平常展 渡辺崋山と渡辺小華

開催日 2009年1月6日(火)〜2月15日(日)
開館時間 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
会場 田原市博物館:特別展示室

渡辺崋山は、江戸時代後期を代表する文人画家として有名です。崋山の二男である小華は、崋山が亡くなった時には7歳でした。その後、13歳の小華は江戸に出て、椿椿山の画塾琢華堂で、椿山の指導により、花鳥画の技法を習得しています。

展示作品リスト

特別展示室
指定 作 品 名 作者名 年 代   備   考
市文 花卉鳥虫蔬果画冊
(かきちょうちゅうそかがさつ)
渡辺崋山 天保4年(1833) 館蔵名品選第1集20
市文 四季山水画冊
(しきさんすいがさつ)
渡辺崋山 天保8年(1837) 館蔵名品選第1集24
  扇面画帖
(せんめんがじょう)
渡辺崋山・椿椿山
(つばきちんざん)ほか
文政〜天保年間  
  水墨画扇面
(すいぼくがせんめん)
渡辺小華 明治時代前期  
  花禽十二帖
(かきんじゅうにじょう)
渡辺小華 明治時代前期 館蔵名品選第1集101
市文 関羽帝之図
(かんうていのず)
渡辺崋山 天保年間 館蔵名品選第2集17
  陶弘景聴松風図
(とうこうけいちょうしょうふうず)
渡辺崋山 江戸時代後期 個人蔵
  蘭石図
(らんせきず)
渡辺崋山 江戸時代後期 個人蔵
  殿中迎春之図
(でんちゅうげいしゅんのず)
渡辺崋山 天保年間  
  高士観瀑図
(こうしかんばくず)
渡辺崋山 天保9年(1838) 館蔵名品選第1集28
  痩馬図
(やせうまず)
渡辺崋山 天保11年(1840) 館蔵名品選第2集29
重文 日月大黒天図
(じつげつだいこくてんず)
渡辺崋山 天保12年(1841) 館蔵名品選第1集30
  花鳥画屏風
(かちょうがびょうぶ)
渡辺小華 明治14年(1881)  
  黄粱一炊図
(こうりょういっすいず)
渡辺小華 文久2年(1862)  
  名花十友図
(めいかじゅうゆうず)
渡辺小華 明治時代前期 個人蔵
  双鵞之図
(そうがのず)
渡辺小華 明治時代前期  
  蘭図
(らんず)
渡辺小華 明治時代前期 館蔵名品選第2集94
  花篭四友之図
(はなかごしゆうのず)
渡辺小華 明治8年(1875)  
  敗荷魚厥魚之図
(はいかけつぎょのず)
渡辺小華 明治時代前期 館蔵名品選第1集100
  芝仙祝寿図
(しせんしゅくじゅず)
渡辺小華 明治時代前期  
  蓮池秋色図
(れんちしゅうしょくず)
渡辺小華 明治11年(1878) 個人蔵
  蓮池翡翠図
(れんちひすいず)
渡辺小華 明治時代前期 個人蔵
  野菜之図
(やさいのず)
渡辺小華 明治時代前期  

※期間中、展示を変更する場合がございます。また展示室は作品保護のため、照明を落としてあります。ご了承ください。

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作者の略歴

渡辺崋山 [わたなべ かざん] 寛政5年(1793)〜天保12年(1841)

 崋山は江戸麹町田原藩上屋敷に生まれた。絵は金子金陵から谷文晁につき、人物・山水画では、西洋的な陰影・遠近画法を用い、日本絵画史にも大きな影響を与えた。天保3年、40歳で藩の江戸家老となり、困窮する藩財政の立て直しに努めながら、幕末の激動の中で内外情勢をよく研究し、江戸の蘭学研究の中心にいましたが、「蛮社の獄」で高野長英らと共に投獄され、在所蟄居となった。画弟子たちが絵を売り、恩師の生計を救おうとしますが、藩内外の世評により、藩主に災いの及ぶことをおそれ、天保12年に田原池ノ原で自刃した。

椿椿山 [つばき ちんざん] 享和元年(1801)〜安政元年(1854)

 椿山は享和元年6月4日、江戸に生まれた。幕府の槍組同心として勤務するかたわら、崋山と同様に絵を金子金陵に学び、金陵の死後、谷文晁にも学びましたが、後に崋山を慕い、師事するようになる。人物山水も描くが、特に南田風の花鳥画にすぐれ、崋山の画風を発展させ、崋椿画系と呼ばれるひとつの画系を築くことになる。また、蛮社の獄の際には、椿山は崋山救済運動の中心となり、崋山没後は二男の諧(小華)を養育し、花鳥画の技法を指導している。

渡辺小華 [わたなべ しょうか] 天保6年(1835)〜明治20年(1887)

 渡辺崋山の二男として江戸麹町(現在の東京都千代田区隼町)田原藩邸に生まれた。崋山が田原池ノ原の地で亡くなった時にはわずかに7歳だった。その後、弘化4年(1847)13歳の小華は田原から江戸に出て、椿椿山の画塾琢華堂に入門し、椿山の指導により、花鳥画の技法を習得した。嘉永7年(1854)、絵の師椿山が亡くなると、独学で絵を勉強、安政3年(1856)、江戸在勤の長兄立が25歳で亡くなったため、22歳の小華は渡辺家の家督を相続し、30歳で田原藩の家老職、廃藩後は参事の要職を勤めた。明治維新後、田原藩務が一段落すると、田原・豊橋で画家としての地歩を築き上げた。第1回内国勧業博覧会(明治10年)、第1回内国絵画共進会(同15年)に出品受賞し、明治15年(1882)上京し、中央画壇での地位を確立した。花鳥画には、独自の世界を築き、宮内庁(明治宮殿)に杉戸絵を残すなど、東三河や遠州の作家に大きな影響を与えたが、53歳で病没した。

