平常展 渥美古窯と現代陶磁

開催日 平成24年6月2日(土)〜8月5日(日)
開館時間 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
会場 企画展示室1

渥美古窯

 渥美半島には、平安時代から鎌倉時代にかけて、活発に生産活動が展開された「やきもの」の窯が数多くあり『渥美古窯』と呼ばれています。これらの窯からは、主に日常生活に使われた甕や壺、茶碗、皿などの製品のほか、特注品として焼かれたものが作られ、広く全国に流通しました。
 田原市には、伊良湖東大寺瓦窯跡、大アラコ古窯跡、百々陶器窯跡(国指定史跡)、皿山古窯群(県指定史跡)、皿焼古窯跡群の皿焼12号窯、泉福寺中世墳墓(市指定史跡)、坪沢古窯跡群など、学術的、技術的、歴史的価値の高い窯跡群があります。

出品リスト

企画展示室1
No. 資料名 遺跡名 時代 点数 備考
1 東大寺軒丸瓦 伊良湖東大寺瓦窯 鎌倉初 3 市指定文化財
2 東大寺軒平瓦 伊良湖東大寺瓦窯 鎌倉初 3 市指定文化財
3 東大寺平瓦「東」 伊良湖東大寺瓦窯 鎌倉初 1 市指定文化財
4 東大寺平瓦片「大佛殿」 伊良湖東大寺瓦窯 鎌倉初 1 市指定文化財
5 東大寺丸瓦片 伊良湖東大寺瓦窯 鎌倉初 1 市指定文化財
6 壺(渥美産) 泉福寺中世墳墓 鎌倉 1 SZ002出土
7 瓶子(瀬戸産) 泉福寺中世墳墓 鎌倉 1 SZ002出土
8 玉縁口縁壺(常滑産) 泉福寺中世墳墓 鎌倉 1 NSZ01出土
9 藤原顕長銘入短頸壺片 大アラコ3号窯 平安末 1  
10 藤原氏銘入短頸壺片 竜ヶ原1号窯 平安末 1  
11 紅葉刻画文入甕片 大アラコ6号窯 平安末 1  
12 瓦経片「摩可般若波羅密多心経」 宝海天神社蔵 平安末〜鎌倉初 1 市指定文化財、寄託
13 瓦経片「尊勝陀羅尼経」 宝海天神社蔵 平安末〜鎌倉初 1 市指定文化財、寄託
14 「二ひめの里」刻字入山茶碗 坪沢2号窯 平安末 1  
15 「白二」刻字入山茶碗 坪沢2号窯 平安末 2  
16 刻画文壺片 鴫森古窯 鎌倉初 8  
17 「万」刻字短頸壺 坪沢2号窯 平安末 2  
18 「万」刻字広口瓶 坪沢2号窯 平安末 2  
19 蓮弁文広口壺 坪沢10号窯 鎌倉初 1  
20 大アラコ2号窯 平安末 1  
21 笹尾15号窯 平安末 1  
22 坪沢1号窯 鎌倉初 1  
23 踏分古窯 鎌倉初 1  
24 広口瓶 坪沢2号窯 平安末 1  
25 「万」刻字広口壺 坪沢10号窯 鎌倉初 1  
26 広口壺 坪沢10号窯 鎌倉初 1  
27 陶製五輪塔 皿焼13号窯 平安末〜鎌倉初 1  
28 格狭間 皿焼13号窯 平安末〜鎌倉初 1  
29 宝塔片 皿焼13号窯 平安末〜鎌倉初 1  
30 風鐸 皿焼13号窯 平安末〜鎌倉初 2  
31 皿焼13号窯 平安末〜鎌倉初 1  
32 子持器台 皿山2号窯 平安末〜鎌倉初 1  
33 香炉 皿山5号窯 平安末〜鎌倉初 1  
34 陶錘 皿焼古窯 平安末〜鎌倉初 3  
35 小型壺 鴫森3号窯 鎌倉初 5  
36 小型壺 鴫森7号窯 鎌倉初 1  
37 水瓶 鴫森7号窯 鎌倉初 1  
38 山茶碗 笹尾15号窯 平安末 5  
39 小皿 笹尾15号窯 平安末 6  
40 山茶碗 竜ヶ原5号窯 鎌倉初 5  
41 小皿 竜ヶ原5号窯 鎌倉初 5  
42 山茶碗 平岩2号窯 鎌倉 5  
43 小皿 平岩2号窯 鎌倉 8  
44 「×」刻字片口碗 笹尾15号窯 平安末 1  
45 子持器台 笹尾15号窯 平安末 1  
46 片口碗 坪沢2号窯 平安末 6  
47 子持器台 坪沢2号窯 平安末 1  
48 灯明皿 大アラコ2号窯 平安末 1  
49 蓋付注口鉢 坪沢10号窯 鎌倉初 1  
50 片口 坪沢10号窯 鎌倉初 2  
51 片口鉢 鴫森2号窯 平安末〜鎌倉初 1  
52 片口鉢 鴫森1号窯 鎌倉初 3  

