平常展 田原の歴史 田原藩主三宅氏

開催日 平成29年4月8日(土)〜5月14日(日)
開館時間 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
会場 企画展示室2

三河挙母(現豊田市)1万石より1万2千石で田原へ寛文4年(1664)に移封した康勝が初代田原藩主となり、明治まで12代続きました。

展示作品リスト

企画展示室2
資料名 作者名 年代 備考
宣旨 康勝 任能登守   寛文2年(1662)  
領知目録   貞享元年(1684) 三宅康勝宛
領知目録   正徳5年(1715) 三宅康雄宛
領知目録   延享3年(1746) 三宅康高宛
領知目録   宝暦11年(1761) 三宅康之宛
田原城修補絵図   天和2年(1682)  
田原城修補絵図   元禄13年(1700)  
田原城修補絵図   正徳5年(1715)  
平家物語   元禄12年(1699) 6冊、市指定文化財、御納戸書籍245
三宅家御家紋入御道具箱   江戸時代  
伝 藩主所用具足   江戸時代 巴江神社蔵
陣笠   江戸時代  
萌葱糸威縫延胴黒具足   江戸時代  
紺糸威伊予札胴赤具足   江戸時代  
自画自賛 三宅了閑 江戸時代  
布袋 三宅了閑 江戸時代  
松有萬歳声 三宅了閑 江戸時代  
瓢箪画賛 三宅了閑 江戸時代  
舟中布袋図 三宅康之
鷹見星皐
江戸時代  
松風有清音 三宅康直 江戸時代後期  
農家必読 大蔵永常 寛政11年(1799) 3冊
農家益 大蔵永常 享和2年(1802) 3冊
農家益後編 大蔵永常 文化7年(1810) 2冊
農具便利論 大蔵永常 文政5年(1822)  
除蝗録 大蔵永常 文政9年(1826)  
豊稼録 大蔵永常 文政9年(1826)  
民家育草 大蔵永常 文政10年(1827) 3冊
製葛禄 大蔵永常 文政11年(1828)  
油菜録 大蔵永常 文政12年(1829)  
門田の栄 大蔵永常 天保6年(1835)  
国産考 大蔵永常 天保13年(1842) 2冊
広益国産考 大蔵永常 安政6年(1859) 8冊
奇説著聞集田家茶話 大蔵永常 江戸時代後期 5冊
勧善夜話 前編 大蔵永常 弘化4年(1847) 5冊
勧善夜話 後編 大蔵永常 嘉永6年(1853) 5冊
日用助食竃の賑ひ 大蔵永常 江戸時代後期  
源氏物語 紫式部   54冊、市指定文化財、御納戸書籍217

※期間中、展示を変更する場合がございます。また展示室は作品保護のため、照明を落としてあります。ご了承ください。

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作者略歴

大蔵永常 明和5年(1768)〜万延元年(1860)

永常は通称徳兵衛・亀太夫、字は孟純・亀翁、黄和園主人とも号した。現在の大分県日田市に生まれ、九州各地で、綿や蝋作りの技術を幼少から身に付けた。農業技術の研究と普及につとめた。天保5年(1834)田原藩興産方に召し抱えられ、日田喜太夫と称し、農業を指導した。その後、浜松藩に務めた。宮崎安貞・佐藤信淵とともに江戸時代の三大農学者の一人に数えられる。

三宅友信 文化3年(1806)〜明治19年(1886)

三宅友信は田原藩第8代藩主康友(1764〜1809)の子として生まれ、9代康和・10代康明は異母兄にあたる。兄康明が文政10年(1827)に亡くなると、友信が藩主となるはずだったが、藩財政が厳しく、病弱を理由に跡継ぎとして不適当とされ、姫路藩から持参金付きの稲若(のちの康直)が養子として迎えられる。翌年、友信は藩主の座に就いていないものの家督を譲って引退した隠居として扱われ、渡辺崋山が友信の側仕えを兼ねるようになる。友信は崋山の勧めにより蘭学研究をするようになり、友信が隠居していた巣鴨の田原藩下屋敷には蘭書が山のように積まれていた。安政3年(1856)には語学力を高く評価され、蕃所調所へ推薦され、翌年に入所している。維新後は田原に居住していたが、晩年は東京巣鴨に移り、明治19年8月8日逝去、東京都豊島区雑司ケ谷の本浄寺に葬られた。昭和10年(1935)には従四位を贈られた。

三宅康高(茶宗匠吟雪庵了閑) 宝永7年(1710)〜寛政3年(1791)

三河田原藩第3代康徳の長男。4代藩主で、従五位下備前守。藩主在位は延享2年(1745)から宝暦5年(1755)。従五位下備前守となる。藩主を康之に譲り、隠居後には剃髪して、巣鴨の田原藩下屋敷に居住した。茶人として南坊流の宗匠として諸大名の茶道の師匠となっている。

三宅康之 享保14年(1729)〜享和3年(1803)

