企画展示室2 |
資料名 |
時代 |
出土地 |
備考 |
ナイフ形石器 |
旧石器時代 |
野田町 |
山崎遺跡 |
チャート製 |
石 槍 |
縄文時代草創期 |
大久保町 |
佐藤遺跡 |
チャート・松脂岩製 |
石 鏃 |
縄文時代草創期 |
大久保町 |
佐藤遺跡 |
チャート製 |
石 槍 |
縄文時代草創期 |
野田町 |
長代遺跡 |
頁岩?製 |
異形局部磨製石器 |
縄文時代早期 |
大久保町 |
宮西遺跡 |
チャート製 |
土 器 |
縄文時代前期 |
神戸町 |
青津前田遺跡 |
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磨製石斧 |
縄文時代前期 |
神戸町 |
青津前田遺跡 |
蛇紋岩製 |
石 鏃 |
縄文時代前期 |
神戸町 |
青津前田遺跡 |
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石 錐 |
縄文時代前期 |
神戸町 |
青津前田遺跡 |
頁岩?製 |
石 皿 |
縄文時代前期 |
神戸町 |
青津前田遺跡 |
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ハンマー |
縄文時代前期 |
神戸町 |
青津前田遺跡 |
硬質砂岩 |
スクレーパー |
縄文時代前期 |
神戸町 |
青津前田遺跡 |
チャート製 |
剥片類 |
縄文時代前期 |
神戸町 |
青津前田遺跡 |
チャート・頁岩・
下呂石・
サヌカイト |
土 器 |
縄文時代前期 |
福江町 |
下地貝塚 |
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石 錘(網おもり) |
縄文時代前期? |
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下地貝塚 |
砂岩 |
土 器 |
縄文時代後期 |
亀山町 |
川地遺跡 |
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石 鏃 |
縄文時代後期 |
亀山町 |
川地遺跡 |
黒曜石 |
サメの歯のペンダント |
縄文時代後期 |
亀山町 |
川地遺跡 |
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剥片類 |
縄文時代後期 |
亀山町 |
川地遺跡 |
チャート・サヌカイト |
鹿角製腰飾 |
縄文時代晩期 |
吉胡町 |
吉胡貝塚 |
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猪牙製釣針 |
縄文時代晩期 |
吉胡町 |
吉胡貝塚 |
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鹿角製釣針 |
縄文時代晩期 |
吉胡町 |
吉胡貝塚 |
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鹿角製根バサミ |
縄文時代晩期 |
吉胡町 |
吉胡貝塚 |
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骨製ヤス |
縄文時代晩期 |
吉胡町 |
吉胡貝塚 |
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骨製ペンダント |
縄文時代晩期 |
吉胡町 |
吉胡貝塚 |
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犬牙製ペンダント |
縄文時代晩期 |
吉胡町 |
吉胡貝塚 |
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ツキノワグマ?牙製ペンダント |
縄文時代晩期 |
吉胡町 |
吉胡貝塚 |
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椎骨製ペンダント |
縄文時代晩期 |
吉胡町 |
吉胡貝塚 |
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骨製髪飾り |
縄文時代晩期 |
吉胡町 |
吉胡貝塚 |
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貝輪破片 |
縄文時代晩期 |
吉胡町 |
吉胡貝塚 |
ベンケイガイ・イタボガキ・
サトウガイ |
ハマグリ製貝刃 |
縄文時代晩期 |
吉胡町 |
吉胡貝塚 |
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チョウセンハマグリ製ヘラ |
縄文時代晩期 |
吉胡町 |
吉胡貝塚 |
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鹿角製腰飾 |
縄文時代晩期 |
伊川津町 |
伊川津貝塚 |
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オオカミ牙製ペンダント |
縄文時代晩期 |
伊川津町 |
伊川津貝塚 |
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ヒスイ製ペンダント |
縄文時代晩期 |
伊川津町 |
伊川津貝塚 |
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土製耳飾 |
縄文時代晩期 |
伊川津町 |