※期間中、展示を変更する場合がございます。また展示室は作品保護のため、照明を落としてあります。ご了承ください。

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渥美古窯解説

国指定史跡 伊良湖東大寺瓦窯跡(伊良湖町)

豊川用水初立池(ダム)南側の斜面に3基あり、この窯跡は、奈良東大寺の鎌倉期の再興にあたり、その瓦を焼いたところです。出土遺物は、「東大寺大佛殿瓦」「大佛殿」「東」の刻印のある軒丸瓦、軒平瓦、平瓦があり、他に瓦経片、瓦塔片、山茶碗、小皿、鉢、陶錘などが少量出土しています。

市指定有形文化財 伊良湖東大寺瓦窯跡出土瓦

伊良湖東大寺瓦窯跡から出土した瓦には、軒丸瓦・軒平瓦、平瓦、丸瓦があります。そのうちの軒丸・軒平瓦には「東大寺大佛殿瓦」、平瓦には「東」「大佛殿」と刻まれたものがあります。
瓦は、東大寺鎌倉再建にあたって大勧進職となった俊乗房重源上人が伊勢の高級禰宜や僧侶たちとの親交を通して、伊勢神宮の神官領「伊良胡御厨」が置かれていた窯に特注品として注文があったと考えられています。
伊良湖で焼かれた瓦は、東大寺「鐘楼」屋根葺替えの際に平瓦が初めて発見され、その後の平成になって大佛殿の周辺の発掘調査により、軒丸瓦・軒平瓦片が出土しました。

市指定史跡 泉福寺中世墳墓(山田町)

泉福寺中世墳墓は、天台宗の古刹泉福寺背後の山地から南に延びた舌状台地に位置し、標高150〜160m、南北100m弱、東西30mにわたり分布しています。
 遺跡は、その後の遺跡整備を目的に平成14年7月から10月にかけて発掘調査が実施され、盗掘による撹乱が激しく正確な中世墳墓の数の把握には至りませんでしたが、その数で約90基程度の中世墳墓が存在していたことが明らかになりました。
 また、この遺跡の造営の時期は出土する骨蔵器の年代などからして、概ね鎌倉時代から室町時代と推定することができます。

泉福寺中世墳墓の出土遺物

遺跡から出土した遺物は、古代灰釉陶器、古瀬戸製品・中世常滑窯製品・渥美窯製品などの陶器類、中国輸入陶器、近・現代の陶磁器類や瓦類、鉄製鎌刃、石製五輪塔(空風輪・火輪・水輪・地輪)など多種多様なものがありました。

市指定有形文化財 宝海天神社瓦経

保美町には、もともと上の宮と呼ばれる八幡社(現在は宝海天神社に合祀)があり、その宝物とされていたのがこの瓦経です。
旧八幡社付近から出土したと伝えられていますが、詳細については不明です。二片からなる瓦経には、それぞれ「尊勝陀羅尼経」「魔可般若波羅密多心経」が表・裏面に刻まれています。また、「尊勝陀羅尼経」の側面には「書写奉僧聖賢」とあり、この瓦経が僧聖賢によって書写されたことがわかります。

国指定史跡 大アラコ古窯群(芦町)

平安時代末期、当時の三河国司藤原顕長の銘入り壺が焼かれた窯跡です。ここで焼かれた製品には、奥州平泉の藤原氏のもとまで運ばれたものもあります。渥美半島の窯業の繁栄を示す貴重な窯跡です。

