田原の美術〜鈴木充コレクション

開催日 2009年1月6日(火)〜2月15日(日)
開館時間 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
会場 田原市博物館:企画展示室1

展示作品リスト

企画展示室1
番号 作 品 名 作者名
赤46 萩茶碗 坂田泥華
赤47 志野茶碗 加藤重高
赤48 黒茶碗 九代大樋長左衛門
赤49 鼠志野茶碗 安藤日出武
赤50 青白磁唐草茶碗 塚本快示
赤51 茶碗 黄九谷 大樋年郎
赤52 鉄釉茶碗 鈴木青々
赤61 志野花入 加藤孝造
赤62 碧釉ラスター彩花入 加藤卓男
赤63 青白磁輪花花瓶 塚本快示
赤53 鉛唐津茶碗 河村蜻山
赤54 黒花文茶碗 加藤鈔
赤55 染付茶碗 河本礫亭
赤56 鉄彩天目茶碗 加藤鐐
赤57 赤志野茶碗 鈴木藏
赤58 志野茶碗 加藤孝造
赤59 志野茶碗 若尾利貞
田46 志野茶碗 寺田美山
赤106 茶碗 御題 音 加藤舜陶
赤107 茶碗 御題 晴 加藤舜陶
赤108 茶碗 御題 桜 加藤舜陶
赤109 茶碗 御題 森 加藤舜陶
赤110 茶碗 御題 嶋 加藤舜陶
赤111 御題 車 黒瀬戸 加藤鈔
赤112 御題 苗 黄瀬戸茶碗 加藤鈔
赤113 茶碗 御題 朝 加藤鈔
赤114 茶碗 御題 坂 加藤鈔
田1−1 浅田蘇泉
田1−2 青いつぼ 鵜飼英夫
田1−5 鏡餅 木村荘八
田1−6 岩木山 (版画) 関野準一郎
田1−10 安曇野のアルプス 中村善策
田1−13 雪の民家 成田禎介
田1−12 初音 長縄士郎
田1−17 大相撲 藤森兼明
赤64 九谷 釉彩之友 飾瓶  浅藏五十吉
赤65 九谷華瓶 徳田八十吉
赤66 青銅花瓶 松崎福三郎
赤67 灰釉筒花入 加藤舜陶
赤69 蒼釉花入 加藤鈔
赤70 蘭花壺 鈴木青々
赤72 志野水指 安藤日出武
赤73 赤楽立鼓花入 中村道年
赤143 御深井壺 加藤舜陶
赤115 茶碗 御題 丘 加藤鈔
赤116 茶碗 御題 緑 加藤鈔
赤117 茶碗 御題 海 加藤鈔
赤118 茶碗 御題 橋 加藤鈔
赤119 茶碗 御題 こどもに因みて 加藤鈔
赤120 茶碗 御題 旅 加藤鈔
赤121 茶碗 御題 風 加藤鈔
赤122 茶碗 御題 木 加藤鈔
赤123 茶碗 御題 空 亀井勝
赤124 茶碗 御題 歌 亀井勝
赤125 灰釉茶碗 加藤鈔
赤126 黄瀬戸茶碗 加藤鈔
赤127 黄瀬戸茶碗 加藤鈔
赤128 志野茶碗 加藤清三
赤129 刷毛目茶碗 亀井勝
赤68 練込 香炉 水野双鶴
赤130 刷毛目茶碗 亀井勝
赤131 丸 三友図 河村蜻山
赤132 茶盌 河本五郎
赤133 黄砂釉茶碗 鈴木青々
赤134 雪どけ 塚本快示
赤135 黒瀬戸 中村道年
赤136 赤茶碗 中村道年尼
赤137 志野茶碗 若尾利貞
田20 志野壺 加藤春鼎
田2 九谷香炉 扇 浅蔵五十吉
田3 九谷釉彩茶碗 浅蔵五十吉
田47 赤膚焼茶碗 古瀬堯三
田1 九谷飾壺 浅蔵五十吉
田5 東海朝陽寿盃 永楽紘一
田7 黄瀬戸茶碗 加藤清之
田8 灰釉徳利 加藤清之
田9 志野花入 加藤孝造
田10 志野花入 加藤孝造
田12 釣窯釉花生 加藤五山
田13 汲出し 加藤五山
田49 万古盛絵茶碗 山田耕作
田16 織部花入 加藤春鼎
田17 志野花入 加藤春鼎
田18 古瀬戸壺 加藤春鼎
田19 織部花入 加藤春鼎
赤71 黒磁釉皿 亀井勝
赤77 碧釉飾皿 加藤卓男
赤81 唐草文 青白磁大皿 快山窯(塚本快示)
赤83 青白磁椿文皿 快山窯(塚本快示)
赤138 飴釉銘々皿 中村道年尼
田6 ラン沈金飾皿 大角博明
田11 子乃福鉢 加藤幸兵衛
田14 織部皿 加藤作助
田23 黒磁釉皿 亀井勝
田39 高光一生
田41 白磁飾皿 塚本快山
田42 青白磁輪花唐草皿 塚本快山
田43 白磁唐草文皿 塚本快山
赤60 志埜鉢 鈴木藏
田4 黄地緑彩鉢  
田15 織部鉢 加藤重高

※期間中、展示を変更する場合がございます。また展示室は作品保護のため、照明を落としてあります。ご了承ください。

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鈴木充コレクションについて

 鈴木充氏は明治41年(1908)に、現在の田原市赤羽根町に生まれました。旧制成章中学(現在の愛知県立成章高等学校)を経て、ハルビン学院を卒業しました。豊橋の参陽新報を経て、昭 和8年(1933)に名古屋新聞社(中部日本新聞社の前身)に入り、中日新聞編集局長・同専務取締役・代表取締役副社長などを歴任します。昭和41年以降は東海テレビ放送株式会社の取 締役を務め、代表取締役副社長を経て、昭和46年に代表取締役社長、同62年に会長、平成9年から相談役。東海テレビ福祉文化事業団理事長も長年務めました。昭和32年に、旧ソ連・ 中国・北朝鮮の視察記録を中日新聞に連載した「共産圏雑感」で、ボーン賞を受賞しました。昭和55年には勲二等旭日重光賞を受章。

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