伊川津貝塚 |
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アカニシ製貝輪 |
縄文時代晩期 |
伊川津町 |
伊川津貝塚 |
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オオツタノハ製貝輪 |
縄文時代晩期 |
伊川津町 |
伊川津貝塚 |
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ベンケイガイ製貝輪 |
縄文時代晩期 |
伊川津町 |
伊川津貝塚 |
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イタボガキ製貝輪 |
縄文時代晩期 |
伊川津町 |
伊川津貝塚 |
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銅 鏃 |
弥生時代後期 |
加治町 |
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銅 鏃 |
弥生時代後期 |
伊川津町 |
大本貝塚 |
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銅 鐸 |
弥生時代後期 |
伊川津町 |
椛銅鐸出土地 |
椛1号銅鐸 (破砕銅鐸) |
石包丁 |
弥生時代後期 |
中山町 |
小森遺跡 |
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壷形土器 |
弥生時代中期 |
中山町 |
清水遺跡 |
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壷形土器 |
弥生時代後期 |
中山町 |
小森遺跡 |
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古瀬戸瓶子 |
鎌倉時代 |
山田町 |
泉福寺中世墳墓 |
SZ02出土 |
渥美壺 |
鎌倉時代 |
山田町 |
泉福寺中世墳墓 |
SZ02出土 |
軒平瓦 |
鎌倉時代 |
伊良湖町 |
東大寺瓦窯跡 |
「東大寺大仏殿瓦」刻 |
軒丸瓦 |
鎌倉時代 |
伊良湖町 |
東大寺瓦窯跡 |
「東大寺大仏殿瓦」刻 |
平 瓦 |
鎌倉時代 |
伊良湖町 |
東大寺瓦窯跡 |
「大仏殿」「東」刻 |
山茶碗・小 皿 |
平安時代末 |
大久保町 |
黒川古窯 |
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片口碗 |
平安時代末 |
大久保町 |
黒川古窯 |
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山茶碗・小 皿 |
平安時代末 |
田原町 |
桜畑2号窯 |
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小 杯 |
平安時代末 |
田原町 |
桜畑2号窯 |
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山茶碗・小 皿 |
鎌倉時代 |
大草町 |
惣作20号窯 |
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陶製錘 |
鎌倉時代 |
大草町 |
惣作20号窯 |
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片口碗 |
鎌倉時代 |
大草町 |
惣作20号窯 |
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小 杯 |
鎌倉時代 |
大草町 |
惣作20号窯 |
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中国陶磁器を真似した |
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山茶碗 |
鎌倉時代 |
大草町 |
惣作20号窯 |
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中国陶磁器を真似した |
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小 皿 |
鎌倉時代 |
大草町 |
惣作20号窯 |
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山茶碗・小 皿 |
鎌倉時代 |
高松町 |
法蔵寺古窯 |
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陶製錘 |
鎌倉時代 |
高松町 |
法蔵寺古窯 |
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中国陶磁器を真似した |
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山茶碗 |
平安時代末 |
赤羽根町 |
青木池古窯 |
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軒平瓦 |
江戸時代 |
田原町 |
田原城跡桜門 |
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軒丸瓦 |
江戸時代 |
田原町 |
田原城跡桜門 |
