田原市博物館コレクション選〜陶磁器を中心に
展示期間 平成18年6月2日(金)〜平成18年7月23日(日)
展示作品リスト
企画展示室2
コレクション 作 品 名 作者名 年 代 備   考
充35

亥花金花生
(いかきんはないけ)

鈴木紀文
(すずきのりふみ)
平成6年(1994)  
充36 灰釉子付花生
(かいゆうねつきはないけ)
鈴木紀文 平成7年(1995)  
充34 虎斑文花瓶
(こはんもんかびん)
鈴木紀文 平成9年(1997)  
充33 卯耳長壺
(うじちょうこ)
鈴木紀文 平成10年(1998)  
充39
(うつわ)
高光一生
(たかみついっせい)
平成11年(1999)  
 
敏76 影青花瓶
(いんちんかびん)
     
敏81 白地鉄絵牡丹文磁州窯瓶
(しろじてつえぼたんもんじしゅうようへい)
     
敏83 青磁鳳凰耳付花生花瓶
(せいじほうおうみみつきはないけかびん)
     
敏85 五彩草文鳥文尊式花瓶
(ごさいそうもんちょうもんそんしきかびん)
     
 
  色鍋島柴垣椿絵花器
(いろなべしましばがきつばきえかき)
12代今泉今右衛門
(いまいずみいまえもん)
1897-1975 個人蔵
  色鍋島丸紋花絵花器
(いろなべしままるもんはなえかき)
12代今泉今右衛門   個人蔵
  色鍋島花模様花器
(いろなべしまはなもようかき)
12代今泉今右衛門   個人蔵
  花瓶
(かびん)
13代酒井田柿右衛門
(さかいだかきえもん)
1906-1982 個人蔵
 
芝7-4 伊万里色絵山水図
(いまりいろえさんすいず)
     
芝8-4 古伊万里染付山水図
(こいまりそめつけさんすいず)
     
 
芝3-65 茶碗
(ちゃわん)
河本礫亭
(かわもとれきてい)
   
芝5-89 染付山水壺
(そめつけさんすいつぼ)
河本礫亭    
芝16-219 灰皿
(はいざら)
河本礫亭    
芝16-222 茶碗
(ちゃわん)
河本礫亭    
芝16-221 香炉
(こうろ)
河本礫亭    
芝16-226 酒器(干支徳利)
(しゅき(えととっくり))
河本礫亭    
芝5-93 抱瓶
(だちびん)
     
芝5-94 魚文抱瓶
(ぎょもんだちびん)
     
充5 東海朝陽寿盃
(とうかいちょうようじゅはい)
永楽絋一
(えいらくこういち)
   
充32 鉄赤釉鶏冠壺
(てつせきゆうけいかんこ)
鈴木紀文 平成4年(1992)  
充14 織部皿
(おりべざら)
加藤作助
(かとうさくすけ)
   
 
  渡辺崋山像
(わたなべかざんぞう)
追平陶吉
(おいひらとうきち)
平成  

※ 期間中、展示を変更する場合がございます。また展示室は作品保護のため、
 照明を落としてあります。ご了承ください 。

主な収蔵展示品寄贈者紹介
 芝村義邦氏は明治33年(1900)に、山梨県石和に生まれました。旧制成章中学(現在の愛知県立成章高等学校)が教員としての初めての赴任地でした。県内の高等学校長として時習館高等学校・瑞陵高等学校などを歴任されました。平成8年、名古屋市内の病院で死去。平成9年10月9日に、遺品の美術品が田原町へ寄贈されました。また、奥様のご意志により平成11年5月に追加寄贈されました。
 
 鈴木充氏は明治41年(1908)に、現在の田原市赤羽根町に生まれました。旧制成章中学(現在の愛知県立成章高等学校)を経て、ハルビン学院を卒業しました。豊橋の参陽新報を経て、昭和8年(1933)に名古屋新聞社(中部日本新聞社の前身)に入り、中日新聞編集局長・同専務取締役・代表取締役副社長などを歴任します。昭和41年以降は東海テレビ放送株式会社の取締役を務め、代表取締役副社長を経て、昭和46年に代表取締役社長、同62年に会長、平成9年から相談役。東海テレビ福祉文化事業団理事長も長年務めました。昭和32年に、旧ソ連・中国・北朝鮮の視察記録を中日新聞に連載した「共産圏雑感」で、ボーン賞を受賞しました。昭和55年には勲二等旭日重光賞を受章。
 
 鈴木敏雄氏は、大正5年(1916)旧赤羽根町の赤中区(現田原市赤羽根町西瀬古8番地)に生まれ、幼少の頃から学業に励み、豊橋市旭本町に鈴木眼科医院を開業されました。眼科医を営むかたわら海外旅行(主に 中国・朝鮮)にいそしみ、その先々で趣味とされていた陶磁器等を収集されました。 その後、赤羽根町と田原市に陶磁器等を寄贈されました。
 
焼物の知識
織部
 慶長年間(1596〜1615)から寛永年間(1624〜44)に美濃で焼かれた斬新奇抜な加飾陶器のこと。名称は天下一の茶の湯宗匠であった古田織部正重然(1544〜1615)の名から呼ばれた。古田織部の好尚を反映した陶器と考えられる。世界に先駆けて20世紀に流行する抽象意匠をつくり上げ現代美術の先取りと評せられる。主な焼造窯は岐阜県土岐市に集中する。
 
伊万里焼
 17世紀半ば、世界的磁器生産地であった景徳鎮窯の生産力が落ちた。そのため、オランダ東インド会社は日本に欧州向け磁器を大量に発注するようになった。その当時、有田焼を伊万里港を通じて出荷されたので、「伊万里焼」と呼ばれた。江戸時代の有田焼を「古伊万里」と呼ぶ。
 
鍋島焼
 江戸時代に肥前国を治めた鍋島家を領主とする鍋島藩が、特別の献上物を焼造させた藩窯およびその製品をいう。藩祖鍋島直茂が、文禄・慶長の役(1592〜98)を契機として朝鮮から招致した陶工の一人李参平が元和2年(1616)に佐賀県有田町の泉山に白磁鉱石を発見し、磁器の窯を開窯したと伝える。
 
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