田原の歴史 吉胡貝塚 平成13〜15年度調査の新出土展
展示期間 平成16年5月20日(木)〜 7月4日(日)
企画展示室2
資料名
時代
備考
吉胡貝塚で最も古い土器 縄文時代中期 03DT出土
浅 鉢 縄文時代晩期  
小型鉢 縄文時代晩期  
土器片 縄文時代晩期  
条痕文土器 縄文時代晩期  
浮線文系土器 縄文時代晩期  
不明土坑から見つかった遺物 縄文時代晩期 石棒・磨製石斧・打製石斧・叩石・土器
石鏃(有柄) 縄文時代晩期 サヌカイト・チャート製
石鏃(無柄) 縄文時代晩期 サヌカイト・チャート・下呂石・黒曜石
石 錐 縄文時代晩期 チャート製
磨製石斧 縄文時代晩期  
打製石斧 縄文時代晩期  
刃 器 縄文時代晩期 円礫素材の石器
斧状石器 縄文時代晩期 円礫素材の石器
叩き石(ハンマー) 縄文時代晩期 円礫製 磨製石斧の転用
凹石・石皿・砥石 縄文時代晩期  
赤色顔料が付着する石皿 縄文時代晩期  
根バサミ 縄文時代晩期 鹿角製
骨 鏃 縄文時代晩期 鹿角製
釣 針 縄文時代晩期 鹿角製
ヤ ス 縄文時代晩期 漁具シカ、イノシシの中手・足骨製
垂 飾 縄文時代晩期 牙製・椎骨製
髪 飾 縄文時代晩期 骨製
腕 輪 縄文時代晩期 ベンケイガイ・サトウガイ・イタボガキ製
腕 輪 レプリカ サトウガイ製(南神戸町産)
貝 刃 縄文時代晩期 ハマグリ製
貝 刃 レプリカ ハマグリ製
土器棺 縄文時代晩期 平成14年度D区出土
マツリの道具 縄文時代晩期 壊された土偶・石棒・石刀
洗った貝層 縄文時代晩期 平成15年度調査0308T
石器の素材と剥片 縄文時代晩期 サヌカイト・チャート・下呂石・黒曜石・緑泥片岩
     

国指定史跡吉胡貝塚の平成13〜15年度調査の概要
吉胡貝塚はどんな遺跡か
 吉胡貝塚は今から2300〜3000年前(縄文時代後・晩期)の貝塚です。遺跡は三河湾に注ぐ汐川の河口付近、蔵王山麓が伸びた台地の南向き斜面に立地します。
 大正11・12年、京都大学の清野謙次博士が調査を実施し、300体を越える多数の人骨が発見され一躍有名となり、当時の日本の人種論争に一石を投じました。昭和26年に、文化財保護委員会(現文化庁)が発掘調査を実施しました。この調査は文化財保護法に基づく国が実施した第1号の発掘調査で、戦後の文化財保護の1ページを記したのです。これらの調査で土器、石器、骨角器、縄文人骨など多数出土し、葬制、縄文時代後・晩期の土器の編年に大きな成果をおさめ、昭和26年12月26日、国史跡に指定されました。

調査の経緯
 これまで、大正11・12年、京都大学の清野謙次、宮本博人が人骨採集のための調査を実施し、昭和26年に文化財保護委員会(後藤守一、八幡一郎、山内清男等)その後、昭和55年に指定区域外の範囲確認調査、昭和58年に貝層断面模型を作成するための調査が行われました。
 今回の調査は、史跡整備に伴うもので、これまで、吉胡貝塚の遺跡の範囲、集落の構造など明確でなかったため「現況地形」、「貝塚範囲」、「居住域」、「当時の自然環境」、「過去の調査区位置」を明らかにする目的で行いました。

平成13年度の調査

台地上の調査  このあたりに居住域を想定し幅1mの試掘の溝を掘りました。遺物も少ないうえにほとんど遺構も確認できませんでした。縄文時代晩期末の土器棺墓1基で、他は性格不明のピットや新しい時代の畑の区画溝ばかりです。

