田原市博物館|平常展 郷土の先人 崋山・磯丸

開催日 平成26年10月25日(土)〜11月30日(日)
開館時間 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
会場 企画展示室1

崋山(1793〜1841)と磯丸(1764〜184)の2人は田原を代表する先人です。今年は磯丸生誕250年を迎えます。

展示作品リスト

企画展示室1
作品名 作者名 和歌種別 年代 形状 所蔵者
家内安全歌 糟谷磯丸 まじない歌 嘉永元(1848)年 個人
寄松祝歌 糟谷磯丸 まじない歌 天保13(1842)年 渥美郷土資料館
病の治る歌 糟谷磯丸 まじない歌 弘化4(1847)年 渥美郷土資料館
火除歌 糟谷磯丸 まじない歌 弘化2(1845)年 御厨野文庫
柳の歌 糟谷磯丸 教訓歌 天保12(1841)年 渥美郷土資料館
御法船歌  糟谷磯丸 教訓歌 天保14(1843)年 渥美郷土資料館
寄鏡祝歌  糟谷磯丸 教訓歌 天保12(1841)年 渥美郷土資料館
寿の歌 糟谷磯丸 教訓歌 嘉永元(1848)年 個人
見てもしれ歌 糟谷磯丸 教訓歌 御厨野文庫
神祇 ふた柱歌 糟谷磯丸 敬神佛歌 天保11(1840)年 渥美郷土資料館
神祇 うけえたる歌 糟谷磯丸 敬神佛歌 御厨野文庫
神祇 五十鈴川にて詠む歌 糟谷磯丸 敬神佛歌 御厨野文庫
釈迦の歌 糟谷磯丸 敬神佛歌 天保11(1840)年 田原市博物館
八重だすき あみだぶつ 糟谷磯丸 遊戯歌 御厨野文庫
秋旅行の歌 糟谷磯丸 述懐歌 御厨野文庫
扇を奉るとて詠む歌 糟谷磯丸 挨拶歌 御厨野文庫
磯丸贈答歌 泉福寺にて 糟谷磯丸 問答歌 天保11(1840)年 御厨野文庫
立春の歌 糟谷磯丸 新古今調歌 天保11(1840)年 田原市博物館
不逢恋の歌 糟谷磯丸 新古今調歌 御厨野文庫
雪の歌 糟谷磯丸 新古今調歌 弘化3(1846)年 個人
月の歌 糟谷磯丸 新古今調歌 弘化3(1846)年 個人
花の歌 糟谷磯丸 新古今調歌 弘化3(1846)年 個人
落葉埋橋の歌 糟谷磯丸 新古今調歌 天保15(1844)年 渥美郷土資料館
宝船の歌 糟谷磯丸 教訓歌 弘化2(1845)年 個人
扇の歌 糟谷磯丸 述懐歌 天保12(18419年 御厨野文庫
病の治る歌 糟谷磯丸 まじない歌 弘化3(1846)年 渥美郷土資料館
神祇 たふとさは歌 糟谷磯丸 敬神佛歌 弘化2(1845)年 渥美郷土資料館
君臣歌 糟谷磯丸 教訓歌 短冊 御厨野文庫
寄鏡祝歌 糟谷磯丸 教訓歌 短冊 御厨野文庫
心の歌 糟谷磯丸 教訓歌 短冊 御厨野文庫
寄弓祝歌 糟谷磯丸 敬神佛歌 短冊 御厨野文庫
神祇 たゆみなく歌 糟谷磯丸 敬神佛歌 短冊 御厨野文庫
みるめかる歌 糟谷磯丸 述懐歌 短冊 御厨野文庫
西行の御像を見て詠む歌 糟谷磯丸 述懐歌 短冊 御厨野文庫
久しくとはざりけることを歌 糟谷磯丸 挨拶歌 短冊 御厨野文庫
寄松祝歌 糟谷磯丸 問答歌 短冊 御厨野文庫
数々の御恵賜りて詠む歌 糟谷磯丸 問答歌 短冊 御厨野文庫
春雨の歌 糟谷磯丸 問答歌 短冊 御厨野文庫
寄亀祝歌 糟谷磯丸 問答歌 短冊 御厨野文庫
風鈴の歌 糟谷磯丸 新古今調歌 短冊 御厨野文庫
朝鶯の歌 糟谷磯丸 新古今調歌 短冊 御厨野文庫
卯花の歌 糟谷磯丸 新古今調歌 短冊 御厨野文庫
渕となる歌 糟谷磯丸 新古今調歌 短冊 御厨野文庫
折込歌 やくしぶつ 糟谷磯丸 遊戯歌 一枚物 渥美郷土資料館
旅衣歌 糟谷磯丸 述懐歌 一枚物 渥美郷土資料館
春雨・浦霞の歌 糟谷磯丸 新古今調歌 一枚物 渥美郷土資料館
山川水草 糟谷磯丸 詠草 文政8(1825)年 冊子 個人
郭公百首 糟谷磯丸 詠草 文政11(18289年 冊子 個人
奇石の歌 糟谷磯丸 詠草 天保2(1831)年 冊子 個人
竹廣の里にて 詠草 糟谷磯丸 詠草 天保7(1836)年 冊子 個人
京の家つと 糟谷磯丸 詠草 天保10(1839)年 冊子 個人
詠草 糟谷磯丸 詠草 天保11(1840)年 冊子 個人
日の出松歌碑写真 歌碑 写真 渥美郷土資料館
日の出松の由来 歌碑 木版 田原市博物館
磯丸陶像 顕彰品 陶器 和地小学校
磯丸茶碗 朝草に歌入 顕彰品 陶器 渥美郷土資料館
磯丸茶碗 おしめなば歌入 顕彰品 陶器 渥美郷土資料館
歌聖磯丸翁遺品絵葉書 顕彰品 葉書 渥美郷土資料館
磯丸歌(家内安全)入り手ぬぐい 顕彰品 渥美郷土資料館

