平常展 渡辺崋山と斎藤香玉

開催日 平成23年7月16日(土)〜平成23年9月4日(日)
開館時間 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
会場 特別展示室

香玉は崋山に10歳頃から絵を学んだ女性の弟子です。

展示作品リスト

特別展示室
指定 作品名 作者名 年代 備考
  張良抱上之図(画道名巻) 渡辺崋山 天保3年(1832)  
  陳居中官女媚秀図 渡辺崋山 文政年間 館蔵名品選第2集5
市文 四季山水画冊 渡辺崋山 天保8年(1837) 館蔵名品選第1集24
重文 麹町一件日録 椿 椿山 天保10年(1839)  
  斎藤香玉一家宛書簡写     原本は天保10年(1839)
  文殊菩薩 斎藤香玉 江戸時代後期  
  馬上人物 斎藤香玉 江戸時代後期  
  拾得 斎藤香玉 江戸時代後期  
  高士図 斎藤香玉 文政年間  
  宋紫石(楠本雪渓)筆寒山拾得図写 斎藤香玉 江戸時代後期  
  麒麟図 斎藤香玉 江戸時代後期  
  双鴨図 斎藤香玉 江戸時代後期  
  富士越龍 斎藤香玉 江戸時代後期  
  白梅 斎藤香玉 江戸時代後期 小澤耕一氏収集資料28
  関羽像(複) 渡辺崋山 文化11年(1814) 原本は個人蔵
  崋山筆関羽像写 斎藤香玉 江戸時代後期  
  崋山筆亀台金母図写 斎藤香玉 江戸時代後期  
  呉偉筆人物図写 斎藤香玉 江戸時代後期  
  鍾馗図 渡辺崋山 文政年間 館蔵名品選第2集6
  墨竹之図 渡辺崋山 文政年間 館蔵名品選第1集16
市文 換鵞図 渡辺崋山 文政年間 館蔵名品選第2集9
  鍾馗図 渡辺崋山 天保5年(1834) 館蔵名品選第2集20
  呉竹之図 渡辺崋山 天保年間 館蔵名品選第2集41
市文 高士観瀑図 渡辺崋山 天保8年(1837) 館蔵名品選第2集24
  秋景山水之図 斎藤香玉 江戸時代後期  
  雪景山水之図 斎藤香玉 天保9年(1838) 館蔵名品選第1集89
  緑陰山房図 斎藤香玉 江戸時代後期 館蔵名品選第1集90
  山水図 斎藤香玉 江戸時代後期 個人蔵
  王山谷山水写 斎藤香玉 天保7年(1836)  
  鍾馗図(雪舟写) 斎藤香玉 天保9年(1838)  
  鍾馗図 斎藤香玉 天保9年(1838)  

※期間中、展示を変更する場合がございます。また展示室は作品保護のため、照明を落としてあります。ご了承ください 。

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作品略歴

渡辺崋山 寛政5年(1793)〜天保12年(1841)

崋山は江戸麹町田原藩上屋敷に生まれた。絵は金子金陵から谷文晁につき、人物・山水画では、西洋的な陰影・遠近画法を用い、日本絵画史にも大きな影響を与えた。天保3年、40歳で藩の江戸家老となり、困窮する藩財政の立て直しに努めながら、幕末の激動の中で内外情勢をよく研究し、江戸の蘭学研究の中心にいたが、「蛮社の獄」で高野長英らと共に投獄され、在所蟄居となった。画弟子たちが絵を売り、恩師の生計を救おうとしたが、藩内外の世評により、藩主に災いの及ぶことをおそれ、天保12年に田原池ノ原で自刃した。

椿椿山 享和元年(1801)〜嘉永7年(1854)

名は弼(たすく)、字は篤甫、椿山・琢華堂・休庵など号した。江戸に生まれ、父と同じく幕府槍組同心を勤めるとともに、画業・学問に励んだ。平山行蔵(1760〜1829)に師事し長沼流兵学を修め、また俳諧、笙、にも長じ、煎茶への造詣も深かった。画は、はじめ金子金陵に学び、金陵没後、同門の渡辺崋山に入門、また谷文晁にも学ぶ。ヲ南田の画風に私淑し、没骨法を得意として、明るい色調の花卉画及び崋山譲りの肖像画を得意とした。
温和で忠義に篤い人柄であったといい、崋山に深く信頼された。崋山の入牢・蟄居の際、救援に努め、崋山没後はその遺児諧(小華)の養育を果たしている。門人には、渡辺小華、野口幽谷(1827〜1898)などを輩出し、「崋椿系」画家の範となった。

斎藤香玉 文化11年(1814)〜明治3年(1870)

上野国緑野村(現群馬県藤岡市)に代官斎藤市之進(一之進も使用)の三番目の子として生まれる。長兄伝兵衛、次兄伝三郎と三兄弟。名は世濃(よの)、号を香玉、別号に聴鶯がある。父は後江戸に移り、旗本浅倉播磨守の用人となった。香玉は十歳で父と知己であった崋山につき、蛮社の獄では、父娘とも師の救済運動に奔走した。幼少の頃から手本として摸写してきた崋山の画法を忠実に継承した女性弟子である。崋山から田原幽居中に斎藤家に宛てた手紙もあり、斎藤家と崋山との交遊も知られる。旗本松下次郎太郎に嫁ぎ、二人の子をもうけた。崋山没後は、谷文晁(1763〜1840)の弟子で、彦根藩井伊家に仕え、法眼となった佐竹永海(1803〜74)に入門した。結婚後の作品は今に残るものが少ない。