新発見のB貝塚の調査  ここは、幕末に田原藩主の隠居屋敷「矢崎御殿」があった場所で、貝塚があること予想されたため、トレンチでその規模を確認し、これまで知られていた貝塚(A貝塚)と一体のものでなく、独立したものであることがわかりました。規模は20m以上×8mで貝層はもっとも厚い場所で50cm、ハマグリ、アサリ、マガキ、アカニシ、ウチムラサキ、オキシジミ、ダンベイキサゴ(表浜産)などが見られ、縄文時代晩期後半を主とした貝塚と考えられます。貝塚上面から埋葬犬を発見しました。
 C貝塚は以前から地表に貝、遺物が散布していました。畑の造成で大半が削り取られ、畑境に厚さ15cmの貝層(ハマグリ、マガキ、アカニシ等)が確認され、貝層の上に置くように大型の土器片が見つかりました。縄文時代晩期中〜後半の貝塚と思われます。
 A貝塚の確認 A貝塚の東端を確認しました。貝層の厚さは50cm程度で、貝層の東端で縄文晩期後半と思われる埋葬人骨を発見しました。この人骨は平成15年度に再調査しました。
15T(トレンチ)北で埋葬人骨の右大腿骨と腰の一部を発見しました。頭位は東を向いているようです。このトレンチ南半分の貝層の上位は、中世以降に乱され、もう1体見つかった埋葬人骨は、肩周辺と頭骨の一部が残っていたのみでした。
 16T北側では貝層を確認し、人骨を発見しましたが、状況から中世以降に埋葬されたか、集積されたものです。
 18Tは、大正時代の調査区の確認を目的とし、厚さ1mの貝層と昭和58年の調査区を確認しましたが、大正時代の調査区は確認できませんでした。
 19Tでは厚さ40cmほどの貝層を検出し、獣骨、土器、骨角器、魚骨などが貝層表面にあらわれました。北側は層の乱れがあるため、大正時代の調査区でしょう。


平成14年度の調査

台地上の調査 昨年の調査で遺物の出土が比較的多く住居遺構が期待されため昭和55年の調査区周辺域を広げましたが、住居は発見されず、遺物も縄文時代晩期〜弥生時代前期の土器片と石器、中世〜近代の陶磁器がわずかに見つかったのみでした。

8Tの拡張区の調査 住居遺構が期待されため調査区を西に拡張し、さらに矢崎岩東側の貝塚の縁辺の確認を行いました。北側では、深鉢の土器棺墓(横位 東)を発見し、南側でも土器棺を発見しました。その他は、円礫や土器片が入った不明の土坑(墓と思われるものも含む)、遺物は、縄文時代晩期末の土器片、土偶、石鏃、石斧、石皿、叩石、石棒などが発見されました。

D区の調査 8T拡区と同様に、性格不明の土坑が多数発見され、調査区中央から、深鉢の土器棺(横位 西展示品)を検出した。東の土器棺は、壷形土器と深鉢を組み合わせたもので、壷の口縁部を打ち欠き、縦半分に割った深鉢で二重に蓋をし、深く丁寧に埋められています。遺物は、縄文時代晩期末の土器片、石斧、石鏃、礫石器などが見つかっています。

A貝塚の確認 22トレンチでは、保存状態の良い貝層が見つかりました。調査区の東から大正時代の調査区が確認できました。土器、獣骨、魚骨など遺物が豊富で、これまで調査した貝塚部分と明らかに異なります。時期は縄文時代晩期前〜中葉です。
 23トレンチでは、厚さ30〜20cm貝層を確認するとともにサンプルを採取しました。ハマグリ、アカニシ、オキシジミ、ダンベイキサゴ、スガイなどを主とし遺物は土器、貝輪が発見されました。
 24トレンチは昭和26年調査の北側を南北に設定しました。土器片を伴うピットが多数発見されました。土器棺の一部が見つかり15年度に再調査しました。


平成15年度の調査

指定地外の確認調査 本年度の調査は5月13日から開始し、台地の上・下でそれぞれ3ヶ所を試堀しました。台地下の0303Gでは、地表から40cm下で縄文時代の土器が含まれる地層が見つかりました。

