于公高門図
于公高門図
うこうこうもんず
永村茜山/江戸時代後期
 茜山は20歳代の作品も知られているが、永村を名乗るのは、嘉永元年(1848)29歳で金谷宿の組頭職永村家の婿養子に入ってからのことである。金谷宿の組頭として活躍した30歳代は特に作品が少ない。
 作品の細部を見ていくと、崋山の「于公高門図」 とは異なる部分も多い。遠景の岩は描かれずに、中州と川の対岸が描かれる。画面左側に位置する松は、崋山より松葉を多くし、門左側の梅も若松に置き換えられている。門扉は閉められ、門の壇上にいた犬数頭は歩を進め、石畳の上に移動している。さらに下へ目を移すと、モッコを担ぐ2人組と肩に木を担いだ人の位置関係も前後が逆転している。衣装の色も各人物で微妙に異なる。茜山の作品には年記はないが、井上竹逸の「于公高門図」とそう離れていない時期の作であろう。
員数:一幅
法量(cm):134.6×42.8
平成13年購入

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