田中訥言(たなかとつげん) 明和4年(1767)〜文政6年(1823) |
江戸後期の画家。復古大和絵派の祖。名は痴、字は虎頭、号は大孝斎、痴翁、得中など。名古屋の人。初め土佐光貞について土佐派を習ったがあきたらず、みずからやまと絵の古典を研究して、その復興を志した。晩年失明して自殺した。平等院鳳凰堂壁画や絵巻物など古画の摸写のほか、『百花百草図』屏風(名古屋、徳川美術館)、『雨中蓮鷺図』(名古屋、関戸家蔵)などの作品がある。その門から浮田一~、渡辺清(1778〜1861)らの画家が出た。 |
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酒井抱一(さかいほういつ) 宝暦11年(1761)〜文政11年(1829) |
江戸後期の琳派の画家。名は忠因、字は暉真、号は鶯村、軽挙道人、雨華庵、通称は栄八。姫路城主、酒井忠以の弟として江戸に生れる。37歳のとき、西本願寺の文如の弟子となり、権大僧都に任ぜられた。各種の才芸に富み、書、俳諧をも善くした。画は初め狩野派や南蘋派の写生画、浮世絵、さらに円山派、土佐派など諸派の画風を広く学んだが、尾形光琳の作品に感動しその芸術の再興を志した。文化12年(1815)には光琳百年忌を営み『光琳百図』『尾形流略印譜』を出版、また文政6年(1823)には『乾山遺墨』を刊行した。草花図を善くし、深い観察のうえに立って豊かな抒情性をたたえた装飾画風を形成した。代表作は光琳の『風神・雷神図』屏風(東京国立博物館)の裏面に描いた『夏秋草図』、『月に秋草図』屏風(東京、旭光学商事株式会社)、『四季花鳥図』屏風(京都、陽明文庫)など。 |
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島田一慧(しまだいちえ) 昭和36年(1961)〜 |
岐阜県益田郡下呂町に生れる。日展にてたびたび賞(特選、書芸大賞)を受ける。1990年フランスで行なわれた水墨画百人展に選ばれ、最高賞のパリ大賞を受賞する。画業については、1988年より仏画研究を行い観音像、菩薩像、如来像を制作している。1998年には福島県臨済宗寺院用に5尺巾の涅槃図を制作、1998年より岩絵具を使用し新技法で花鳥画を制作している。 |
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