田原市の歴史〜田原藩
展示期間 平成18年10月27日(金)〜平成18年12月10日(日)
展示作品リスト
企画展示室 1
指定 作 品 名 作 者 名 年 代 備 考
  巴江城郭平面図
(はこうじょうかくへいめんず)
  明治44年
(1911)
藩関係文書636
参考 歴代田原城主表
(れきだいたはらじょうしゅひょう)
     
  三宅家家紋入御膳
(みやけけかもんいおぜん)
  江戸時代  
  三宅家家紋入柄杓
(みやけけかもんいりひしゃく)
  江戸時代  
  田原城絵図御矢蔵之絵図
(たはらじょうえずおんやぐらのえず)
  寛文6年
(1666)
二ノ丸櫓再建
巴江神社蔵
  三宅康之(5代)      
  秋七草之図(あきななくさのず) 三宅康之(みやけやすゆき) 江戸時代  
  三宅康邦(7代)      
  菊図(きくず) 三宅康邦(みやけやすくに) 江戸時代  
  海棠小鳥図(かいどうしょうちょうず) 三宅康邦 天明3年
(1783)
 
三宅康明(10代)
姫島馬図(ひめしまうまず) 三宅康明(みやけやすてる) 文政年間
十字書(じゅうじしょ) 三宅康明 江戸時代 個人蔵
田原藩士使用具足
(たはらはんししようぐそく)
江戸時代
三宅康直(11代)
七言絶句(しちごんぜっく) 三宅康直(みやけやすなお) 明治24年
(1891)
詩書(ししょ) 三宅康直 明治時代
三宅康直宛書簡
(みやけやすなおあてしょかん)
渡辺崋山(わたなべかざん) 天保8年
(1837)
救荒の祝状と滞邑を
すすめる諫状
展示作品リストに
書き下し文があります
日光祭礼奉行時拝領
(にっこうさいれいぶぎょうじはいりょう)かわらけ
文政13年
(1830)
巴江神社蔵
三宅康保(12代)
詩書(ししょ) 三宅康保(みやけやすよし) 嘉永2年
(1849)
個人蔵
和無寡(わむか) 三宅康保 弘化〜嘉永年間
使西日録(しせいにちろく) 萱生郁蔵(かよういくぞう) 江戸時代
二行書(にぎょうしょ)

萱生郁蔵 江戸時代
順応丸材料片
(じゅんのうまるざいりょうへん)
井上 親(いのうえちかし) 江戸時代 田原藩使用軍船
三宅康高(4代)
一行書(いちぎょうしょ) 三宅康高(みやけやすたか) 江戸時代 信以不二
了閑公遺愛茶道具
(りょうかんこういあいちゃどうぐ)
茶杓(ちゃしゃく)・蓋置(ふたおき)
江戸時代
三宅友信侯宛答問
(みやけとものぶこうあてとうもん)
渡辺崋山 天保9年
(1838)
展示作品リストに
書き下し文があります
三宅家家紋入り茶碗
(みやけけかもんいちゃわん)
江戸時代
市文 参考太平記(さんこうたいへいき) 今井弘済
(いまいひろずみ)考訂・
内藤貞顕
(ないとうさだあき)重校
元禄4年
(1691)
御納戸10
市文 千字文(せんじもん) 三宅康保 江戸時代 御納戸406
主図合結記
(しゅずごうけつき)(写本)
江戸時代 藩関係文書624

※ 期間中、展示を変更する場合がございます。
※また展示室は作品保護のため、照明を落としてあります。ご了承ください 。

作品紹介
●三宅康直宛書簡 渡辺崋山 天保8年

上(裏端書)
渡邉 登拝上
三月末、御痔疾(ごじしつ)御悩(おんなやみ)被遊(あそばされ)、乍恐(おそれながら)甚
御案事申上候処、先以此度御便(おたより)
にて御快方之御様子奉窺(うかがいたてまつり)、誠以
奉恐悦奉存上候。然処、此度
御領中御為ヲ被思召(おぼしめされ)、秋中迄
御滞邑(ごたいゆう)(注1)之御願被仰上旨被仰
出、此義ハ御不快と申、同勤共(注2)より
も強(しいて)申上兼候処、誠(まことに)
御仁徳之御義、乍恐於私難
有奉感伏候。一体昨年より凶
(注3)一条ニ付而ハ、去秋申上候通、
御褒詞之御目当之御趣意、少モ
間違不申御全力ヲ被尽(つくされ)、是迄
御先代ニも稀(まれ)ナル御仁政、誠以
奉感涙候。右難有次第ニ付、
乍恐此段御礼奉申上候。頓首恐惶
謹言

