      
和地 伊良湖 森下清   油彩 80 100  
和地 服部川之秋 中田恭一 昭和3年(1928) 水彩 60 80  
和地 バラ 河合博 昭和49年(1974) 油彩      
和地 講堂瓦       陶製      
和地 空中写真   昭和〜平成 写真        
和地 伊良湖 青山敏夫   油彩 53 68  
和地 五十川頼雲     54 66 昭和36年7月10日和地小学校新築記念
大阪市都島区都島北通 藤井仙次寄贈
和地 山村 大岡澄雄 1957年 油彩 73 91  
和地 赤いボートのある風景 大岡澄雄   油彩 112 147  
和地 顕彰昭和57年度体力づくり優良校 愛知県教育委員会   昭和57年(1982) カップ
賞状額
       
和地 愛知県緑化推進委員会会長賞昭和61年度学校関係緑化コンクール(学校林等活動の部)特選 主催:国土緑化推進機構 昭和61年(1986)
賞状額
       
和地 昭和63年度全日本学校関係緑化コンクール(学校林等活動の部)特選 主催:国土緑化推進機構 平成元年(1989)
賞状額
      農林水産大臣羽田孜
日本放送協会会長島桂次
和地 平成元年全国緑の少年団活動発表大会第13回全国育樹祭大会会長賞   平成元年(1989)
賞状額
       
和地 内閣総理大臣賞緑化推進運動功労者表彰記念   平成9年(1997)
賞状額
      渥美町和地みどりの少年団
内閣総理大臣橋本龍太郎
和地 渥美町和地みどりの少年団緑化推進運動功労者表彰記念内閣総理大臣賞盾   平成9年(1997)          
和地 花台       19.3 20.1 高さ10.0、裏に「和学」
和地 花台       20.7 30.2 高さ9.5、裏に「和学」
和地 歴代校長写真     写真        
和地 写真アルバム   明治41年(1908)〜 アルバム       第15回〜
和地 賞状盆          
和地 渥美郡西部オリンピック大会高女優勝   昭和8年(1933) カップ       2個
和地 和地小学校建築書類     冊子 紙本     和地区有文書
和地 和地学校移転関係書類     冊子       和地区有文書
和地 和地学校・小学校公印          
和地 磯丸像     陶器      
堀切 歴代校長写真            
堀切 りんご 渡会伊良子     51 55  
堀切 八ヶ岳 渡会伊良子     30 40  
堀切 残照 道家珍彦     41 33  
堀切 森林 森下平衛 1986年 色紙   41 38  
堀切 森下平衛   油彩 57 77  
堀切 堀切小学校校校歌 高平泉山     34 133  
堀切 書「以和為貴」 藤田尚徳   紙本 34 134 海軍大将
堀切 芭蕉「鷹一つ」色紙 高平泉山 昭和55年(1980)        
堀切 東照公遺訓 高平泉山   掛幅 紙本     堀切小学校
堀切 万葉集(一-二四)麻続王歌 鈴木翠軒   掛幅 紙本     万葉の歌碑原稿、鈴木翠軒展68
堀切 額田王下匠近江国時作歌 鈴木翠軒   掛幅 紙本      
堀切 恭迫於礼 鈴木翠軒   紙本      
堀切 書「丹心」 鈴木翠軒   紙本     鈴木翠軒展64
堀切 誠意と努力 山田寿二 昭和38年(1963) 紙本 43 114  
伊良湖 陶板 三輪錦次 平成2年(1990) 陶板 陶製      
堀切 県健康優良学校 愛知県教育委員会 昭和34年(1959)        
堀切 県健康優良学校 愛知県教育委員会 昭和35年(1960)        
堀切 愛知県学校体育優良校   昭和57年(1982)        
堀切 学校給食優良学校 愛知県教育委員会 平成16年(2004)        
堀切 写真帖   大正〜平成 冊子        
堀切 堀切小学校校舎建設工事アルバム   昭和51年(1976) アルバム        
堀切 堀切小学校公印          
伊良湖 アルバム   大正3年(1914)から          
伊良湖 写真帖   大正〜平成          
伊良湖 貝輪 伊川津貝塚         6.3 6.3  
伊良湖 骨鏃 伊川津貝塚         1.2 7.3  
伊良湖 縄文式土器 保美貝塚              
伊良湖 石錘 保美貝塚         6.3 6.5  
伊良湖 石斧 保美貝塚         11.7 4.4  
伊良湖 軒丸瓦 東大寺瓦窯         10.5 20.9  
伊良湖 山茶碗 和地皿山古窯 大         17.6 17.6 高5.7
伊良湖 山茶碗 和地皿山古窯 小         15.3 15 高6.0
伊良湖 平瓦 東大寺瓦窯         10.6 30.8  
伊良湖 皿山古窯 小皿         7.9 7.9 高2.1
伊良湖 校舎写真 山本剛一 昭和25年(1950)頃   8.4 8.4 高2.3
伊良湖 校歌額 高平泉山   紙本      
伊良湖 校歌額 解説とも            
伊良湖 伊良湖日昇 道家珍彦 平成       1994年度寄贈伊良湖・日出自治会・PTA
伊良湖 薔薇 森下平衛   油彩      
伊良湖 和歌 糟谷磯丸   丸額        
伊良湖 優秀学校賞 JA          
  閉校記念パンフレット              

