特別展示室 | ||||
指定 | 作品名 | 作者名 | 年代 | 備考 |
一覧縮図(いちらんしゅくず) | 椿 椿山 | 文政2・3年(1819・1820) | 館蔵名品選第2集56 | |
琢華堂畫稿(たっかどうがこう) | 椿 椿山 | 天保11〜13年(1840〜42) | ||
漫遊畫稿(まんゆうがこう) | 椿 椿山 | 弘化元年(1844) | ||
水墨花卉画冊(すいぼくかきがさつ) | 椿 椿山 | 嘉永2年(1849) | 2冊 初公開 | |
花鳥画帖(かちょうがじょう) | 椿 椿山 | 嘉永5年(1852) | 2冊 初公開 | |
重文 | 短刀 菊池槍(たんとう きくちやり) | 無銘 | 江戸時代後期 | 渡辺崋山愛用品 |
詩書扇面(ししょせんめん) | 渡辺崋山 | 文政10年(1827) | ||
琢華堂画譜(たっかどうがふ) | 椿 椿山 | 天保14年(1843) | 10冊 | |
蘇武養羊図(そぶようようず) | 渡辺崋山 | 天保10年(1839) | 個人蔵 | |
大黒天像(だいこくてんぞう) | 渡辺崋山 | 文化14年(1817) | 個人蔵 初公開 | |
名花十一図(めいかじゅういちず) | 渡辺崋山 | 江戸時代後期 | 館蔵名品選第1集39 | |
市文 | 花卉図屏風(かきずびょうぶ) | 椿 椿山 | 嘉永4年(1851) | 館蔵名品選第2集59 |
市文 | 渡辺たか坐像稿(わたなべたかざぞうこう) | 椿 椿山 | 嘉永年間 | |
市文 | 渡辺たか像稿(わたなべたかぞうこう) | 椿 椿山 | 嘉永年間 | |
市文 | 渡辺たか像稿(わたなべたかぞうこう) | 椿 椿山 | 嘉永年間 | |
清香萬年図(せいこうまんねんず) | 椿 椿山 | 天保2年(1831) | 初公開 | |
八百延年図(やおえんねんず) | 椿 椿山 | 江戸時代後期 | 館蔵名品選第1集61 | |
伯夷像(はくいぞう) | 椿 椿山 椿蓼村賛 |
嘉永元年(1848) | ||
老女像稿(ろうじょぞうこう) | 椿 椿山 | 江戸時代後期 |
※期間中、展示を変更する場合がございます。また展示室は作品保護のため、照明を落としてあります。ご了承ください。
渡辺崋山 寛政5年(1793)〜天保12年(1841)
崋山は江戸麹町田原藩上屋敷に生まれました。絵は金子金陵から谷文晁につき、人物・山水画では、西洋的な印影・遠近画法を用い、日本絵画史にも大きな影響を与えました。天保3年、40歳で藩の江戸家老となり、困窮する藩財政の立て直しに努めながら、幕末の激動の中で内外情勢をよく研究し、江戸の蘭学研究の中心にいましたが、「蛮社の獄」で高野長英らと共に投獄され、在所蟄居となりました。画弟子たちが絵を売り、恩師の生計を救おうとしますが、藩内外の世評により、藩主に災いの及ぶことをおそれ、天保12年に田原池ノ原で自刃しました。
椿 椿山 享和元年(1801)〜安政元年(1854)
椿山は享和元年6月4日、江戸に生まれました。幕府の槍組同心として勤務するかたわら、崋山と同様に絵を金子金陵に学び、金陵の死後、谷文晁にも学びましたが、後に崋山を慕い、師事するようになります。人物山水も描きますが、特に南田風の花鳥画にすぐれ、崋山の画風を発展させ、崋椿画系と呼ばれるひとつの画系を築くことになります。また、蛮社の獄の際には、椿山は崋山救済運動の中心となり、崋山没後は二男の諧(小華)を養育し、花鳥画の技法を指導しています。
一覧縮図 椿椿山 文政2年(1819)〜3年(1820)
表紙に「文政録 二番 一覧縮図 椿山藏二」、裏には「英一蝶 筆一 茶家 画家 名家 過眼録 卯至辰」と墨書で記される。
文政2から3年、つまり椿山19歳から20歳にかかる、現在のところ椿山の最古の資料である。いわゆる、その名の示すとおり展観会に見た作品、什物の縮図及び写生を描きとめた備忘録である。谷文晁、渡辺崋山をはじめとする関東の文人画家はそれぞれ膨大な数の備忘録を残している。しかし、自ら描いた作品の覚え、縮図・写生をまとめたものは区別するのが常であるが、この資料の特異な点としてそれらが混在していることである。文化14年(1817)に没した最初の師金子金陵の作品も収められる。
一番多く収められるのは狩野派で、明清画では李士達、呂紀、林良、周之冤、沈南蘋、張秋殻の作品がある。円山派、大雅。蕪村の作品が記録される一方、眼に触れる機会が一番多い同時代の文人画、例えば谷文晁、崋山の作品は少ない。
中には、現在でも有名な作品も収められ、徐霖「菊花野兎図」(静嘉堂文庫美術館蔵)の縮図も収められる。これらを見ると、大名家などの所蔵作品もあり、若き椿山がそのようなものに触れる立場にいたことは注意しておきたい。