五月九日
恐なから奉申上候。一体
御滞邑之義ハ同勤共より申
上候得共、御痔疾御療用
旁(かたわら)御願被成兼(なられかね)候旨ニ付、一旦取調
相止候。猶追々御参府月(注4)真際(まぎわ)ニ
相成、甚如何之御聞取も恐入候事故、
御大礼(注5)有之故是非可成丈御願ハ

不被成処、見放かたき御領中困窮
と申ケ条ニて、其延緩(えんかん)之次第申上候。
一、 兼而自私(わたくしより)申上度候得共、兎角(とかく)
御在城之事御厭被遊(おいといあそばされ)候様子ニ付、迚(とて)
も御決心無之事、此迄不申上候。誠不忠
至極之事ニ御座候。かく之如き義は私のミ
ならす、御家来下々ニ至迄猶更多候間、
在上之御身之上ニて乍恐御慎第一之事ニ
存上候。御喜怒御哀楽とも御国家の弊ニ相成候。死罪
(以下消失)

(注1)御滞邑 藩主が国元に滞在すること。
(注2)同勤共 同役の者共。ここで は崋山と同役の家老共。
(注3)凶荒(きょうこう) 飢饉で荒れはてること。
(注4)御参府月 参勤で江戸へ行く予定月。
(注5)御大礼 幕府の大きな慶弔行事のこと。

 
●三宅友信侯宛答問 渡辺崋山 天保9年月日不明
崋山がぶどう酒について解答をしています。
蘭学のパトロンであり、パートナーである友信侯の日課の学問について、その心構えを述べています。

  不二存寄一ウヱーン頂戴、難レ有奉レ存候。此ハ葡萄酒ト奉レ存候。乍レ恐少々水ヲ割候品歟、或ハ又如レ此薄酒歟、弁ジカネ候得共、未コレヨリハ少シ濃品有、苦味モ甚敷候。私は至テ好ミ候テ、此マヽ頂戴仕候ハ不得手ニテ、コレへ砂糖ヲ少シ攪l(カクイン)致、滾湯(コントウ)ヲ以適意ニ宜程注入仕候得ば、第一ニ葡萄ノ味香気発揚、尤妙ニ御座候。洋人モ薬養等ニハ如レ此候ヨシ。崎人(キジキ)ナドハ右ニ馴レ、上戸(ジョウゴ)ハ此儘四五陶モ倒シ、飲宴常ニ御座候ヨシ。コレ全呑ナレ酔ヲ取ルニ急ナル故ト被レ存候。トニカク私用ユルコトハ、長夏午眠ノ初、寒燈読書ノ倦(テカレ)、大ニ其補益ヲ覚、血気順環仕、誠ニ難レ有奉レ願候。大低(抵)小盞(セン)二椀ニテハ酒(シュ)暈(ウン)面ニ上り申候。一椀にて適宜ニ御坐候。奉二拝謝一候。