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作品紹介

渡辺崋山 四季山水画冊

図の中には年記が記されていないが、付属する書付に「鶏年」との年記があり、天保八年の作品であることがわかる。群馬県緑野村の代官斎藤市之進の娘で、十歳で崋山の画弟子となった斎藤香玉(1814〜70)に与えたものと伝えられている。女性に与えた手本らしく瑞々しく広々とした画面構成の作品である。香玉は崋山の画法を忠実に守って描いた山水画は男性のような力強さを見せる。

渡辺崋山 陳居中官女媚秀図

落款に「陳居中画」とある。陳居中は、南宋の画家で字号は郷貫。寧宗の嘉泰年間に画院に待詔された。人物、蕃馬の画に巧みで、柳は鉤葉の法を用いた。『圖繪寳鑑』には、「その布景著色は黄宗道(宣和の待詔)に亜ぐべし」とある。
作品は繊細な筆法で官女たちを描いている。しかし、朱の色は後の時代に着色された可能性もある。

椿椿山 麹町一件日録

渡辺崋山が蛮社の獄で捕えられ、その救済活動の記録である。蛮社の獄の進行状況や情報、救済の方法など、几帳面な椿山らしく克明に記録されている。5月17日の条に、「一、礫州香玉井上房次郎號竹逸來、牛込門御留守居丁梶川半左衛門内井上忠助忰。」とあり、椿山、斎藤香玉、井上竹逸の三人が登場し、崋山の弟子たちが師の救済活動に取りかかった様子がわかる。

斎藤香玉 一家宛書簡写

渡辺崋山が天保11年に池ノ原で幽居生活を送る中で、斎藤市之進・香玉父子に図入りで送った書簡の内容を写したもの。

斎藤香玉 呉偉筆人物図写

呉偉(1459〜1508)は中国明代の画家。字は士英,次翁。号は小僊(小仙)。湖北省武昌の人。幼少期は孤児であったが、17歳で画名をあげ、浙派の画家に属し、奔放な趣のある山水画・人物画を得意とし、次代の画家たちに影響を与えた。崋山・椿山なども呉偉の作品を摸写し、崋椿系画家の手本となっている。

渡辺崋山 鍾馗図 天保五年

疫病神を追い払う神、鍾馗を描く。唐の玄宗皇帝が夢に見て、呉道子に描かせたのに始まり、ひげづらで大きい目をしている。勢いよく筆を走らせて描き上げた作品で、墨の濃淡で人物の安定感、存在感を引き出している。落款は「甲午端午前一日崋山人」。

渡辺崋山 高士観瀑図

天保8年5月、崋山45歳の作。青山を遠くに、枯木が天を突く。その岩山を回流する溪水は大瀑布となり高士の耳目を驚かす。近景では、群流となり流れ落ちる。左上の賛詩を附す。「豁開青冥巓、 出萬 泉、如裁一條素、白日懸秋天 丁酉蕤賓月寫於全楽堂南楼 崋山登」。廣大なる青空の嶺より、そそぎ出る万丈の泉水は、一条の白絹を切り断つ如く、陽光輝く秋の空にかかる。

斎藤香玉 秋景山水之図

葉に薄い朱が入っていることから紅葉の季節、秋の山水図である。近景になるにつれ濃墨となりその効果で画面に奥行きが生まれている。

斎藤香玉 雪景山水之図

静かな空気を感じる画である。背景を墨で塗ることで、冬の雪の日が寒々と伝わってくる。前景を左下角に寄せ、右上を開放して遠山をみせる構図は、北宗画の絵画に近いであろう。落款には「戊戌仲夏香玉女寫」とあり、天保9年5月に描かれた。

斎藤香玉 緑陰山房図

春から夏にかけてのすがすがしい緑あふれる景色を描いている。深山は潤いがあり、墨点による米法山水である。田のあぜ道はゆるやかにカーブし、豊かに稲が成長している。近景にある青葉の陰に隠れている書斎には、手をのばしながらふと外を眺めている人物がいる。この奔放な筆さばきが女性のものであるとは、皆驚くであろう。十歳で崋山に師事し、崋山十哲の一人なのである。又、立原春沙とともに崋山門の双玉とも言われている。感性豊かで自由な人であったのであろう。
落款は「香玉女寫」で印二つは「雪景山水図」と同じものが使われている。落款、印とともに同一であるので、天保9年に近い作品である。

斎藤香玉 鍾馗図

田原市博物館に所蔵される斎藤香玉の粉本には、この画題が多く見られる。中国や日本の民間伝承に伝わる道教系の神。日本では、疱瘡除けなどに効があるとされ、端午の節句に絵や人形を奉納したりする。また、鍾馗の図像は魔よけの効果があるとされ、掛軸として飾ったり、屋根の上に鍾馗の像を載せたりする。鍾馗の図像は長い髭を蓄え、中国の官人の衣装を着て剣を持ち、大きな眼で何かを睨みつけている姿である。

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