0324T 石碑横の調査地点からは、1歳半くらいの幼児の遺体をおさめた土器を発見しました。楕円形に掘った穴に、口を西方向に向けて横に寝かせて埋められていました。ここは貝もないため、通常、骨は解けて残らないのですが、地中深く埋っていたため奇跡的に残っていたようです。頭、手足、歯が残っていました。保存状況が悪く、遺体をそのまま土器の中に入れたのか、骨の状態になったものを入れたか検討中です。

0301T 吉胡貝塚の中心部分で、貝層がもっとも厚く堆積し大正11・12年、昭和26年の調査で多数の人骨、遺物が出土した場所です。道に沿って2×4mの調査場所を設定しました。貝はハマグリ、カキ、オオノガイ、アカニシが主体です。調査区のほとんどは清野博士が発掘調査後に埋め戻した土です。その土を4mmのフルイにかけたところ、土器、石器、骨角器、動物の骨、人骨が見つかりました。人骨はすべて一部や破片、他の遺物も小さなものばかりで清野博士の発掘調査の際に取り忘れたものと考えられます。石器では石鏃、骨角器では動物の牙・サメの椎骨に穴をあけたペンダント、根バサミ、ヤスなどが見つかりました。
 ここでは、貝層の分析のためにサンプルを採取しました。その際に貝層のくぼみに土器片を敷き、灰と焼けた貝を入れた遺構が発見されています。

0320T 貝塚は平成13年度に確認された人骨の周囲を広げて、埋葬の状況を確認しています。伸展葬(あお向けに体を伸ばした状態)で、手は胸に置かれています。身長は約155cmの若い女性と思われます。埋葬された穴は一部貝塚を削っていますが、貝塚が形成され、貝塚が土壌で覆われたのちに埋葬されています。左足は土器、石器(石棒、石斧)、獣骨が入った穴(SK03)で壊されています。しかし、貝塚から見つかる土器、貝塚を覆う土層、人骨を壊した穴それぞれから出土する土器は時期差がそれほどなく、短期間で遺跡の様子が変わっていったようです。

03DT  縄文時代晩期末の土器、石器を含む層が40cmほどみられました。0320Tと同様に土器の時期差はほとんどなく、短期間に土壌が形成されたことがわかりました。最下層の砂利層直上から、縄文時代中期の土器が3点発見されました。吉胡貝塚でもっとも古い土器で、吉胡貝塚の成り立ちを考えるうえでも重要な発見です。

0315T  A貝塚の端にあたり、砕かれた厚さ30cmの貝層と、縄文時代後期末の土器も見つかりましたが中世(600〜800年位前)の陶器片が貝層に混じることから、この時期に一度貝塚が削られているようです。

0308T  矢崎岩東の調査区を発掘します。ここは、昨年度土器棺墓が2つ見つかったほか、マツリに使われた土偶、石棒が見つかっています。東側では、調査区北端で大形の土器片を埋設した穴が見つかり、お墓の可能性もあります。
西側では貝層の北端を確認しました。調査区内でもっとも厚いところで40cmです。ハマグリのほかアサリが多いのも特徴です。

0322T  保存が極めて良い貝層が確認されたため、貝層分析のサンプルをとりました。厚さ50cmほどでハマグリ、カキ、アカニシがみられます。獣骨、土器も豊富に含まれています。時期は縄文時代晩期前〜中葉の貝層と思われます。


調査の成果と課題 

■台地上、貝塚以外からも土器棺墓が検出され、墓が貝塚以外にも広がっていることがわかりました。また埋葬人骨も4体発見され、土器棺墓5基とともに、吉胡貝塚の葬制を考える上にも重要な資料を提供しました。うち1体は、中世以降に埋設、或いは集積されたものであることが判明しました。

■小規模な貝塚を2か所確認するとともに、貝塚の輪郭の一部を確定できたことにより、吉胡貝塚が4500?以上にも及ぶことが判明しました。

■遺跡のはじまりが縄文時代中期まで遡ることがわかりました。

■縄文時代のほか、弥生時代、古墳時代等の生活面や鎌倉時代の遺物が当時の浜堤に存在し、各時代を通じてここに生活の場所があったことがわかりました。

 
田原市博物館/〒441-3421愛知県田原市田原町巴江11-1 TEL:0531-22-1720 FAX:0531-22-2028
URL: http://www.taharamuseum.gr.jp