一、此節事物韵編(インペン)、ソムメル・リセラント御日課ノヨシ、誠ニ御英遇(邁)奉二感伏一仕候。私考左ニ申上候。事物韵編ハ御一生ノ御業也。事博ク労多シテ全体貫通ノ照応精考無レ之、譬バ老吏ノ名ヲ取テ獄ヲ断ジ候如ク、其断(ダンズル)モノハ其庭ニ無レ之シテ、却テ薄令査(ボレイサ)照(ショウ)ニ在レ之如クニ御座候。陳子龍(チンシリュウ)ノ格物鏡原、方以(ホウイ)智(チ)ノ通(ツウ)雅(ガ)、大ニシテ天中記、事物類聚(ルイジュウ)、淵函(エンカン)、韵府(インプ)ノ類、皆他ノ著作ノ余波積テ、不レ知く此大編ヲ成候モノ也。殊韵府、類函ハ皆一時儒臣ニ命ジ成候モノ、唯其労ノミニ御坐候。コレヲ以、事物韵編ハ御日課ト申ニハ無レ之シテ、一日モ御記録無レ之ハ無レ之、摘出シテ人ニ命ジ候テモ可レ然候歟。

○唯リセラント・ソムメルハ著者ノ微意一章一句通編ニ相係候。内ニモリセラントハ人身窮理歟、小ナルモノ故、粋精玄微猶更ト存候。ソンムル(ソムメル)ハ大ナルモノ故、コレト比スレバ粗大ナレドモ、我国ノ人実徴致がたく、其間学語モ古語モ可レ有レ之候故、すべて釈書ハ義理ヲ以テ迎ヘ解セザレバ通明仕がたく、サレドモ一章くニ前後ヲ顧ミ、一語転倒ノ間照応多ク、一書釈成ノ後又通編ヲ再応改正不レ仕バ、始メ苦渋ハ却而容易ニて、容易ナル却テ苦渋、必?錯可レ仕候。依レ之先一章くニアラく釈シトリ、早ク一編ヲ了リ、再応ノ研磨ニ精力可レ致候事歟。然バ其間不レ知く事物韵編ハ出来可レ申候。

一、人生大低(抵)百年ト致候処、三万六千日也。生レ出テ十五年ヲ去リ、又七十ヲ大老保養ノミト致セバ、中五十計なるべし。日数一万八千日、一日一枚ヲ書シ百枚一冊ト致候得ば、一百八十冊ト相成、五十枚一冊ト致三百六十冊、誠ニ僅ニ御坐候。古今著書ノ大ヲ考レバ、先史・漢一百三十巻、皆一人ノ手ニ相成候。温史(オンシ)二百九十巻、史緯(シイ)三百三十巻、通典(ツデン)二百巻、文献通考三百四十八巻、石倉(セキソウ)歴代詩五百六巻、明文海四百八十 二巻、石倉已上ハ皆著述、以下ハ皆撰集、撰集は集メ易ケレドモ、其博(ヒロカ)ラザルニ苦ム。同撰類ニハ太平御覧一千巻、冊府元亀同断、尤大ナルハ永楽大典二万八百七巻、目六 (録)計(バカリ)も六十巻、コレハ拠リ申ニハ不レ足候得共、大低一人ノ力二三百ヲ限リ申候。 日本ノ大ナルハ白石一人ニて三百部、私朋友取ニ不レ足ものなれども、其精力ニすぐれ たる南畝、抄録・文集総テ四百巻も有レ之、其間人の求ニ応ジなど、応接繁多ナル中ニ テ如レ此。又馬琴ノ鄙業(ヒギョウ)にても一部五冊位ノ著三百二三十巻ニ及候。是又抄録ノモノ凡 百五六十巻も有レ之候。皆一日五六枚ノ録ニ無レ之候テハ不レ能候。大低(抵)其人ヲ見 ルニ、天野定(信)景、塩ジリ残本計も二三百巻も有レ之。近来本居ノ類、儒家ニ東涯・貝原ノ類、精力古人ニ不レ劣候。コヽヲ以トクト御考、御後来御定メ、御春秋ニ御ホコリ被レ遊間敷候。

一、私音韵甚闇(クラ)ク、急ニ御答出来不レ申候。○ムン ムハ唇、ンハ鼻舌、何様ンハ去声(キョセイ)ニ モ候哉。ムハ入声ナレバ、申サバ沃((ヨク))ヲ沃((ヨウ))トモ音出候。此沃ハヨ(○)ム 宋此ハソンなれバ(ば)束木爾((ソムムル))ニテ可レ然候歟。ソク音ノソウト相成候モノ、皆ソムニテ可レ有レ之候歟。リユソン呂宋(LUSON)如レ此なれバ、宋ハ当リ不レ申候。イヅレニモソクと申ニ無レ之テハ、的当ニ無レ之候。束・促いづれ又考差上可レ申候。