藤原顕長銘入短頸壺片

この短頸壺片は、国衙領であった芦町の大アラコ古窯で焼かれたものです。この窯は、三河国の官衙窯でした。藤原顕長が三河国の国司に在任していたのは、保延2(1136)年から久寿2(1155)年の間です。おそらく、この期間に製作され、焼かれたものと思われます。
壺片には「正五位下行 兵部大輔兼 参河守藤原」と刻まれています。

県指定史跡 皿山古窯群(和地町)

和地町大坂峠から西へ入った山林の北斜面に8基あり、このうちの3基が発掘調査されています。出土遺物は、山茶碗、小皿を中心に、甕、壺、片口鉢、陶錘、子持器台、香炉などがあり、焼かれた製品の多様さが伺われます。

皿焼古窯跡群(小塩津町)

渥美運動公園内に13基あったこの窯跡は、発掘調査により狭い山の斜面を利用して大きく上下二段に構築されていました。出土遺物は、山茶碗、小皿、甕、壺、片口鉢などがありましたが、13号窯からは、仏教的色彩の強く感じられる陶製五輪塔、宝塔、風鐸、舌なども見つかっています。また、この古窯群の中で最も保存状態の良かった12号窯は、市の史跡に指定され、皿焼古窯館として一般公開されています。

坪沢古窯跡群(加治町)

かつて産地不明の幻の「黒い壺」と呼ばれた蓮弁文壺が焼かれたとして、渥美窯の名を全国に知らしめた窯跡です。渥美窯成立の時期から終末期まで続いた渥美半島最大の窯跡群です。うち5基が発掘調査され、蓮弁文壺をはじめ、大甕・長頸壺・短頸壺・広口壺・山茶碗など種類・量共に多くのものが出土しています。

鴫森古窯跡群(六連町)

鴫森古窯跡群は、7基の窯が発掘調査されています。出土遺物は、甕、小型壺が中心で、刻文が施された壺片なども出土しています。また、大型製品(甕)の固定施設をもつ窯の構造も見つかっており、こうした施設は坪沢1号窯と鴫森7号窯でしか見られません。

笹尾古窯(田原町)

笹尾古窯は、清谷川と稲荷山にはさまれた笹尾谷に22基の窯があり、そのうちの1基(15号窯)が発掘調査されています。出土遺物には、輪花のある山茶碗、小皿、片口碗、片口鉢、甕、広口瓶、子持器台がありました。

平岩古窯(芦町)

平岩古窯は、芦ヶ池の南西にある物見山の南側の斜面に2基ありました。出土遺物には、輪花のある山茶碗、山茶碗、小皿などがあり、1号窯は12世紀前半、2号窯は13世紀中葉の山茶碗焼成窯です。

竜ヶ原古窯(赤羽根町)

竜ヶ原古窯は、芦ヶ池の南東にある雨ヶ森山麓から半島状に延びる舌状台地の北側斜面に9基ありました。出土遺物には、山茶碗、小皿のほかに1号窯の障壁に貼り付いて出土した「藤原氏 比丘尼源氏 従五位」と刻まれた短頸壺などがありました。

甕は、粘土ひもを巻き上げ成形し、段階ごと乾かしながら、形を整えていきます。そのつなぎ目には、粘土がなじむように、文様を彫った板で叩いた跡が帯状にあります。これだけ大きなものを作る技術、火・煙の調子だけで焼き上げる技術は、今日の陶芸家でも舌を巻いてしまいます。

壺は、甕と異なって様々な形があります。甕が貯蔵など日常的な利用が主なのに対して、壺は信仰行事や埋葬などの特殊な場合にも使われます。また、甕や壺の肩には「窯印」と呼ばれる、生産者(地)を示すマークが記されているものもあります。

山茶碗、小皿

山茶碗とは、東海地方の中世窯で焼かれた「どんぶり」状の粗末な器で、山や原野に転がっていることからこう呼ばれるようになりました。小皿は、この山茶碗とセットで焼かれていたものです。ともに、中世の庶民にとって欠かせない食器として使用されたものです。