※期間中、展示を変更する場合がございます。また展示室は作品保護のため、照明を落としてあります。ご了承ください。

関連作家紹介

五十川頼雲(いそかわ らいうん) 1935(大正7)年〜

大正7年、岐阜県に生まれる。玉置頼石に師事し、動物・虎を得意とする。日本動物画協会同人。光彩会幹事。昭和42・3年頃青木大乗に師事し、号を昇乗に改め静物画を得意とした。

大岡澄雄(おおおか すみお) 1935(昭和10)年〜

昭和10年、渥美郡伊良湖岬村堀切(田原市堀切町)に生まれる。県立福江高校在学中は美術部に所属、中部水彩展、中部美術展、豊橋市民展などへ出品。武蔵野美術学校中退。昭和32年、豊橋市民展で愛知県知事賞を受賞。同年、春陽会展、日本水彩画会展に初入選。昭和35年、日本水彩画会展で奨励賞受賞。翌年、同会無鑑査となる。昭和50年、日本水彩画会会友、太平洋展に初出品受賞し会友。翌年には、春陽会会友となる。昭和55年、日本水彩画会会員となり太平洋画会を退会。昭和61年、渥美町郷土資料館特別展「郷土の画人展」に出品。昭和63年、日本水彩画会評議員となる。平成2年、日本水彩画会で内閣総理大臣賞を受賞し翌年、同会審査員。平成8年、日本水彩画会監事、平成10年には、同会理事(常務)となる。平成11年、渥美町郷土資料館で「大岡澄雄展」開催。現在、日本水彩展を中心に活躍。

鈴木三五郎(すずき さんごろう) 1902(明治35)年〜昭和60年(1985)

幡豆郡一色村(現西尾市)に生まれる。県第一師範学校(現愛知教育大学)、東京高等師範学校(現筑波大学)卒業後、中学や師範学校、愛知教育大学で図画工作の造形教育につとめた。昭和8年(1933)に帝展に初入選、翌年も連続入選、昭和11年から18年の新文展連続入選など中央画壇でも活躍。昭和21年(1946)、光風会会員、翌年に日展に入選以来、6年連続で、入選を果たした。初期作品には自画像などから、緑を豊かに使った風景画や静物画など健康的で創造力あふれるものへと展開されていった。愛知教育大学名誉教授。

鈴木翠軒(すずき すいけん) 1889(明治22)年〜昭和51年(1976)

堀切村(現田原市堀切町)に生まれる。大正8年、上京し、丹羽海鶴に師事。昭和7年には、『国定甲種小学書方手本』の揮毫者(昭和13年完成)となる。戦後は、日展審査員(後に常務理事)などの要職を歴任、昭和32年「禅牀夢美人」で日本藝術院賞を受賞、昭和35年には日本藝術院会員となり、書道界の指導者としての頂点に立ち、昭和43年、文化功労者となった。漢字・かな、その他先人の筆蹟を徹底的に追究し、日本の書の気品ある美しさを謳いあげ、翠軒流といわれ、日本書道界の重鎮となった。

