相撲は、土俵内で2人が組み合い、相手を倒すか、土俵外に出すことによって勝負を争う競技です。歴史的には、『日本書紀』垂仁天皇の条の野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)の力比べがでてきます。734年聖武天皇のときから300余年天覧(節会相撲)が行われるようになりました。安土桃山時代に生まれた職業相撲は、江戸時代の中ごろ現在の大相撲に近い組織や制度となり、大衆の人気を呼びました。
相撲絵とは文字通り、相撲の力士を描いた錦絵です。江戸時代の相撲は、室町時代からの流れを受けて、社寺の建立や修復の資金を集めるための勧進相撲として発達しましたが、後にはその目的は形骸化しました。勧進相撲の名称と、社寺の境内に土俵と客席を構えるという形こそ存続したものの、営利を目的とした興行となりました。勧進相撲は明和・安永(1764〜81)の頃から盛んになり、力士の専業化も進みました。また、勧進の名目の形骸化に伴い、興行の場所と時期が次第に固定化されるようになりました。場所は、天明頃から本所回向院で行われることが多くなり、時期は安永から幕末までは春と冬の2回に、晴天10日ということがほぼ定例となりました。
相撲絵には、土俵上の取り組みの姿や、まわしを締めた力士の一人立ちの姿を描いたものにとどまらず、支度部屋の内部を描いたものや稽古場の光景を描いたもの、あるいは着物を着た土俵外の日常姿を描いたものなどがあります。 |