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現代陶磁

 平安時代後期から鎌倉時代前期にかけて盛んに作陶活動が行われた渥美窯は、13世紀の後半には謎の消滅をしてしまいました。しかし、同じ時期に東海地方で作陶されていた瀬戸・常滑・美濃などの各窯はその後も生産を続け、現代に至っています。
 この展示では当館所蔵の芝村義邦コレクション・鈴木充コレクションから、主に現代瀬戸焼と美濃焼の陶磁器を展示しました。もし、渥美窯が現代まで残っていたらどんな器を作っていたかと想像しながら、伝統や革新を志向して作られた現代の陶磁器をご覧くだされば幸いです。

出品リスト

企画展示室1
通番 種別 作者 作品名 個数 コレクション名 番号
1 河本礫亭 青花桃文台鉢 1 芝村義邦 18-238
2 湯呑 河本礫亭 青花祥瑞文蓋付湯呑 7 芝村義邦 12-170
3 河本礫亭   1 芝村義邦 12-153
4 猪口 河本礫亭   3 芝村義邦 17-233
5 徳利 河本礫亭   2 芝村義邦 17-237
6 河本礫亭 青花桃文皿 5 芝村義邦 7-11
7 河本礫亭 青花山水文扁壷 1 芝村義邦 17-231
8 河本礫亭 青花鶴文鉢 1 芝村義邦 18-241
9 河本礫亭 青花祥瑞文鉢 1 芝村義邦 17-235
10 灰皿 河本礫亭   1 芝村義邦 17-228
11 急須 河本礫亭   1 芝村義邦 17-229
12 湯呑 河本礫亭 青花山水文湯呑 5 芝村義邦 13-175
13 湯呑 河本礫亭 赤絵山水文湯呑 5 芝村義邦 13-176
14 徳利 鈴木青々   1 芝村義邦 1-7
15 徳利 鈴木青々 鉄釉徳利 1 芝村義邦 1-8
16 茶碗 鈴木青々 鉄赤釉天目茶碗 1 鈴木充 176
17 茶碗 鈴木青々 黄砂釉茶碗 1 鈴木充 177
18 鈴木青々 蘭花壺 1 鈴木充 124
19 鈴木青々   1 芝村義邦 3-39
20 花生 鈴木紀文 亥型花生 1 鈴木充 35
21 茶碗 鈴木紀文 灰釉左馬茶碗 1 鈴木充 37
22 鈴木紀文 卯長耳壺 1 鈴木充 33
23 花生 鈴木紀文 灰釉子付花生 1 鈴木充 36
24 花瓶 鈴木紀文 虎斑文花瓶 1 鈴木充 34
25 鈴木紀文 鉄赤釉鶏冠壺 1 鈴木充 32
26 花入 亀井勝 黒磁釉花入 1 鈴木充 115
27 茶碗 亀井勝 御題歌 1 鈴木充 166
28 茶碗 亀井勝 刷毛目茶碗 1 鈴木充 168
29 香炉 水野双鶴 練込香炉 1 鈴木充 102
30 水野双鶴 練込瓶 1 鈴木充 125
31 加藤春暁 大皿 2 芝村義邦 14-188
32 茶碗 加藤舜陶 御題音 1 鈴木充 144
33 茶碗 加藤舜陶 御題晴 1 鈴木充 145
34 茶碗 加藤釥 黄瀬戸茶碗 1 鈴木充 163
35 茶碗 加藤釥 勅題こどもに因みて 1 鈴木充 157
36 茶碗 加藤釥 勅題海 1 鈴木充 155
37 茶碗 加藤重高 志野茶碗 1 鈴木充 142
38 茶碗 加藤重高 斑灰釉茶碗 1 鈴木充 143
39 加藤重高 織部刻文方壺 1 鈴木充 120
40 加藤重高 織部六角鉢 1 鈴木充 15
41 茶碗 加藤清之 黄瀬戸茶碗 1 鈴木充 7
42 徳利 加藤清之 灰釉徳利 1 鈴木充 8
43 花入 加藤春鼎(二代) 織部花入 1 鈴木充 16
44 加藤春鼎(二代) 古瀬戸壺 1 鈴木充 18
45 花入 加藤春鼎(二代) 織部花入 1 鈴木充 19
46 加藤春鼎(二代) 志野壺 1 鈴木充 20
47 花入 加藤春鼎(三代) 志野花入 1 鈴木充 17
48 花生 加藤五山 釣窯釉花生 1 鈴木充 12
49 茶碗 加藤五山 汲出し 1 鈴木充 13
50 楊枝入 鈴木青々   1 芝村義邦 11-104
51 鈴木青々   1 芝村義邦 11-105
52 湯呑 鈴木青々 色釉薬湯呑 5 芝村義邦 11-113
53 銚子 鈴木青々 布目徳利と色釉徳利 5 芝村義邦 11-101
54 大皿 大江幸彦 鶴文大皿 1 芝村義邦 14-187
55 水注 大江文象   1 芝村義邦 2-23
56 大江文象   1 芝村義邦 15-209
57 大江幸彦 鶉文皿 1 芝村義邦 15-210
58 置物 灰釉狛犬置物 1 芝村義邦 1-5
59 置物 鈴木青々 緑釉馬置物 1 芝村義邦 11-118
60 置物 英治作 瀬戸焼鵜置物 1 芝村義邦 2-29
61 茶碗 河本礫亭 青花干支茶碗 1 芝村義邦 16-223
62 花入 加藤孝造 志野花入 1 鈴木充 9
63 花入 加藤孝造 志野花入 1 鈴木充 10
64 花瓶 安藤日出武 鼠志野花生 1 鈴木充 104
65 茶碗 安藤日出武 鼠志野茶碗 1 鈴木充 132
66 水指 安藤日出武 志野水指 1 鈴木充 119
67 花瓶 河村熹太郎 鶴首花瓶 1 鈴木充 24
68 河村熹太郎   1 芝村義邦 7-14
69 茶碗 河村蜻山 茶碗竹 1 鈴木充 25
70 茶碗 河村蜻山 赤絵茶碗 1 鈴木充 26
71 鈴木蔵 志野鉢 1 鈴木充 126
72 花入 柴田増三 泥彩大目花入 1 鈴木充 31
73 花瓶 塚本快示 青白磁貼花文花瓶 1 鈴木充 44
74 大皿 塚本快示 唐草文青白磁大皿 1 鈴木充 45
75 塚本快示 白磁飾皿 1 鈴木充 41
76 塚本快示 青白磁輪花唐草皿 1 鈴木充 42
77 塚本満 白磁唐草文皿 1 鈴木充 43
78 加藤卓男 碧釉飾皿 1 鈴木充 129
79 花瓶 加藤卓男 碧釉ラスター彩花入 1 鈴木充 105

