平常展 渡辺崋山・椿椿山〜細密に描く
展示期間 平成18年2月8日(水)〜平成18年3月19日(日)
展示作品リスト
特別展示室
指定 作品名 作者名 年代  備考
  粉本・画稿類(ふんぽん・がこうるい)   江戸時代後期以降 新収蔵
  毛武游記図巻(複製)
(もうぶゆうきずかん)
渡辺崋山
(わたなべかざん)
天保2年(1831) 原本は常葉美術館蔵
  ちょう録(ほうちょうろく)(写本) (ほうちょうろく) 渡辺崋山   原本は天保3年(1832)
  一覧縮図(いちらんしゅくず) 椿 椿山
(つばきちんざん)
文政2・3年(1819・20)  
  耕織図(こうしょくず) 渡辺崋山 天保年間  
  崋山先生昆虫写生冊子
(かざんせんせいこんちゅうしゃせいさっし)
鏑木華国
(かぶらぎかこく)
  鏑木家寄贈28
  酒井忠世像稿(さかいただよぞうこう) 渡辺崋山 江戸時代後期 個人蔵、2月26日まで展示
  土井利勝像稿(どいとしかつぞうこう) 渡辺崋山 江戸時代後期 個人蔵、2月28日から展示
  西王母図(せいおうぼず) 谷 文晁
(たに ぶんちょう)
文化9年(1812)  
重美 佐藤一斎像稿 第二稿(複製)
(さとういっさいぞうこう だいにこう)
渡辺崋山 文政4年(1821) 個人蔵
重文 渡辺巴洲像画稿 五図(複製)
(わたなべはしゅうぞうがこう ごず)
渡辺崋山 文政7年(1824)  
  本箱(ほんばこ)   江戸時代 崋山愛用
  蘇武養羊図(そぶようようず) 渡辺崋山 天保9年(1838) 個人蔵
  西園雅集画稿(せいえんがしゅうがこう) 渡辺崋山 江戸時代後期  
  八仙人之図(はっせんにんのず) 渡辺崋山 天保6年(1835)  
  溪澗野雉図稿(けいかんやちずこう) 渡辺崋山 江戸時代後期 個人蔵
山形県文 溪澗野雉図(けいかんやちず)(複製) 渡辺崋山 天保年間  
  江山漁楽図(こうざんぎょらくず) 椿 椿山 天保10年(1839)  
  伯夷像(はくいぞう) 椿 椿山 嘉永元年(1848) 新収蔵
  摸崋山芦雁(もかざんろがん) 椿 華谷
(つばき かこく)
江戸時代後期  
  全楽先生像(ぜんらくせんせいぞう) 山本?谷
(やまもときんこく)
江戸時代後期 個人蔵
市文 福田半香肖像画稿(複製)
(ふくだはんこうしょうぞうがこう)
椿 椿山 嘉永4年(1851)  
重文 渡辺崋山像(複製)
(わたなべかざんぞう)
椿 椿山 嘉永6年(1853)  
  歳寒三友図(さいかんさんゆうず) 椿 椿山 嘉永7年(1854)  

※ 期間中、展示を変更する場合がございます。また展示室は作品保護のため、
 照明を落としてあります。ご了承ください 。

作品紹介
●粉本・画稿類
 東洋画の学画の基本は古画の模写です。他の作品の良いところを一部再構成し、作品に仕上げる「図取り」という行為がなされています。崋椿系の画家たちは、崋山、椿山の域に少しでも近づくため、彼らの絵を模写しました。めったに見ることのできない作品は、粉本でさえ貴重なものであり、粉本をさらに写し所持する場合もあるほどです。そしてそれら粉本は画塾の中で共有し、また、師から弟子へと受け継がれていきます。作品を制作するにあたっては、多くの素材つまり粉本を持つ必要がありました。作品を模写したものを粉本、作品の下絵は画稿と呼び、区分します。今回、展示するものは渡辺小華(1835〜1887)の弟子にあたる家に伝わったものです。小華没後、その子孫は他の画家について学んだため、崋椿系と小室翠雲(1874〜1945、文展審査員・帝室技芸員などをつとめた)系の粉本が含まれています。
●毛武游記図巻
 崋山が毛武地方を訪ねたのは、天保2年10月から11月のことであった。10月11日に江戸を立ち、中山道を通り、妹の嫁ぎ先である桐生岩本家を訪ねた際の記録は『毛武游記』(重要美術品・個人蔵)として知られる。この図巻は実景に則して、広大な風景を鳥瞰的に描いたもので、細い線描のみで描かれる。
 第一図には、三輪神社(桐生市宮本町にある美和神社)と観音を祀る光明寺、第二図で、人家が街道沿いに連なる桐生の町並みが描かれる。第三図は、地元の詩人佐羽淡斎が桐生の小倉山に建てた十山亭から見た風景で、山の上に「赤城、三國、榛名、伊香保、浅間、甲州、武」と山の名を書き入れている。第四図、第五図は要害山上から見た風景で、第六図には「高津戸渡(現大間々町)」と記している。第七図に渡瀬川上流の風景、第八図には山麓の街道に建つ人家、第九図に道了権現に通ずる坂道の階段とその下の茶店、第十図には大間々町の街道周辺に集中する町並みが俯瞰的に描写されている。第十一図は下野の山を遠望したものであろう。第十三図に上野国新田郡の生品明神を祀る「生品森」、第十四図に「赤岩、吾妻山、小倉」とあり、渡良瀬川の渡し船場の赤岩橋、山頂が村松村(現桐生市宮本町)・東小倉村(現桐生市川内町)にまたがる標高481mの吾妻山が描かれる。第十五図の「前小屋渡」は上野国新田郡前小屋村(現群馬県新田郡尾島町前小屋)の渡しである。図巻最終図の第十六図は武蔵国榛沢郡高島村(現深谷市高島)の豪農で、江戸の蘭学塾芝蘭堂で学んだ伊丹新左衛門の屋敷から眺望したと思われる風景が描かれる。
 
