◆中原悌二郎と岡田虎二郎
岡田虎二郎
(1916年)
深い自然観照から生まれた幾つかの作品が、「現在でも日本の具象彫刻の傑作」と評される彫刻家中原悌二郎は、親友で近代洋画界を代表する洋画家の中村彝と共に、岡田虎二郎が主宰する、東京日暮里・本行寺での「静坐会」に参坐し始めました。明治45年でした。
岡田は愛知県田原に生まれ、全国の偉人を訪ね歩いて、様々な思想や哲学を学びました。アメリカに遊学後、自らの経験から感得した自然の原理を基に、独自の静坐・呼吸法を創案しました。この静坐法は一世を風靡し、皇族・学者・実業家など、1万人を超える多様な帰依者を持つに到りました。
しかし、岡田が48歳で急逝すると、多くの人は静坐から離れていきましたが、悌二郎は、死の直前まで静坐を続けました。悌二郎は、静坐法に深く共感し、その影響は彼の思想と創造の営為にも及んでいたと思われます。
本展は中原悌二郎の未公開の素描も含めた、作品92点と、彼が評価したロダン・荻原守衛などの代表作を展示して、悌二郎の造形思想をたどると共に、岡田虎二郎に係わる資料を併陳して静坐法の実相を紹介し、相互の関係を明らかにしようとするものです。
「行乞老人」(1918年) |
「若きカフカス人」(1919年) |
「平櫛田中像」(1919年) |
◆作者紹介
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中原悌二郎
1888(明治21)年北海道釧路に生まれる。9歳で旭川の叔父の養子となり、画家を志して17歳で上京。21歳彫刻に転じ23歳から静坐会に参坐。27歳のとき日本美術院研究所彫刻部に入り、彫刻の研究に没頭。彫刻の本質と普遍性を具えた名作を残すも、32歳にて病没。近代日本彫刻史上最も重要な作家の一人。
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荻原守衛「坑夫」
オーギュスト・ロダン
「考える人」
※他に悌二郎をめぐる作家達として朝倉文夫・佐藤朝山・鶴田吾郎・堀進二らの作品、
岡田虎二郎関係資料として虎二郎のデスマスク・自筆の書などを展示します。
◎平櫛田中「酔吟行」(1914年)呉市立美術館蔵
◎オーギュスト・ロダン「着衣のバルザック」(1897年)呉市立美術館蔵
◎石井鶴三「中原悌二郎氏像」(1916年)茨城県近代美術館蔵
◎中村 彝「中原悌二郎像」(三重県立美術館蔵
◎中原悌二郎「憩える女」(1919年)愛知県美術館蔵
◎戸張孤雁「くもり」(1917年)碌山美術館蔵
◎中原悌二郎「平櫛田中像」(1919年)井原市立田中美術館蔵
◎荻原守衛「坑夫」(1907年)長野県信濃美術館蔵
◎中原悌二郎「若きカフカス人」(1919年)新潟大学蔵
◎中原悌二郎「行乞老人」(1918年)東京藝術大学蔵
◎保田龍門「風景」(1918年)和歌山県立近代美術館蔵
◎中村 彝(つね)「静物」(1919年)茨城県近代美術館蔵
◎オーギュスト・ロダン「考える人」(1880年)新潟県立近代美術館蔵
◎高村光太郎「手」(1918年)台東区立朝倉彫塑館蔵
主催:田原市博物館・中日新聞社
後援:愛知県教育委員会 企画−Art Office TAIAN
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平櫛田中「酔吟行」 |
石井鶴三「中原悌二郎氏像」 |
戸張孤雁「くもり」 |
高村光太郎「手」 |
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