※期間中、展示を変更する場合がございます。また展示室は作品保護のため、照明を落としてあります。ご了承ください。

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作家略伝

河本 礫亭

1894−1975年。瀬戸焼の真古園善四郎家出身。
東春日井郡瀬戸町(現在の瀬戸市)出身。実家は祖父米四郎の代から製陶業を営み、父善四郎から染付技法を伝習した。大正3年(1914)に陶磁器品評会で最優等賞を受賞、その後平和博、パリ万博など多くの博覧会で受賞多数。大正13年には瀬戸で最初の陶芸家グループである「陶均会」のメンバーとなり、昭和17年(1942)年には「作陶会」顧問に迎えられるなど、当時の瀬戸窯業界を代表する一人であった。また、昭和8年には瀬戸少年院の矯正院窯教授となり、同地に窯を築いた。昭和27年には愛知県知事から文化功労表彰、昭和29年皇太子殿下御成婚祝典用の御盃制作。昭和47年には愛知県指定無形文化財「染付磁器」保持者に認定された。
養子の河本五郎(1919-1986)も陶芸家だが、約束事にとらわれない自由な作陶姿勢から「反逆児」「反骨の陶芸家」ともいわれた。

鈴木 青々

1914−1990年。瀬戸焼。
東春日井郡赤津村(現在の瀬戸市赤津町)の農家の末子として生まれたものの、おばの嫁ぎ先である陶器店で働きながら作陶の道に入り、加藤崋仙に師事。昭和15年(1940)に紀元二千六百年奉祝展に入選し、以後新文展、日展を活動の場とし、昭和29年には日展特選を受賞、活動の初期に布目模様を意匠に取り入れた手法により一時代を築く。また独自のフリット釉を開発し、色絵陶磁器で新境地を開き、「色彩の魔術師」と讃えられた。そして海外陶磁器の調査を通じてエジプトやペルシアの原石を集め、それらの粉砕粒を作品の表面に貼り付け釉薬を施した「彩砂磁」「彩光星」と名づけた独自の作風を生み出した。