資料リスト

企画展示室1
資料名 作者名 年代 備考
立志像   昭和  
頌徳碑拓本 三条実美題字
川田甕江撰文
長三洲書
  明治23年10月建立
田原名所絵葉書 巴江公園渡邊崋山先生ノ碑      
渡邊華山翁建碑義捐金募集旨意   明治23年(1890)
華山翁建碑日記   明治25年(1892)  
参海雑志(複)パネル 渡辺崋山 大正9年(1920) 原本は天保4年(1833)
医福寺 和地川尻 小久保三郎兵衛住居 常光寺 はせを塚・円通院 彦二郎屋敷 伊良虞人
石竹図 渡辺崋山 天保9年(1838)  
崋山会報 第一号 崋山会 明治43年(1910)  
崋山全集 第一巻 崋山会 明治43年(1910) 鈴木清節編
崋山全集 第二巻 崋山会 大正4年(1915) 鈴木清節編
崋山全集  崋山会 昭和16年(1941)  
渡辺崋山遺墨帖 崋山会 明治44年(1911)  
口嗜小史 西田春耕 明治20年(1887)  
雲烟略伝 清宮秀堅 大正8年(1919) 文久2年(1862)序文
一掃百態図(複) 渡辺小華 明治17年(1884)  
一掃百態図(複) 渡辺崋山 昭和57年(1982)  
血涙一滴 古郡幸助 明治21年(1888)  
渡辺華山百話 大庭三郎 大正7年(1918)再版  
文明東漸史 藤田茂吉 大正15年(1926) 明治17年(1884)序
偉人渡邊華山   昭和5年(1930)  
家庭と学校 若き日の渡邉登 村瀬清三郎 昭和15年(1940)  
少年物語 渡邉崋山 小沢耕一 昭和43年(1968) 初版
少年物語 渡邉崋山 小沢耕一 昭和63年(1988) 第六版
少年物語 渡邉崋山 小沢耕一 平成12年(2000) 第七版
崋山渡邉登 小沢耕一 平成6年(1994) 改訂八版
渡辺崋山芸術的政治的な英雄 ジョージタウン大学 2000年  
時の旅人渡辺崋山展 桐生崋山会 平成13年(2001)  
領中の者へ申渡し(複)     渡辺崋山文案
数字書 渡辺崋山 江戸時代後期  
織田信長座右銘某宛書簡 渡辺崋山 江戸時代後期 個人蔵
渡辺崋山先生伝記絵図 松浦邦治 平成22年(2010)  
嚶鳴協議会先人紹介パネル      
恵那市 佐藤一斎      
大野町 所郁太郎      
沖縄市 島マス      
小田原市 二宮尊徳      
釜石市 大島高任      
木曽町 山村蘇門      
多久市 志田林三郎      
竹田市 廣瀬武夫      
東海市 細井平洲      
長野市 佐久間象山      
日田市 廣瀬淡窓      
養父市 池田草庵      
米沢市 上杉鷹山      
田原市 渡辺崋山      
磯丸全集原稿      
新編磯丸全集 愛知県教育会 昭和14年(1939)  
漁夫歌人糟谷磯丸 夏目隆文 平成9年(1997)  