作者の略歴
●渡辺崋山[わたなべ かざん]
  寛政5年(1793)〜天保12年(1841)
 崋山は江戸麹町田原藩上屋敷に生まれました。絵は金子金陵から谷文晁につき、人物・山水画では、西洋的な印影・遠近画法を用い、日本絵画史にも大きな影響を与えました。天保3年、40歳で藩の江戸家老となり、困窮する藩財政の立て直しに努めながら、幕末の激動の中で内外情勢をよく研究し、江戸の蘭学研究の中心にいましたが、「蛮社の獄」で高野長英らと共に投獄され、在所蟄居となりました。画弟子たちが絵を売り、恩師の生計を救おうとしますが、藩内外の世評により、藩主に災いの及ぶことをおそれ、天保12年に田原池ノ原で自刃しました。
●椿椿山[つばき ちんざん]
  享和元年(1801)〜安政元年(1854)
 椿山は享和元年6月4日、江戸に生まれました。幕府の槍組同心として勤務するかたわら、崋山と同様に絵を金子金陵に学び、金陵の死後、谷文晁にも学びましたが、後に崋山を慕い、師事するようになります。人物山水も描きますが、特に南田風の花鳥画にすぐれ、崋山の画風を発展させ、崋椿画系と呼ばれるひとつの画系を築くことになります。また、蛮社の獄の際には、椿山は崋山救済運動の中心となり、崋山没後は二男の諧(小華)を養育し、花鳥画の技法を指導しています。
●鏑木華国[かぶらぎ かこく]

  明治元年(1868)〜昭和17年(1942)
 華国は田原藩士の子として田原に生まれました。銀行に勤務するかたわら渡辺小華に絵を学びました。明治43年崋山会が創立され、翌年3月の「渡辺崋山遺墨帖」発刊の際には中心となり、崋山の顕彰活動に尽力しました。画風は小華の門下として崋椿系南画を受け継ぎ、花鳥画を得意としました。小華亡き後、井上華陵(1862〜1930)と共に東三河の小華門下の中心として活躍しましたが、昭和17年、75歳で東京で没しました。鏑木家の資料は平成14年に田原市へ寄贈されました。

●谷文晁[たに ぶんちょう]

  宝暦13年(1763)〜天保11年(1840)
 字は文晁。写山楼・画学斎などと号す。田安家の家臣で、当時著名な漢詩人谷麓谷(1729〜1809)の子として江戸に生まれ、中山高陽(1717〜1780)の門人渡辺玄対(1749〜1822)に画を学ぶ。天明8年(1788)26歳で田安徳川家に出仕。寛政4年(1792)田安家出身で寛政の改革を行う老中松平定信(1758〜1829)付となり、その巡視や旅行に随行して真景図を制作し、『集古十種』『古画類聚』編纂事業、『石山寺縁起絵巻』の補作、また定信の御用絵師を勤めた。
 明清画を中心に中国・日本・西洋などのあらゆる画法を広く学び、当時を代表する多数の儒者・詩人・書画家たちと交流し、関東画檀の主導的役割を果たした。また画塾写山楼において数多くの門人を育成し、代表的な門人に、渡辺崋山、高久靄p(1796〜1843)、立原杏所(1785〜1840)がいる。

●椿 華谷[つばき かこく]

  文政8年(1825)生まれ、嘉永3年(1850)に没す。
 椿山の長男として生まれ、名を恒吉といった。椿山が崋山の弟如山を弟子にしていたように、幼くして華谷は崋山に入門した。華谷という号は15歳で与えられたと言われている。如山が崋山と共に田原藩主三宅康直(1811〜93)の日光祭礼奉行に随行したりして一人立ちすると、華谷は椿山の画技を得るべき人物であった。崋山の友人で番町の学者椿蓼村の娘を妻に迎え、一女をもうけた。残念ながら、椿山に先立ち、26歳で亡くなった。

●山本?谷[やまもと きんこく]

  文化8年(1811)生まれ、明治6年(1873)に没す。
 石見国(島根県)津和野藩亀井侯の家臣吉田吉右衛門の子として生まれたが、同藩の山本家に養子した。名は謙、字は子譲。藩の家老多胡逸斎(1802〜57)に絵を学び、のち家老出府に従い江戸に上り崋山の門に入った。崋山が蛮社の獄で捕えられると天保11年には、椿椿山(1801〜54)に入門した。嘉永6年(1853)には津和野藩絵師となった。人物・山水画を得意とし、後に津和野藩主より帝室に奉献された窮民図巻(難民図巻)を描いたことで知られる。明治6年(1873)にオーストリアで開催された万国博覧会に出品された『稚子抱猫図』は好評を得た。弟子として荒木寛友(1850〜1920)・高森砕巌(1847〜1917)等がいる。

 
田原市博物館/〒441-3421 愛知県田原市田原町巴江11-1 TEL:0531-22-1720 FAX:0531-22-2028
URL:http://www.taharamuseum.gr.jp