鈴木 紀文

1940年生まれ。瀬戸焼。
鈴木青々の子。信州大学農学部卒業後、2年間アメリカに留学した。帰国後の昭和42年(1967)に父に師事し作陶、昭和60年に独立した。日展、日新工展、日現工展などで入選。また、光風会中日賞、中日国際展文部大臣賞、朝日陶芸展福井知事賞、瀬戸市展市長賞・豊田市展市長賞・教育委員会賞などを受賞した。
弟、鈴木青児(1946-)も瀬戸で活動する陶芸家。

亀井 勝

1933年生まれ。瀬戸焼。
瀬戸町(現在の瀬戸市)出身。瀬戸窯業高校を卒業後、父の清一に師事、昭和28年(1953)に日展に最年少で入選したが、その後数年間は公募展への出品をとりやめ、独自の作風を模索して研鑽を積んだ。昭和37年から再び日展を中心に出品するようになり、日展特選、日本現代工芸美術展総理大臣賞など入選を重ねた。平成22年(2010)10月には瀬戸市美術館で特別企画展「亀井勝 陶芸展」が開催された。この際に出品した最新作は、構造物をモチーフにしたオブジェなどが中心であった。

水野 双鶴

1912−1997年。瀬戸焼・寿窯。
瀬戸町洞の初代・水野寿山の家に生まれる。藤井達吉(1881-1964)の指導を受け、伝統工芸技法の研究と創作技術の研摩に努めた。昭和62年(1987)、瀬戸市無形文化財「陶芸 練り込み技法」の保持者に認定された。平成4年(1992)、第1回瀬戸市文化協会つばき賞を受賞した。このほか、朝日陶芸展、日展などにたびたび入選し、メトロポリタン博物館(ニューヨーク)、デュッセルドルフ陶磁器博物館(ドイツ)に作品が永久保存されている。

加藤 春暁

?−1808年。瀬戸焼。
江戸後期の瀬戸の陶工。二代武右衛門。楽之斎と称し、緑釉印花の皿・鉢などを得意とした。

加藤 舜陶

1916―2005年。瀬戸焼・龍窯。
先々代春逸が、赤津窯系譜7世景清より分家。昭和21年(1946)に10代継承。主に黄灰釉、灰釉などを作陶。昭和30年に全国工芸展・文部大臣賞を受賞後、日展特選北斗賞、ブリュッセル万国博覧会グランプリなどを受賞。
昭和62年に勲四等瑞宝章、平成6年(1994)には愛知県指定無形文化財「陶芸 灰釉系技法」保持者に認定された。

加藤 釥

1927−2001年。瀬戸焼・赤津窯。
東春日井郡赤津村(現在の春日井市)の伝統窯元・赤津丈助の家に生まれた。昭和19年(1944)に東京工業大専門部窯業科を卒業し、家業を従事するかたわら陶芸の道を志した。昭和39年には、日展特選北斗賞を受賞した。以降日展を中心に活躍する一方で、朝日陶芸展、日本現代工芸美術展、日本新工芸展などの審査員を歴任した。初期は、土の質感を大事にした焼き締め作品を制作しているが、その後は、独創性の高い蒼釉、白釉、鉄釉、土の質感など数種の釉薬をたくみに使った作品を制作している。平成12年(2000)、愛知県指定無形文化財「陶芸 鉄釉技法」の保持者に認定された。

加藤 重高

1927年生まれ。瀬戸焼・翠窯。
瀬戸町に加藤唐九郎の三男として生まれた。父の指導の下作陶生活に入り、日展特選、北斗賞、現代工芸展現工賞などを受賞したが、昭和46年(1971)以降公募展出品を停止し、発表の場を個展中心にした。また、広島酔心本店ほか、胸壁制作も多数手がけた。著書に『加藤重高作品集』『遺された言葉』『かまぐれ二代』がある。兄の岡部嶺男(1919-90)も陶芸家。

