江戸時代の田原
展示期間:平成16年7月8日(木) 〜 平成16年8月22日(日)
展示作品リスト
企画展示室
指定 作品名 作者名 年代 備考
  巴江城郭平面図(はこうじょうかくへいめんず)   明治44年(1911) 藩関係文書636
  朱印状入(しゅいんじょういれ)   江戸時代 巴江倶楽部蔵
  三宅家家紋入御膳(みやけけかもんいりおぜん)   江戸時代  
  三宅家家紋入柄杓(みやけけかもんいりひしゃく)   江戸時代  
  三宅家家紋入料紙箱(みやけけかもんいりりょうしばこ)   江戸時代  
  三宅家家紋入硯箱(みやけけかもんいりすずりばこ)   江戸時代  
  砲弾鋳型(ほうだんいがた)   江戸時代  
  弾薬箱(だんやくばこ)   江戸時代 田原藩使用
  萌葱糸威縫延胴黒具足
(もえぎいとおどしほうえんどうくろぐそく)
  江戸時代 田原藩使用
  紺糸威伊予札胴赤具足
(こんいとおどしいよふだどうあかぐそく)
  江戸時代 田原藩使用
  客坐掌記(きゃくざしょうき) 渡辺崋山 天保4年(1833)  
  蘭書目録(らんしょもくろく) 三宅友信 江戸時代後期 巴江神社蔵
市文 御玄関置帳(おげんかんおきちょう)   天保8年(1837) 藩日記277
市文 大坂勤番手扣(おおさかきんばんてびかえ)   享和3年 (1803) 藩日記188
市文 大坂加番手扣(おおさかかばんてびかえ)   文化5年 (1808) 藩日記201
市文 大坂在番中手扣(おおさかざいばんちゅうてびかえ)   文政8年 (1825) 藩日記253付
市文 道中紀行(どうちゅうきこう)   嘉永6年(1853) 藩日記345付
市文 大坂加番中御玄関置帳
(おおさかかばんちゅうおげんかんおきちょう)
  嘉永6・7年 (1853・54) 藩日記352
市文 大坂青屋口勤番中手扣
(おおさかあおやぐちきんばんちゅうてびかえ)
  嘉永7年 (1854) 藩日記359
参考 客参録(写真) 渡辺崋山 天保4年(1833) 愛知県指定文化財
個人蔵
  順応丸材料片(じゅんのうまるざいりょうへん) 井上 親   田原藩使用軍船
参考 歴代田原城主表(れきだいたはらじょうしゅひょう)      
  毛槍(けやり)(御伊達道具(おんだてどうぐ))   江戸時代 田原藩使用
  毛槍(けやり)
(御道中御馬印(おんどうちゅうおんうまじるし))
  江戸時代 田原藩使用
  弓(ゆみ)   江戸時代  
  わきざし 肥前佐賀住國廣(ひぜんさがじゅうくにひろ)   江戸時代 伊藤鳳山使用

企画展示室1に田原藩校成章館で使用された孔子像・孔門十哲像(重要文化財)も展示されています。
あわせてご覧ください。


田原藩主歴代三宅家
氏名 生存年 城主在任期
初代 三宅土佐守康勝(やすかつ) 1628〜1697 1664〜1687
二代 三宅備前守康雄(やすを) 1659〜1726 1687〜1726
三代 三宅備後守康徳(やすのり) 1683〜1753 1726〜1745
四代 三宅備前守康高(やすたか) 1710〜1791 1745〜1755
五代 三宅備後守康之(やすゆき) 1729〜1803 1755〜1780
六代 三宅備前守康武(やすたけ) 1763〜1785 1780〜1785
七代 三宅能登守康邦(やすくに) 1764〜1792 1785〜1792
八代 三宅備前守康友(やすとも) 1764〜1809 1792〜1809
九代 三宅対馬守康和(やすかず) 1798〜1823 1809〜1823
十代 三宅備前守康明(やすてる) 1800〜1827 1823〜1827
十一代 三宅土佐守康直(やすなお) 1811〜1893 1827〜1850
十二代 三宅備後守康保(やすもち) 1831〜1895 1850〜1869

三宅家の家紋について
 三宅家の家紋は仏教法具(ほうぐ)の輪宝(りんぽう)を図案化し、輪の中央と外輪との間を放射状に支えるや輻と剣の数は八剣のものです。

田原藩日記について
 田原藩では、三宅康勝が三河国挙母(現在の愛知県豊田市)から国替によって田原の地に入り、以後廃藩まで12代208年にわたり、田原周辺の村を治めました。途中の国替がなかったため、引越などによる散逸もほとんどなく、藩政の記録である藩日記がまとまった状態で残りました。
 『御玄関置帳』は田原の国許の玄関において記録された日記、大坂加番のため大坂に向かう道のりを記録した『道中紀行』もあり、1年にわたって大坂で勤番につく大坂加番の時には、大坂での『大坂勤番手びかえ扣』のほかに、国許田原で記された『大坂加番中御玄関置帳』と、同じ年に違う場所で記録された日記が存在しました。

田原藩藩校成章館について
 田原藩藩校成章館は文化7年(1810)9月12日に藩の儒医萱生玄淳の提案により建設されました。敷地は桜門前の広場で、現在の田原中部小学校東半分のところです。明治4年(1871)7月14日の廃校にいたるまで、62年の間、藩の青年武士や子弟の教育鍛錬の場でした。初期の文政3年(1820)までは施設整備・教授陣の充実時代で、その後、文久3年(1863)までの中期を経て、元治元年(1864)以降明治4年までは武芸が衰退し、西洋流銃陣中心の時代でした。この間、蘭学者鈴木春山・砲術家村上範致や家老であり、南画家の渡辺小華(舜治)、飯田事件の村松愛蔵など多くの人たちが学びました。


期間中、展示を変更する場合がございます。また展示室は作品保護のため、照明を落としてあります。
ご了承ください。

田原市博物館/〒441-3421 愛知県田原市田原町巴江11-1 TEL:0531-22-1720 FAX:0531-22-2028
URL: http://www.taharamuseum.gr.jp