西暦(年) |
年齢 |
事項 |
1872(明治5年) |
1 |
田原町山口に田原藩士岡田宣方の次男として生まれる。 |
1877(明治11年) |
6 |
田原学校(現田原中部小学校)に入学 |
1883(明治16年) |
12 |
初等科全科を卒業、幼児期虚弱。 |
1886(明治19年) |
15 |
高等小学校(現在の霊巌寺内)を卒業、学術優等賞を受ける。この年、諸国の偉人傑士を訪問。 |
1887(明治20年) |
16 |
天竜寺の橋本峨山和尚に仏教思想と座禅を研究、以後全国遍歴。
郡内に「勧農協会」設立され、報徳精神を研究。 |
1888(明治21年) |
17 |
全国古社寺を巡拝、仏相、姿勢を観察、北設報徳会の名士を訪問。 |
1890(明治23年) |
19 |
足尾銅山の志士田中正造、山本長五郎の体験を聞く。 |
1891(明治24年) |
20 |
板倉家の田畑四反歩を受領。 |
1892(明治25年) |
21 |
徴兵検査で丙種合格(免除)、稲作に熱中、虫冥虫の駆除法を研究。 |
1893(明治26年) |
22 |
全国の昆虫研究者、篤農家を訪問。 |
1894(明治27年) |
23 |
虫冥 虫卵駆除を発見。長岡宗好の肥料の三要素説と論争。 |
1895(明治28年) |
24 |
渥美青年農会を発足、会長に就任。 |
1896(明治29年) |
25 |
名和靖を田原に招聘。「第一回渥美郡昆虫講和会を開催。大日本農会品評会入賞。
論文「最少養分律について」 |
1897(明治30年) |
26 |
名和靖「岡田式虫冥虫採卵法」を大日本農会誌に発表。昆虫講話会を開催。
心身の開発を唱え、冷水欲を宣伝。 |
1898(明治31年) |
27 |
名和靖と各地で虫冥虫調査。農業主事に就任。昆虫講話会を開催。 |
1899(明治32年) |
28 |
第一回渥美郡教職員昆虫講習会で教員を名和昆虫研究所に引率。小食の実験、乾布摩擦と冷水浴を奨励。 |
1901(明治34年) |
30 |
「全国昆虫展覧会で功労賞」を受賞。県議、知事と論争、農業主事を辞職、金原明善の援助で渡米。 |
1905(明治38年) |
34 |
欧州歴訪後帰国。山本き賀女と結婚して山本家に入籍。 |
1906(明治39年) |
35 |
長女礼子誕生、養家を出て、山梨の内藤文治良宅に寄宿。山中で静坐。上京して兄藤十郎宅に寄宿。 |
1907(明治40年) |
36 |
静坐にて難病の患者を治癒。黙して静坐、指導を乞う者あり。
木下尚江を筆頭に静坐の指導を乞うもの続々と増える。 |
1910(明治43年) |
39 |
田原静坐会発足、東京では数十か所で有名人数百人が参坐。 |
1915(大正4年) |
44 |
田原静坐会の指導者は伊奈校長とし、毎月三回技芸教室で実施。 |
1916(大正5年) |
45 |
鳥取、岐阜、大垣、半田、豊橋、静岡、長野、甲府で指導。 |
1920(大正9年) |
49 |
大正八、九年は静坐の全盛期。連日十数か所を巡回、睡眠三、四時間。
十月十七日尿毒症により死亡。十八日田原町蔵王山墓所に埋葬。 |