加藤 清之

1931年生まれ。瀬戸焼・薊窯。
現在の瀬戸市出身。県立瀬戸窯業学校を卒業。華道草月流の勅使河原蒼風(1900-79)に才能を見出される。日展特選北斗賞、新工芸展総理大臣賞、朝日陶芸展大賞などを受賞。昭和43年(1968)の東京・京都国立近代美術館の「現代陶芸の新世代展」に招待出品。また、昭和51年には東ドイツ各地を巡回した「日本当時名品展」にも招待出品された。現在でも個展、グループ展などに盛んに出品している。

大江 文象

1898−1979年。瀬戸焼・鶉窯。
現在の知多市出身。大正元年(1912)、瀬戸の製陶所で絵付工として働く。大正10年、上京し日本画家・清水有声に入門。大正12年に瀬戸に帰り、陶工のかたわら日本画家小寺雲洞に画を学ぶ。昭和8年(1933)帝展に初入選、以降帝展入選2回、文展入選2回、日展入選5回。昭和10年、鎌倉の北大路魯山人陶芸研究所に入る。昭和16年、瀬戸に帰り作陶生活を始めた。昭和50年、愛知県指定無形文化財「櫛目文」保持者に認定された。

大江 幸彦

1930年生まれ。瀬戸焼・鶉窯。
東春日井郡赤津村(現在の瀬戸市)の窯元に生まれたが、大江文象の後継者として養子となった。日展、日本現代美術工芸展、朝日陶芸展などで入選。秋篠宮家ご成婚献上作品を制作。日展会友。

加藤 春鼎(二代)

1927―1995年。瀬戸焼・鼎窯。
東春日井郡赤津村出身。父の初代春鼎が瀬戸名門の加藤作助家から分家独立した。昭和36年(1961)に二代目を襲名、愛知県芸術選奨、教育文化功労賞などを受賞した。また、鼎窯会を主宰した。得意とする引出黒のほか、古瀬戸、黄瀬戸、織部、志野などで主に作陶した。

加藤 春鼎(三代)

1960年生まれ。瀬戸焼・鼎窯。
本名は孝。二代春鼎の子で、平成9年(1997)に三代目を襲名している。

加藤 五山

1922年生まれ。瀬戸焼・五山窯。
代々尾張藩士として焼物を納めた家柄に生まれる。米国東洋趣味展金賞。伝統工芸展、デザイン食器展、通産省愛知県展ほか受賞。伊勢神宮、熱田神宮、明治神宮、徳川美術館ほかに作品を納めている。号は竹霞庵。

加藤 孝造

1935年生まれ。美濃焼・穴窯。
現在の岐阜県瑞浪市出身。陶工の家に生まれたが当初は洋画家を志し、日展洋画に3度入選する。その後転じて陶芸家となり、五代加藤幸兵衛、荒川豊蔵に師事した。昭和45年(1970)に多治見に穴窯を築き独立、主に志野、鉄釉、瀬戸黒などを作陶した。日本伝統工芸展最高賞・朝日賞、現代工芸展賞、日本陶磁協会賞などを受賞。平成19年(2007年)に紫綬褒章を受章、平成22年には瀬戸黒の技法で、国指定重要無形文化財保持者に認定された。

安藤 日出武

1937年生まれ。美濃焼・仙太郎窯。
土岐郡市之倉村(現在の多治見市)出身。多治見工業高校を卒業後、家業(窯元)を手伝いながら加藤卓男や鈴木三千雄が主宰する市之倉陶光会で修行。朝日陶芸展、日本伝統工芸展、日本陶芸展等で入選した。日本工芸会正会員。平成15年(2003)に岐阜県指定無形文化財保持者(黄瀬戸)に認定されている。

鈴木 蔵

1934年生まれ。美濃焼。
現在の土岐市出身。多治見工業高校卒業後、釉薬の研究をしていた父・通雄の助手として丸幸陶苑株式会社に入社し、加藤幸兵衛のもとで作陶を学んだ。以来ひたすら志野に取り組み、一貫してガス窯による志野の焼成に挑み続けた。
昭和41(1966)年に多治見市市之倉に築窯独立し、平成2年にさらに同市虎渓山に窯を移築した。日本陶磁協会金賞・チェコ国際陶芸展グランプリ・芸術選奨文部大臣賞等受賞多数。平成6年に重要無形文化財保持者(志野)に認定され、翌年に紫綬褒章を受章している。