※期間中、展示を変更する場合がございます。また展示室は作品保護のため、照明を落としてあります。ご了承ください。

嚶鳴協議会
嚶鳴協議会は、ふるさとの先人を活かしたまちづくり、人づくり、心そだてに取り組んでいる自治体が力を合わせ、その取り組みを全国に情報として発信するとともに、切磋琢磨し、先人の志と行動力に学ぶ元気な地方の交流を図ることを目的としています。「嚶鳴」とは、江戸時代の儒学者で、現在の東海市出身の細井平洲の私塾「嚶鳴塾」にちなんだもので、中国最古の詩集『詩経』にでてくる言葉で、鳥が仲間を集めて鳴き交うという意味です。

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資料解説

崋山頌徳碑

明治19年(1886)、当時の愛知県知事勝間田稔の勧めにより、旧田原藩士族団が発起人となり、県内を中心に寄付を集め、崋山頌徳碑の建立を計画しました。明治23年、田原城三の丸跡に三条実美の篆額、川田剛の撰文により碑が建設されました。

参海雑志(複)  原本は天保4年(1833) 〔焼失〕

渡辺崋山が天保4年(1833)に田原から渥美半島を西進し、伊良湖、神島を旅した記録をまとめた冊子である。「伊良虞人」など当時の漁民風俗を記録したものとしても貴重である。

崋山会報 第一号 明治43年(1910)

明治43年12月25日に発行された。内容は崋山会趣意書・崋山会会則・崋山会役員・発会式記事・崋山先生七十年祭記事・会計報告・会員名簿などである。

重要文化財 一掃百態図

初の総論の末尾に「文政新元青龍宿戊寅仲冬望前二日 江戸華山渡邉登識」とあり、文政元年11月13日に完成したことがわかる。32丁からなり、構成は、総論、鎌倉時代の13世紀から寛延(1748〜)から明和(1772〜)までの風俗図、序文、当時の江戸市井の風俗図、跋文である。生活空間としての動きのある場面が続く。風俗図には、歯を抜く図や金魚売図、寄席の図、剣道・砲術・槍術、寺子屋図、遊廓図、大名行列図、物売・行商図、書画会図、婦女図、荷車・農夫図、米俵(力比べ)図、火消し図、飲酒図、風呂屋の図と続く。朱の訂正や未着色の部分もあり、版本として刊行されることを意図したものと考えられる。当時流行していた浮世絵ではなく、動きのある人物を描き、崋山若き日の観察眼が知られる。明治の版は崋山の息子小華が模写したものを版に起こしたものである。

口嗜小史 西田春耕

交のあった人物の食べ物の嗜好とエピソードなどを述べた書。西田春耕は、弘化2年(1845)生まれ、明治43年(1910)没、東京出身の日本画家。魚住荊石・高久隆古・山本琴谷に師事した。渡辺崋山が好きだったのは、醤油をつけた焼きおにぎり、椿椿山は猪肉。