高橋是清(たかはし これきよ) 1854(嘉永7)年〜1936(昭和11年)

江戸芝中門前町(現東京都港区芝大門)で幕府御用絵師の家に生まれる。生後間もなく仙台藩足軽の家に養子した。その後、横浜のアメリカ人医師ヘボンの塾で学び、1867年(慶応3年)に藩命により、勝海舟の子、小鹿と海外へ留学し、英語の会話と読み書き能力を習得する。翌年帰国。文部省に入省し、英語の教師もこなし、文部省・農商務省の官僚となる。のち、日銀総裁、大蔵大臣、立憲政友会第4代総裁。第20代内閣総理大臣。立憲政友会第4代総裁。第20代内閣総理大臣。二・二六事件で青年将校らに暗殺された。

五十川頼雲(いそかわ らいうん) 1935(大正7)年〜

大正7年、岐阜県に生まれる。玉置頼石に師事し、動物・虎を得意とする。日本動物画協会同人。光彩会幹事。昭和42・3年頃青木大乗に師事し、号を昇乗に改め静物画を得意とした。

高平泉山(たかひら せんざん) 1900(明治33)年〜1997(平成9)年

明治33年、渥美郡泉村(現田原市村松町)に生まれる。本名は修一。大正6年、愛知県第一師範学校に入学。在校中に書道教官浅野醒堂より「泉山」の号を授けられる。大正10年、豊橋市松葉小学校訓導(教師)、翌年泉村泉尋常高等小学校訓導。以来、清田小、豊橋中(現、時習館高校)、赤羽根小、泉中校長を歴任して、戦中・戦後の学校教育に貢献。 昭和8年、丹羽海鶴、尾上柴舟を師として書道に精励し文部省習字科文検に合格。昭和26年、泉村教育長。昭和39年、渥美町文化財保護審議会委員。昭和51年、町政功労者受賞。昭和53年より渥美町史編纂委員会委員、同60年より顧問。昭和61年、町文化協会より文化功労賞を受賞。翌年、渥美町郷土資料館で米寿記念展を開催。昭和63年、町文化協会書道部会を結成し、会長に就任。翌年より郷土資料館にて「涛聲展」を開催。平成4年、伊良湖に「柳田國男逗留の地碑」「高松宮妃喜久子殿下御歌」揮毫。平成9年、逝去。

道家珍彦(どうけ うずひこ) 1934(昭和9)年〜

昭和9年、名古屋市に生まれる。昭和28年、旭丘高校美術科卒業。同年新制作展に初入選。その後、愛知学芸大学に進み、日本画を学ぶ。卒業後は、尾張地方の小・中学校で美術教師をしながら作画活動。昭和38年、中美展で奨励賞。昭和40年には、白士会展で白士会賞、翌年白士会会員となる。我妻碧宇に師事。以後、白士会展を中心に出品を続けるほか、名古屋、東京、豊橋などで個展を開催。昭和47年、シルクロード踏査旅行を契機に「シルクロードをゆく」シリーズ化(T〜]Uまで)。昭和55年、渥美の自然風景に魅かれ、名古屋より渥美町堀切(田原市堀切町)に移住。平成4年、個展「渥美をかく」を東京紀伊国屋画廊で開催後、シリーズ化(T〜Xまで)。平成5年、渥美町郷土資料館で「道家珍彦個展」、平成10年には、「渥美をかく自選展」を同館にて開催。現在渥美を拠点とし、その風景を画材に活躍する画家の第一人者である。