松平対馬守近貞の二男。藩主在位は宝暦5年(1755)〜安永9年(1780)。初め出羽守、従五位下備後守、隠居後対馬守、備後守となる。

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作品解説

宣旨

天皇・太政官の命令を伝達する文書で、朝廷が出す文書の形態の一つ。天皇が正式に下す文書は詔勅だが、複雑な手続きが伴うために、簡略化するために一官僚である弁官・史が作成した文書を当事者に発給した。弁官・史の署名しかないにも関わらず天皇の権威が伴う形式のため、幕末期に朝廷が急激に力を持った際には偽勅が乱発されることとなった。

領知目録

江戸時代に藩の領地確認を行う際に領知朱印状・領知判物に添えて発給された目録である。石高は表高(多くは江戸初期に設定された石高)を用いて記される。将軍が替わる時には、将軍が大名から任じた奉行(奏者番などが任じられる場合が多い)が差出人となる。田原市には、5通の領知目録が現存する。

平家物語

平家の栄華と没落 を描いた軍記物語で、鎌倉時代に成立したと考えられる。冒頭「祇園精舎」は「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者 必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。」で始まる。

農家益 大蔵永常著

ハゼノキの栽培法と製蝋技術を解説したもの。後編では、正編に続き、ハゼノキについて記述している。

農具便利論 大蔵永常著

鍬などを始め、あらゆる種類の農具を各部分の寸法・重量も含め、詳細に図解。農具に関する記述が少ない日本の農書の中で、農具を主題とした著作で、読者からの情報提供を呼びかけ増補を期した点で画期的な本である。

豊稼録 大蔵永常著

害虫の防除を中心に扱ったもの。

除蝗録 大蔵永常著

稲の害虫、ウンカの防除法として鯨油を水田に流す方法を述べている。前記『豊稼録』の内容を訂正・増補。挿絵は長谷川雪旦。

製葛録 大蔵永常著

葛の採取やクズ粉の製法などを述べている。

油菜録 大蔵永常著

菜種の栽培法を解説したもの。

国産考・広益国産考 大蔵永常著

国産考は、のちの広益国産考第1巻・第2巻に当たる部分。ハゼノキ・棉・サトウキビ・茶などの商品作物や加工製品など販売に有利な60種類の品目をとりあげ解説し、同時に各藩の支援による特産物育成を主張した。永常の農学の集大成とされるもの。一之巻は、国産奨励を述べた総論のあとに、紙、コウゾ(楮)をはじめ、30余りの特産の解説と、その加工についての記述。二之巻はスギ、ヒノキ、マツそして砂糖、三之巻はイグサ、イチビ、四之巻はヤマイモ、ワラビ、カキなど、五之巻は醤油(しょうゆ)、灯油、蝋(ろう)綿、養蚕など、そして六之巻では、特産は作物に限らないとして、土人形の作り方などが紹介されている。また海苔、茶もここで扱われる。七之巻は主として織物であるが、養蜂なども書かれている。八之巻は果樹の仕立てが主である。大蔵永常の説明は、彼が実際に試みた体験などがもとになっており、きわめて具体的である。

江戸時代の歴代 田原城主
  城主名 生存年 城主在任期  
1 戸田尊次 1565 自 慶長6年 1601 忠次の長男
1615 至 元和元年 1615 従五位下土佐守
2 戸田忠能 1586 自 元和元年 1615 尊次の長男
1647 至 正保4年 1647 従五位下因幡守
3 戸田忠治のち忠昌 1631 自 正保4年 1647 尊次の二男忠継の長男
1699 至 寛文4年 1664 従四位下山城守侍従
1 三宅康勝 1628 自 寛文4年 1664 康盛の長男
1687 至 貞享4年 1687 従五位下能登守
2 三宅康雄 1687 自 貞享4年 1687 康勝の長男
1726 至 享保11年 1726 従五位下備前守
3 三宅康徳 1683 自 享保11年 1726 康雄の二男
1753 至 延享2年 1745 従五位下備後守
4 三宅康高
(茶宗匠吟雪庵了関)
1710 自 延享2年 1745 康徳の長男
1791 至 宝暦5年 1755 従五位下備前守
5 三宅康之 1729 自 宝暦5年 1755 松平対馬守近貞の二男
1803 至 安永9年 1780 従五位下備後守
6 三宅康武 1763 自 安永9年 1780 康之の四男
1785 至 天明5年 1785 従五位下備前守
7 三宅泰邦 1764 自 天明5年 1785 康之の五男
1792 至 寛政4年 1792 従五位下備後守
8 三宅康友 1764 自 寛政4年 1792 康高の末男
1809 至 文化6年 1809 従五位備前守・備後守となる
9 三宅康和 1798 自 文化6年 1809 康友の二男
1823 至 文政6年 1823 従五位下対馬守
10 三宅康明 1800 自 文政6年 1823 康友の三男
1827 至 文政10年 1827 従五位下備前守
11 三宅康直 1811 自 文政10年 1827 酒井雅楽守忠実の六男
1893 至 嘉永3年 1850 従四位土佐守
12 三宅康保 1831 自 嘉永3年 1850 康友の庶子友信の長男
1895 至 明治2年 1869 従五位下備後守

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