雲烟略伝 清宮秀堅

清宮秀堅(1809〜1879) が著した16人の南画家を取り上げた冊子で、安政6年(1859)清宮自身の序文、文久2年(1862)の川田甕江による序文がある。秀堅は、文化6年10月1日佐原村の農家に生まれ、不振であった家を復興、27歳で下総佐原村(千葉県)の里正(村長)となり、2年間在職。漢学の他に地理・歴史にも造詣が深く、30年がかりで地誌『下総国旧事考』を著し、維新後は、新治(にいはり)県の地誌編集にあたる。地頭(村主)津田家の財政管理に当たった人物である。また、私財を投じて、佐原村など17か村の道路改修を行なった。佐原新田開拓にも活躍し、明治12年10月20日死去。71歳。字(あざな)は穎栗。通称は利右衛門・秀太郎・総三郎。号は棠陰(とういん) ・縑浦漁者・総迺舎。主な著書として、新撰年表、北総詩誌等、多数の著書がある。『雲烟略伝』は、2巻から成り、上巻には、池大雅(1723〜1776)・野呂介石(1747〜1828)・釧雲泉(1759〜1811)・長町竹石(1757〜1806)・田能村竹田(1777〜1835)・浦上春琴(1779〜1846)・中林竹洞(1776〜1853)・岡田半江(1782〜1846)が紹介され、下巻には、渡辺崋山(1793〜1841)・椿椿山(1801〜1854)・高久靄p(1796〜1843)・英一蝶(1652〜1724)・谷文晁(1763〜1840)・立原杏所(1785〜1840)・円山応挙(1733〜1795)・松村月溪(呉春1752〜1811)が紹介される。

血涙一滴 古郡幸助

田玄白・大槻盤水・渡辺崋山・高島秋帆・高野長英・佐久間象山・吉田松陰などの略伝と崋山の『慎機論』、長英『夢物語』『鳥の鳴音』が紹介される。

文明東漸史 藤田茂吉

明治17年(1884)9月、東京報知社より出版された。内篇は西洋文明の渡来と蘭学対儒学の新旧思想のあつれき、蛮社の獄の顛末等を記し、外篇は渡辺崋山と高野長英の詳細な伝記である。当時、新資料に基づいた崋山の研究書として高く評価された。著者の藤田茂吉は福沢諭吉門下で慶應義塾に学んだ新聞記者で、明治25年に41歳で没した。明治18年2月に再版され、大正15年(1926)3月東京聚芳閣より再発行された。

家庭と学校 若き日の渡辺登

村瀬清三郎は田原町中部尋常高等小学校長で、昭和15年(1940)は、皇紀2600年であり、渡辺崋山没後100年となる。中部尋常高等小学校教育奨励会機関雑誌『家庭と学校』第432号を特集号とした。崋山劇として現在も行われている「立志」「板橋の別れ」以外に「忠義一途」が紹介されている。

領中のものへ申渡し 天保7年(1836)

領中のもの、我等を殿様とのみ心得居り候は不宜候、殿様とは天子より重き位を被下、公儀より大なる所領を被下、万人の上に居り、広き城内に住居候故、それを仰ぎて下より称候各自にて我等が心に取て実は領中のものども父母にて候。然る上は役人どもは、領中のもの共の兄にて候処、領中のものはただ尊き殿様、重き役人とのみ心得、かりそめにも実の父母まことの兄と弁へざるは、我等が心とは相違致候。…我等家督以来、食物衣服を始め身廻りの品より内外すべて非常の倹約をいたし、昨年報民倉取建候も、領中のものの耕作丹誠にむくひ度心入にて候。…食物の工夫倹約のいたし方上下諸共力を尽し取続候様可致候。…又、親の身と相成候ては、朝夕身近く居候子供よりも、遠方に居候子供は一入心を痛候ものにて候へば、我等も時々廻村いたし候間、極難のものあらば、無遠慮可申出候。父にも母にも我等一人を頼候其方共の事に候得ば、決して饑餓いたさせ候間敷候。

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