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作品紹介

扇面画帖

 崋山3図・椿山4図・狩野探幽(1602〜1674)1図の計8図からなる画帖である。明治8年6月に渡辺小華が箱書をしている。崋山の作品は文政4年(1821)と文政11年、天保5年(1834)、椿椿山の作品は天保9年のものが台紙貼されている。狩野探幽(1602〜1674)の作品は寿老図である。

花禽十二帖

 小華の題字と十二図、さらに箱書もある。ヲ南田風の没骨、着彩を駆使している。牡丹、桃、山茶花、梅と小禽、枯木、秋海棠に鶉、金木犀、蓮、朝顔にキリギリス、果実など花鳥画モチーフのスタンダードが盛り込まれている。跋文に雲単鶴在主人の求めによって描くと記されるが、誰かは不明。
(題字) ※以下、/は改行を指す。
(題字)多識/為/雲巣鶴在/主人之嘱/小華并題
(一)玉洞春雲/倣甌香館/賦色之法
(二)想見唐朝少年士/家無四壁為斯花
(三)落花流水与心間夢/裏不知与已還起捲/風簾晴日嫩一鵑啼/緑雨余山
(四)山妻早作/塩蔵計/手打黄梅/摘紫蘓
(五)夜游誰秉燭明月/照新粧
(六)暁庭試歩興尤奇、世韻露香/秋一籬、残月伴人如有意、/牽午花外逗留時。
(七)休説越王恨西風秋満/江季斉詩句好無/入船牕
(八)三千界秋色都自/月中来
(九)山禽憐影応相似、腸/断誰知為自家
(十)寄跡空山裏蕭然気味/親蘇々遺墨在写書自家真
(十一)寒蝶凍/蜂争附/熱雪中/如火独斯/花
(十二)非有玉肌温/若許争堪/氷雪此時寒/為清癡詞家/少華并詩

殿春迎春之図

 「丁酉」の年記は天保八年であるが、随庵居士は崋山が田原蟄居を命じられた天保11年か12年に限って名乗る号であり、田原で描いた作品と考えられる。構図としては部屋の天井を取り払い、引戸の上を見越すように室内を描くもので、「吹抜屋台」と呼ばれる手法で描かれる。大名家の節分行事を描いており、部屋の中の武士の家紋は崋山の主君三宅家の輪宝にも見える。

高士観瀑図

 この作品は崋山46歳の時のものである。秋林の中、滝を眺めている高士二人と童子一人がいる。雲煙がたちこめ、そのはるか上には高楼が半ば隠れつつ見える。雲煙により山が途切れているにもかかわらず、全体の構図は崩れていない。秋深き渓谷に清らかで涼しげな気配が感じ取れる画である。この画を賛美する詩を付す。「山上の浮雲は天に幾重、秋高く華は王芙蓉に散る、好みて謝朓の人を驚かす語を携え、酔裡に落雁峰に登り来る」
 崋山46歳の年は、蛮社の獄の前年になり、『退役願稿』『鴃舌小記』『鴃舌或問』を草して西洋事情も取り入れる暮らしをしていた。
 また、田原藩としては、天保の大飢饉の時、一名の餓死者も出さず、幕府より救荒行届きの表彰を受けたり、沿海防備のことを心し、海岸防備訓練や砲術の操練を行い、前向きに取り組んだ時期であった。

渡辺小華 蘭図

 蘭は菊、松、竹とともに四君子と尊称される。俗気とは無縁の山奥や谷底で人知れず高貴な香りを漂わせ咲く姿は、理想とする君子のイメージを感じさせずにはいられない。この作品はまさにその情景を描いている。渓流の岩に咲く蘭は、岩陰からひっそりと覗いている。花弁に加えられる濃い墨点は画面に程良いリズムを与える。岩は淡墨を基調としところどころ擦れた筆による立体感を表現する。書体も蘭の葉との一体となり、書画ともにのびのび描かれている。このような作品を見ると、地味ながら小華の本領は水墨作品に発揮されると思う。落款の書体から明治15年以降の作品と考えられる。

渡辺小華 黄粱一炊図

 図中賛は、崋山の絶筆と伝えられる作品から忠実に写し、「呂公経邯鄲 邨中遇盧生 貧困授以枕 生夢登高科歴台閣 子孫以列顕任 年余八十 及寤呂公 初黄粱猶未熟 載在異聞録 其事雖近妄誕 警世也深矣 故富貴者能知之則 不溺驕栄?欲之習 而恐懼循理之道 亦当易従 貧賤者能知之則 不生卑屈燐求之念 而奮励自守士操亦当易為 若認得惟一炊之夢 便眼空一世 不得不萌妄動妄想 画竣而懼 困記之子安」とある。
  絵の構図では、崋山作品の下半分を切り取ったように構成し、背後にそそり立つ崖や険しい山、中心に立つ樹木などは、父崋山の切り裂くような緊張感を避けたものか、描かれていない。

渡辺小華 芝山祝寿図

 芝山祝寿は霊芝と松、紅梅の下に親子の鶴を描いている。鶴は千年、霊芝は万年を意味している。絖本に描かれている。

渡辺小華 蓮池秋色図

 画面を奥から手前に飛び出すように翡翠を描く構図が挑戦的である。たらし込みを駆使した蓮の葉と一気に描き切る蘆葉の鋭さが画面にアクセントとなっている。赤の色使いも計算された小気味良さを示している。

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