柴田 増三

1952年生まれ。美濃焼・城窯。
多治見工業高校卒、岐阜県陶磁器試験場終了。日本伝統工芸展、日本陶芸展、朝日陶芸展ほか入選受賞。天目、鉄釉、織部、志野、黄瀬戸などを作陶。

河村 蜻山

1890−1967年。京都・粟田焼。
京都の粟田焼の陶工の家に生まれる。明治38年(1905)に京都市陶磁器試験場を修了。明治43年に神坂雪佳(1866-1942)主宰の佳都美会設立に参加し、近代的な意匠の研究に加わった。大正14年(1915)、パリ万国装飾美術工芸博覧会で金賞を受賞。工芸の帝展参加運動を推進。陶工から陶芸作家という地位を確立するなど、陶芸の近代化の中心的推進者として活躍した。自身は昭和2年(1927)に帝展に入選、以後、新文展、日展に出品を重ねた。一貫して官展を活動の場として染付・青磁・赤絵などの伝統的な技法を確立し、気品ある作品を旨とした。

河村 熹太郎

1899−1966年。京都・粟田焼から猿投、さらに鎌倉に移窯。
京都の粟田焼の陶工の家に生まれる。蜻山は兄。京都市陶磁器試験場を修了後、楠部弥弌・八木一艸らと赤土を結成、さらに燿々会を結成するなど、京都陶芸会に新風を吹き込んだ。昭和2(1927)の帝展に入選、同10年に用と美の融合を求めて生産的工芸を求める工芸家たちと実在工芸美術会に同人として参加。その後、文展特選。昭和25年、愛知県猿投に移住し、さらに36年に鎌倉の魯山人陶房跡に新窯を築いた。同40年、『やきものを作る』を出版した。

塚本 快示

1912−1990年。美濃焼・快山窯。
土岐郡駄知町(現在の土岐市)出身。家は江戸時代からの作陶家で、快示も駄知商工補修学校で窯業一般を学んだのち、昭和8年(1933)から家業に従事した。同18年ころ、中国陶磁を研究していた小山冨士夫(1900-75)の「影青雑記」(『陶磁』三巻第三号)に影響を受け、青白磁の研究に取り組むようになった。昭和23年には鎌倉在住の小山を訪問して直接指導を受け、中国の青白磁の陶片を譲り受けると、青白磁再現の為の研究に没頭し、家業のために焼いていた食器類もすべて青白磁に切り替えた。昭和40年と47年に日本工芸会会長賞、48年には中国での日本工芸品に出品し、本場中国陶磁会においても高い評価を得た。昭和52年には紫綬褒章、同58年には国の重要無形文化財「白磁・青白磁」保持者に認定されている。

塚本 満

1951年生まれ。美濃焼・快山窯。
岐阜県土岐郡駄知町(現在の土岐市)に生まれた。明治大学経営学部卒業。父・塚本快示に師事し、死後快山窯を引き継いだ。日本工芸会正会員。

加藤 卓男

1917−2005年。父は美濃焼・幸兵衛窯を復興させた五代加藤幸兵衛。
岐阜県土岐郡市之蔵村(現在の多治見市)に生まれる。多治見工業学校卒。徴兵後、昭和20年(1945)に広島で被爆、以後白血病に苦しむ。昭和35年にフィンランド工芸 美術学校に留学。さらに47年イラン留学、51年東大イラン・イラク遺跡発掘調査団に参加して、ペルシア陶器の研究に尽力し、ラスター彩、三彩、ペルシャン・ブルーの復原に成功。昭和55年には宮内庁正倉院の委嘱で、正倉院三彩の復原も手がけ、8年かけて三彩「鼓銅」「二彩鉢」を完成させた。昭和63年日本新工芸展文部大臣賞、紫綬褒章を授章、平成3年(1991)、日本陶磁器協会金賞、同7年重要無形文化財「三彩」保持者に認定された。

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