中田恭一(なかだ きょういち) 1895(明治28)年〜1960(昭和35)年

明治28年、渥美郡大草村(田原市大草町)に生まれる。17歳頃から豊橋の夏目七作に師事したのち、東京に出て、小学校の教師をしながら本郷洋画研究所に入所し、太平洋画会の石井柏亭・石川寅治などに指導を受け、絵の勉強に専念。大正7年(1918)には、通信教育の日本美術学院を卒業して翌年、三重県伊賀上野で教員となり結婚、作画活動を続ける。昭和2年、第8回帝展に初入選(以後3年連続で入選)。昭和8年、教員を退職し、埼玉県川口市に転居。同年、第14回帝展で入選(翌年も入選)。昭和13年には、一水会の第1回展にも出品。昭和15年、第3回文展に入選し、翌年も入選。戦争が激化しはじめた昭和18年の全日本水彩画記録画に推奨される。翌年、郷里大草に戻り、終戦。昭和22年、設立なった中部水彩画協会委員となり、故郷を拠点に風景や肖像画を描き続けた。平成23年、田原市博物館にて新春企画展「中田恭一展」を開催、作品270点を寄贈した。

福井勇(ふくい いさむ) 1903(明治36)年〜2006(平成16年)

明治36年、蒲郡市に生まれる。浜松高等工業学校(現静岡大学工学部)卒業後、商工省に入省、昭和24年に旧愛知五区へ民主自由党公認で衆議院議員初当選、保守合同後は自民党に所属、当選6回。文部・運輸政務次官。昭和50年から参議院議員。政界引退後、蒲郡市名誉市民第1号となる。没後、正四位。

山田寿二(やまだ ひさじ) 1888(明治21年)〜1966(昭和41年)

明治21年、野田村馬草に生まれる。成章館に入学し、1年修了後、上京、東京物理学校に入学、卒業。横須賀海軍工廠造兵部に就職した。大正6年(1917)に東京で山田三立社を創立して船舶用電気器具の製造販売を行ない、漁船に発電機を装備することを立案した。昭和14年、日本船舶電気装備組合理事に就任し、同17年、海務院乙造船電機協議会理事長を委嘱され、終戦後、船舶電具協議会理事長および日本船舶工業連盟常任理事に就任した。昭和18年に大洋電機株式会社を設立し、同22年には日本船舶工業協議会理事となった。翌年には運輸省重要資材中央割当新議会委員を委嘱される。24年に大洋電機株式会社代表取締役会長に就任し、三信船舶電具株式会社を設立。翌年、日本工業技術院標準規格審議会船舶部専門委員を委嘱され、日本電機工業会評議員となった。昭和31年大洋電機販売株式会社、34年に大洋鋳造株式会社を設立。35年に日本造船関連工業会理事、記念艦三笠保存会評議員に就任し、撤去されていた三笠艦の通信機を再製して装備した。37年は大信実業株式会社、三信電具製造株式会社を設立。翌年、日本工業標準調査会船舶電気部会特別委員に委嘱され、日仏海洋学会顧問に就任。39年に日本小型舶用機械輸出振興会理事となる。41年羽島電機株式会社を設立。舶用電気機器について、海運・漁業界に貢献し、特許件数23件を持ち、特に両接点稼働式気中遮断器・三相交流発電機の自動揃速装置の開発により、船舶の自動化に貢献した。海外輸出にも尽力し、また、ふるさとの後継者育成にも努め、野田小学校はじめ郡内の学校へ図書や器具の寄贈を続けた。昭和30年に紺綬褒章、41年勲四等、旭日小綬章、従五位に叙せられる。

渡会伊良子(わたらい いらこ) 1909(明治42)年〜1994(平成6)年

明治42年、渥美郡伊良湖岬村堀切(田原市堀切町)に生まれる。昭和10年、東海美術展に入選。昭和12年には、名古屋汎太平洋平和博覧会美術展に入選する。昭和17年、川端龍子主宰の青龍社展に初入選。昭和21年、青龍社社子、同24年社友、同38年社人(審査員)となる。その間、入選21回、春展24回入選。青雲賞1回、春展5回、奨励賞3回受賞。昭和41年、青龍社解散。社人11名にて東方美術協会設立し、同会を中心に出品を続けるほか、中部国際形象展、ドイツ展などへ出品、個展等も開催。昭和47年、昭和天皇御来県の際の宿舎三ヶ根グリーンホテル玉座襖絵を揮毫。昭和61年、渥美町郷土資料館特別展「郷土の画人展」に出品。平成3年、同館で「渡会伊良子作品展」を開催し、大作の多くを館へ寄贈。山岳風景を得意とした画家である。平成6年、逝去。

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