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丸 瓦 |
江戸時代 |
田原町 |
田原城跡桜門 |
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平成17年10月1日、渥美半島に記念すべき日が訪れました。それは、田原市と渥美町が合併となり、半島がひとつの自治体になったことです。当然渥美半島はその地勢、過去の歴史的経緯を踏まえればひとつの文化圏として理解されるべきです。したがって、今後これらの文化圏を視野に入れた文化財保護活動を行なう必要があります。
今回展示する資料は、近年発掘若しくは発見されたものを中心に、重要でありながら展示する機会に恵まれなかった重要な資料を展示します。 |
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●山崎遺跡・佐藤遺跡・宮西遺跡(旧石器〜縄文時代草創期) |
山崎遺跡で発見されたナイフ形石器は、旧石器人の存在を証明するもので、半島で産出するチャートを利用しています。ナイフ形石器は、籠田遺跡、川地遺跡、宮西遺跡でも発見されています。
縄文時代草創期では、昨年発掘された宮西遺跡が目を引きます。100点以上出土した尖頭器はその量においてこれまで愛知県で出土した出土数を上回っています。また大量の製作を示す剥片・削片が大量に発見されています。工事立会、遺物の散布状況から遺跡の範囲は径200mにも及び、周辺には今回の調査で注目された旧石器〜縄文時代草創期の遺跡が、5kmにわたって低地周辺の段丘面に集中し立地することから、県内でも有数の遺跡群を形成していることが判明しました。今回は県内でも珍しい、異形局部磨製石器を展示しています
佐藤遺跡は、大久保町に所在し汐川を南に臨む段丘に立地します。旧石器〜縄文時代草創期の石槍、剥片類が出土しています。また、弥生時代前期の水神平式土器、それに伴うと思われる石鏃、中期の長床式土器の壷棺が出土、また平安時代の須恵器、土師器、灰釉陶器(碗類)、そして中世陶器が見つかっており、長い期間この地に人々が住んでいたことがわかります。
長代遺跡は、野田町に所在し、宮西遺跡の1km西方の山麓に位置します。大形の石槍が発見されています。
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●青津前田遺跡(縄文時代前期) |
神戸町の河川改修で偶然発見された縄文時代前期の遺跡です。遺物は爪と縄文、そして細い竹管を押し当てた文様の極端に薄い土器、磨製石斧、石錘、石鏃、石皿、磨石、シカ・イノシシの骨が見つかっています。また、一部の土器には赤い粘土や白い粘土で色をつけたものもあります。
磨製石斧は、蛇紋岩製でまた、他の石器に使われた石材も晩期の吉胡貝塚と明らかに異なっています。同時期の福江町下地貝塚は、古くから縄文時代前期の貝塚と言われてきましたが、それを証する遺物が不明でした。しかし、資料整理の結果、前期に属する土器片が確認され、今回初披露となります。保美貝塚の上流に位置し、同一の遺跡とすべきかもしれません。この遺跡で採集された遺物は古墳時代、弥生時代のものもあり、どのような遺跡か現在のところ不明です。
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●川地遺跡(縄文時代後期) |
亀山町に所在する貝塚遺跡です。大正時代に調査が行なわれ脚光を浴びました。縄文時代の人骨も出土しています。今回は平成3年の調査で出土した縄文時代後期の土器を中心にしています。大正時代の調査でも貝塚の貝層の大半は失われています。
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●国指定史跡吉胡貝塚(縄文時代後〜晩期) |
吉胡貝塚は、大正時代から今日に至るまでの発掘により、大量の縄文時代人骨を出土したことで有名な貝塚です。平成13年度から、史跡整備に伴う調査を実施しています。その結果、地点貝塚3箇所をふくむ貝塚の面積は4500uにも及ぶことがわかりました。現在整理中で、整理が完了したものから重要な資料を展示します。埋葬人骨に伴う腰飾は吉胡貝塚の特徴的な遺物です。男性の腰周辺から発見されることから、名付けられました。ツキノワグマと思われる牙製ペンダント、イノシシの牙製釣針も貴重な資料です。
吉胡貝塚は、当時の埋葬方法、副葬品等の埋葬儀礼を知るうえでも重要な遺跡ですが、近年の調査からすべてが縄文時代の人骨ではなく、一部弥生時代前期のものが含まれることが確認され、これまでの評価を再検討する必要が生まれました。しかし今後発掘調査の整理が進む中で、縄文から弥生にいたる時代の変化を知るうえでも重要な遺跡と評価されることでしょう。
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●伊川津貝塚(縄文時代後〜晩期) |
伊川津町神明社境内を中心に、東西150m、南北50mもの規模を持つ大貝塚です。吉胡貝塚と同様に多くの縄文人骨が出土しています。今回は昭和59年の調査で出土した装飾品の中の優品を展示しています。南海産のオオツタノハ製貝輪は、独特の形、色を持つ入手が困難な当時としては大変貴重なものでした。ベンケイガイの貝輪は丁寧に磨かれています。新潟県から手に入れたヒスイ製の玉も注目されます。
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●小森遺跡・清水遺跡(弥生時代中期・後期) |
清水遺跡の土器は、下膨れで器面には独特の櫛描文が施された、西三河の土器です。 小森遺跡から出土の磨製石包丁は大陸の稲作文化の伝来を示すもので、渥美半島での他地域との文化交流を示す大変貴重な資料です。 |