一、定平事ハ、申サバ閣下ハユニフルシティテンノプロヘッソーレンとやらニテ、定平 ハスチデンテンプロヘッソーレンの如キモノカ。何レニモソルダートに終リテハ遺憾。高氏ノ学、伍長ニ限、隊将ハ未ナルベシ。御厚思所レ願候。

一、信州蕎未レ試、定メシ不味恐((美味ノ誤カ))入候。老母誠以難レ有、其喜ビ幽谷ノ春風度(〈ママ〉)リ候如クニ御座候。恩謝無量。菫皇菫言
  御使ヲ待セ匆々恐入候。即刻
 
●参考太平記
 『太平記』は軍記物語で、北条高時失政・建武中興をはじめ、南北朝時代の争乱の様子を和漢混交文で紹介している。太平記には多くの注釈書が刊行されています。三宅家の祖は南朝の忠臣であった児島高徳とされ、藩には『太平記』の参考図書も御納戸書籍として保管されていました。
 
●千字文 江戸時代
 中国六朝の梁(502〜557)の時代に作られた韻文(いんぶん)で、四字一句、250句千字で成り立っています。学問の学び始めの教科書、または習字の手本として広く知れわたっています。


作者の略歴
●渡辺崋山[わたなべ かざん] 寛政5年(1793)〜天保12年(1841)
 崋山は江戸麹町田原藩上屋敷に生まれた。絵は金子金陵から谷文晁につき、人物・山水画では、西洋的な印影・遠近画法を用い、日本絵画史にも大きな影響を与えた。天保3年、40歳で藩の江戸家老となり、困窮する藩財政の立て直しに努めながら、幕末の激動の中で内外情勢をよく研究し、江戸の蘭学研究の中心にいたが、「蛮社の獄」で高野長英らと共に投獄され、在所蟄居となった。画弟子たちが絵を売り、恩師の生計を救おうとしたが、藩内外の世評により、藩主に災いの及ぶことをおそれ、天保12年に田原池ノ原で自刃した。
 

氏 名 生存年 城主在任期
初 代 三宅土佐守康勝(やすかつ) 1628〜1697 1664〜1687
二 代 三宅備前守康雄(やすを) 1659〜1726 1687〜1726
三 代 三宅備後守康徳(やすのり) 1683〜1753 1726〜1745
四 代 三宅備前守康高(やすたか) 1710〜1791 1745〜1755
五 代 三宅備後守康之(やすゆき) 1729〜1803 1755〜1780
六 代 三宅備前守康武(やすたけ) 1763〜1785 1780〜1785
七 代 三宅能登守康邦(やすくに) 1764〜1792 1785〜1792
八 代 三宅備前守康友(やすとも) 1764〜1809 1792〜1809
九 代 三宅対馬守康和(やすかず) 1798〜1823 1809〜1823
十 代 三宅備前守康明(やすてる) 1800〜1827 1823〜1827
十一代 三宅土佐守康直(やすなお) 1811〜1893 1827〜1850
十二代 三宅備後守康保(やすもち) 1831〜1895 1850〜1869


次回予告

平成18年12月14日(木)〜平成19年2月4日(日)
●渡辺崋山の家族〜渡辺如山没後170年(特別展示室)
如山(1816〜1837)は崋山の末弟で、椿椿山に絵を習いますが、若くして亡くなっています。

●田原の歴史〜市指定文化財を中心に(企画展示室1)

市指定文化財は100件に上ります。重要美術品も展示

●田原の歴史〜川地遺跡(企画展示室2)

「帰ってきた縄文人!! 川地遺跡資料」を展示


※12月12日(火)〜13日(水)は展示替のため臨時休館

田原市博物館/〒441-3421 愛知県田原市田原町巴江11-1 TEL:0531-22-1720 FAX:0531-22-2028
URL: http://www.taharamuseum.gr.jp