この資料で重要な点は、新調前の旧表紙に記された「椿山常長蔵本」である。また、「薫琳 椿山蔵本」の罫紙から、「常長」「薫琳」それぞれは椿山の別号の可能性がある。「常長」は、椿山の最初の妻、太田登耶子の父太田常長(号得水 椿山の和歌の師と言われている)と同名であり、その関係が注目される。文政五年までの縮図には「常長」の名が見られることからこの時期までこう称していたのであろう。
紙面の天地が切断され、一部失われており、まさしくメモ帳であった本資料を、椿山自身がある時期に新調した状況が窺われる。
※『田原市博物館館蔵名品選第2集』付属のCD―ROMで作品の全図版がご覧になれます。
漫遊画稿 椿椿山 弘化元年(1844)
椿山が田原へ崋山の墓参りした後に立ち寄った、遠州で依頼された作品の記録である。崋山の墓参りと家族への見舞が主目的であった。途中、平井顕斎・福田半香・三宅鴨渓の計画による画会を行ったようである。
依頼主・仲介者・画材・大きさなどが記録されている。「○○嘱」が仲介者で、「○○頼、需」が依頼主と考えられる。内容は花鳥画がほとんどである。
水墨花卉画冊 椿椿山 嘉永2年(1849)
各冊に10図ずつ描く。二冊目の最後の図に、「己酉秋七月」とある。着色画に巧であったが、その技は水墨でも発揮される。小禽や金魚が添えられた図もある。
十二支図巻 渡辺崋山
十二支の画巻である。没骨法で描かれたものと毛書きを主にしているもので組み合わされている。ネズミやウサギ、鶏、犬といった実物の写生と思われるものと、牛、虎、龍などの写生ではないものが続けて描かれる。その絵は生命力の差となり、見る者に伝わるが、虎や龍にも古法に法った筆の走りが冴える。かつて京都国立博物館に出品されて好評を博したと伝えられる。
渡辺たか像稿 椿椿山
右の図には、上に「第三 筋少ク」、左の図には「第四 耳大キク」「トカル 口ハヘノ字ナリ」「此スシ無」などと記してある。画左に「九月十一日 弼敬寫」とあり、「弼」の朱文円印を捺す。渡辺崋山像稿が保管された倉庫にあり、渡辺家に伝来した可能性がある。昭和十年代に撮影された写真の題には「顯妣教了君肖像」と記される。
清香萬年図 椿椿山 天保2年(1831)
この作品は、箱書に「清香萬年図」とあり、この作品名としているが、賛には、「天保辛卯孟夏椿弼寫壽柳湾先生芝蘭玉樹萃美於庭下則小図足以微而聊致祝之意云」とあり、「芝蘭玉樹図」とも題されるものである。また、田原市博物館に所蔵される『琢華堂日録』という文政元年(1818)から弘化2年(1845)にいたる日記(火災にあい、一部のみが現存)に、この作品の賛が写し取られている。柳湾先生は、館柳湾(1762〜1844)で、新潟の廻船問屋に生まれ、13歳で、江戸に出て、亀田鵬斎につき、成人後は、幕臣の家臣となり、漢詩人・書家として活躍した。69歳で、出身地の新潟に戻ったが、椿椿山との交流は続き、椿山が使用した印に「八十二翁柳湾」と刻されるものがある。
八百延年図 椿椿山 天保14年(1843)
柏(ヒノキ、サワラなどの常緑樹)、樹、菊、奇岩、そして叭々鳥五羽を配する。
叭々鳥は日本には、存在せず、中国大陸から画題とともに飼鳥として輸入された。叭々鳥の「八」、柏樹の「柏」を「百」の字になぞらえ、八百の長寿を表す吉祥画題である。
複雑に屈曲する柏樹、奇岩はモティーフの持つ生命力を表現する。しかし、菊の清らかな姿は、奇異な形態の岩の「アク」の強さを、適度に柔らかくする。この菊も絵手本である。「芥子園画伝」あたりからの図取りであろう。
伯夷像 椿椿山筆・椿蓼村賛 嘉永元年(1848)
伯夷は、古代中国殷の時代、孤竹国の王子で、儒教では聖人とされる。名は允・字は公信。父親から弟の叔斉に位を譲ることを伝えられた伯夷は、遺言に従って叔斉に王位を継がせようとした。しかし、叔斉は兄を差し置いて位につくことを良しとせず、兄に位を継がそうとした。そこで、伯夷は国を捨てて他国に逃れた。叔斉も位につかずに兄を追って出国してしまった。兄弟は、周の文王の評判を聞き、周へ向かうが、この頃、既に文王は亡くなっていた。文王の息子、武王が殷の王を討とうと、進軍する最中であった。父の死後、間もないのに、主君である殷の王を討つのは、不忠であると、説いたが、聞き入られなかった。この後、二人は、周の粟を食べる事を恥として周の国から離れ、武王が新王朝を立てたときは首陽山に隠れ、山菜を食べていたが、最後には餓死した。
賛を書いた椿蓼村(1806〜1853)は、書家として知られた。通称は亮左衛門。蓼村の娘は椿山の長男、華谷(1825〜1850)に嫁ぎ、一女をもうけた。
老女像稿 椿椿山
椿椿山が描いた「渡辺崋山像稿」が保管された倉庫にあり、発見時には同一の袋に入っていた。伏目がちにおとなしい老婆の上半身が描かれる。付属として、顔部の陰影が強調された部分図が貼られている。