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●椛1号銅鐸(弥生時代後期) |
伊川津町で行なわれた昭和58年、農業基盤整備事業によってバラバラに壊れた状態の2個体の銅鐸が発見されました。渥美半島では西神戸町の堀山田で発見され、古い記録では、村松町、神戸町でも発見されたことが記され、県内でも銅鐸の発見が集中した場所です。ともに渦巻状の飾耳が特徴の近畿式銅鐸と呼ばれるものです。この銅鐸の特徴はバラバラに出土したことですが、工事中に壊れたのではなく、意図的にバラバラにして埋めた、破砕銅鐸と考えられています。 |
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●青木池古窯(平安時代末) |
赤羽根町青木池南岸に展開する平安時代末から鎌倉時代の窯跡です。開発が進んだ渥美半島においては窯も多く、保存状態も良い貴重なものです。これまでの踏査で山茶碗・小皿等が発見されていますが、今回注目すべき資料は、中国製の白磁碗を模倣した玉縁口縁碗です。碗の口縁端を膨らませています。このように明らかに玉縁を作り出しているのは珍しく、渥美半島では、大アラコ古窯で見つかっています。 |
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●黒川古窯(平安時代末) |
大久保町に所在する市内でも古い窯のひとつです。同じ台地の斜面には極楽古窯が隣接していますので、同じ窯場と考えられます。かつて工事中に長頸瓶や広口短頸壷など特別なものが出土しました。今回の資料では、12世紀前半に属する古手の山茶碗、小皿、そして高い高台、そして注ぎ口を持つ、片口碗が出土しています。他の資料と比較してください。山茶碗は大きく、小皿には台がついています。 |
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●国史跡 伊良湖東大寺瓦窯跡(鎌倉時代初) |
この窯は東大寺大仏殿の鎌倉再興にあたり、重源の勧進により、献進瓦を焼いたとされています。昭和41年に調査され3基の窯が発見され、「東大寺大仏殿瓦」「大仏殿」「東」と刻された軒丸瓦・軒平瓦、・丸瓦・平瓦、瓦経・瓦塔の特殊な製品、山茶碗、小皿、甕、壷、鉢が出土しました。渥美窯の成立及び経営が、宗教的な立場な人々が関わっていることを証する重要な遺跡です。 |
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●法蔵寺古窯(平安時代末〜鎌倉時代初) |
高松町に所在する窯で、平成14年に調査が行なわれました。大日川の北側の台地斜面に位置し、窯は全長約13m、最大幅2.4mの分焔柱を伴う窖窯構造のものでした。窯の保存状態は良く、遺物は山茶碗、小皿、陶錘が窯体内から出土し、灰原からは壷、甕片も出土しました。この窯は山茶碗を主に焼かれ、その時期は12世紀後半に属するものです。 |
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●市史跡 泉福寺中世墳墓(鎌倉時代〜室町時代) |
山田町の天台宗泉福寺の東側、標高150〜160mの山に位置します。平成14年に調査で約90基程度の中世墳墓が確認され、瀬戸・常滑・渥美などの骨蔵器、石製五輪塔などが出土しました。展示資料はSZ002と名付けられた墳墓から出土したもので、渥美産壺(13世紀中)・瀬戸産瓶子(13世紀)が2つ並んだ状態で出土しました。瓶子は口縁部が壊され、底部に穴が開けられています。 |
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●桜畑2号窯(平安時代末) |
田原町桜畑に所在する、平安時代末から鎌倉時代はじめの古窯跡です。3基の窯の存在が知られていますが、平成12年に2号窯、3号窯の一部を調査しました。ともに山茶碗 小皿が出土しましたが、2号窯では径3cmほどの超ミニ碗(小坏)が出土しています。山茶碗には、口縁の端を器の内側に押さえ、花びら状にする「輪花」や釉を意図的に施した古手の手法がとられています。 |
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●惣作20号窯 |
大草町に所在する、平安時代末から鎌倉時代に至る、田原市を代表する古窯跡群です。過去に10基の調査が行なわれ渥美古窯研究の基礎的な資料を提供しました。平成12年度に調査を行った20号窯では、保存状態の良い全長14.5mの窖窯構造を持つ窯です。山茶碗 小皿、陶製錘、小坏、片口碗、片口鉢、甕が出土しましたが、基本的には山茶碗・小皿を専用に焼いた窯です。山茶碗の中で、中国製の白磁碗を真似て焼いた碗がありデザインの原点を知るうえで注目されます。 |
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●田原城桜門跡 |
田原城は15世紀末(1480年頃)に戸田宗光が築城し、以来戸田氏5代が三河湾を中心に隆盛を誇りましたが、天文17年今川義元に攻撃を受け落城しました。その後、城主の交代を経て戦国時代から幕末まで存続した稀有な城郭です。今回出土の瓦は、桜門復元工事の際に石垣の裏込石とともに、石垣内から発見されました、恐らく地震等の災害で倒壊した建物の廃棄瓦で、修理の記録から17世紀前半以前の建物に使われたものと考えられます。 |
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